2012年12月29日土曜日

一劫の長さと教養教育

1 年生のときに笠原一男先生の(退官のときに何か問題があったと聞くがネットではわからず)浄土真宗についての講義を受けた。なぜかというと,単位が取り易いという噂だったからだ。昨今の学生さんと全く同じ発想である。
覚えているのは「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや。」の連呼による刷り込みである。呵呵。が,面白かったのは(これも何度もおっしゃった)「一劫」の長さだ。正確ではないが,確か次のようだった。「ここに 100 km 辺の立方体の岩があります。100 km というのは,東京駅の新幹線ホームの南端から熱海(だったかな?)のホームの*m 手前です(わかり易い良い授業の見本かも)。ここに天女が 3 年(『年』という概念が既に確立されていることが前提で,今となっては面白い)に一度降りてきて羽衣で一度なでるのです。そしてその岩がすっかり磨り減ってしまうまでの時間が『一劫』なのです。」だった。文献にあると思われる比喩を書き直して話すことに感激したものだった。
が,最近の学生さんが(特に東北大での問題かもしれないが)教養課程(現在は全学教育というごまかした言葉が使われているが)で履修した科目の内容や雑談を覚えていないようなのだ。例えば第二外国語で 1 から 10 までも言えない。簡単な挨拶も覚えていないザマだ。どこに問題があるか。学生さんか。きっとそうだろう。大学の教員か。絶対にそうだろう。教養部を無くしたことか。わからん,というのも,実態は同じで,悪くなったのはいわゆる「教養」を教育せずに,使える知識を埋め込む路線を取ったこと(ここ東北大だけかもしれないが)も関係するだろう。

2012年12月23日日曜日

またつまらない試験を

あの役所が,高校に共通テストを実施するらしい。何と! 基礎学力の確認なんだそうだ。現実と建前が完全に遊離しているセンター入試は,じゃぁ,無くしてくれるのかというと,そうではないらしい。じゃ,センター入試は応用学力を確認しているかというと全くそういうものではないことは,各大学の二次試験成績との無相関を見れば明らかである。センター入試がトップクラスであっても,物理学の応用問題は白紙という生徒が多数であり,二次試験トップのセンター入試成績は中庸なこともしょっちゅうあるからだ。米国の場合,今もやられているのかどうか知らないが,共通試験を通常受けていればそれを元に大学にチャレンジできる。共通試験について,学部は確かそれだけ(2種類?)ではなかったか。
もしかしたらまた天下り団体でも作るのだろうか。中身も運用も無駄しか無い。あ,そうか,高校の序列化が目的なんだな。それを元に高校を潰すのかもしれない。新聞によるとこの共通テストは非受験校のみ対象らしいし・・・そんな目的,センター入試結果を公開すれば済むこと。あっはぁーん,センター入試が,基礎学力を確認するためには不適切なことをようやく気づいたのかな。

2012年12月16日日曜日

アポイントは Y シャツ

ボェジャーの艦長のジェーンウェイが `appointment' と発音したのだが,僕の耳には `appoint' と聞こえたものだから,おや! 日本人が「アポイント」と言うのは今や正しいのだろうかと心配になり(なんのこっちゃ),字幕を表示したところフルに表示された。注意深く聞きなおすと,なんとなく `ment' と続けているように聞こえないことはない。3 音節の前が余りにも強いからなのかしらん。がしかし,昨今「アポイント」という言葉を使うのは,Y シャツの状況とは違うだろうなぁー。「パラスタ」には驚いた(というよりもまず何を言っているのかわからんかった)が,最近 TV で著名な女優が「コスパ」といった言葉を使っている。いずれも下品にしか聞こえない。

2012年12月8日土曜日

ようやくの総括ですか

ちょっと褒めようかな,民*党。
ようやく総括ができたらしい。かつては,公約は破られると誤解されることからか,マニフェストとかいう訳のわからないカタカナを使って施政方針を公にしたが,結局それは破られてしまった。それも自覚していないような発言が続く中,ようやく気付いたらしく,マニフェストは骨抜きにしておいて,破らないで済むようにしたらしい。
そして,右往左往しても批判を受けないように,大スローガンを「動かすのは,決断。」と,句読点付きで大胆である。マニフェストをぼやかしておいて,万一ぶれてしまっても,そのスローガンは「公約は変えないが,一度決めた決断の方を動かすのだ,つまり,適宜ブレながら頑張る」と主張したわけである。居直りもここまで大胆だと潔いのかもしれない。これで投票対象から完全にこの党を無くすことができた。

2012年12月2日日曜日

金返せ

民*党が,離党者に金を返せと・・・
マニフェストとかで人を集めておいて,金を配って,しかし執行部はその方針に沿った運営ができなくて,誘われたものの方針転換に納得できなくて離脱する人に,マニフェストを死守できない親団体が金を返せとは・・・全く論理性に欠けていて,子供の主張にしか聞こえない・・・よねぇー

2012年11月25日日曜日

そこそこの常識的な提案か

朝日の 23 日の耕論の 3 氏のご意見は,これまでの議論に比べて常識的ではあったが,その達成のために大学ではできないことがある。まず誤解されないように言っておくが,鈴木元文科省大臣が我々に尋ねておられる「では,高卒で社会に出せばいいんですか?」に対しては,僕は Yes である。
大学は以前も書いたように,研究者養成が第一目的ではなく,社会で活躍するごく一部の専門家エリートを教育する場所だと思っている。競争率が下がった大学に入って,学費のために夜はアルバイトをやって,授業中は居眠りしかしていない学生さんを,もはや苦学生とは言わない。だってすべての科目で成績悪いし,宿題も出さなかったりする。学生さん全般で同じような状況だが,他人の宿題を提出日の講義中に教室で写す学生さんを卒業させる義務があるのだろうか。もう 30 年以上前からときどき言ってきたが,高卒・中卒が満足な仕事をして適切な給料をもらえるシステムを確保するのが第一である。
で,市川内閣府仕分け人の話に移るが,「一定のレベルに達していない学生は卒業できない仕組み」を役所は作るべきであろう。卒業させないという言葉は簡単なようであるが,某大学のトイレで刺殺された教員の二の舞は,我々はごめんである。今の状況で退学させるのはとても簡単だが,あとのことを考えるとなかなか難しい。しかも「退学」というシステムは本人に不名誉なことがあって,しかもそのレッテルを貼って追い出すものとして認識されている。だから成績が悪い学生は別システムでどこかに移動していただかなければいけない。アメリカの実態は知らないが,かなり自由に大学を移り歩く。入試が無いからかもしれないが。そういう「移学」システム(大学・専門学校・職能大学校を含めた)というものを役所がまず整備すべきである。これは必然的に大学を序列化することになるが,序列の低い大学を無くすよりはましだろう。
特に専門学校・職能大学校に移動した人たちはきっと技を身に付けるだろう。今は,専門学校で正看護師の免許を取ったあとに大学で教養を身に付ける人もいるが,逆に大学で教養を身に付けて技能をあとで磨いてもいいではないか。プールで出会った大工さんや看護師さんも必ずしも大学は出ていないで,いい仕事をしていると聞く。
・・・と思ったりした今日このごろである。

2012年11月18日日曜日

大学は教えてもらう場所か

朝日新聞の論説にまた田中某大臣の暴挙に触れて妙なことが書いてあり,大学を整理することには反対だと。この人は,大学にいる学生さんをもっと丁寧に教育してあげるのがまず必要であり,学生の質を上げる努力をすべきであると言っている。新聞捨ててしまったので確認できないが・・・最も陳腐なのは,高校の補習を大学でするのが当然という論理である。誰の責任でここまで「自ら学ぶ意欲レベル=大学での学習能力」を下げてしまったのか。田中某が主張している「大学のレベル」というのは「教員のレベル」であることもこの人には理解されていない。
また,学生の質が下がったのは,定員を割ることを許されない大学が,そもそも大学生としての資格を有していない者を入学させていることにあることも理解されていない。だから大学での補習が必要だと主張する。それは,高校生の人数が減っていることと,それに対して定員を下げることが許されないことにも原因にあり,また家庭で大学とはどういう学びの場所かという子供への情報提供(大学では大人の振りをしろという教育)が,大昔に比べて全くなくなっていることも原因であろう。
昨今の学生さんは,ものを教えてもらおうとする。宿題や試験の答を教えろと言う。自分で考えろと言いたい。大学のレベルで本人が理解できないものは,一生理解できるはずがないから,大学を辞めればいいのである。わかる範囲(実力)を拡げるのが大学での学習作業である。教えてもらってもこの実力は 1 mm も上がらない。それが,論説委員と多くの学生さんはわかってない。

2012年11月11日日曜日

教員が作ったプログラムに数値を代入するだけの宿題

今年は信じられないことが発生した。3 年生に,共振曲線と過渡応答解析結果の図示を宿題にした。毎年同じだ。しかし,自分の答の確認のために,僕が作ったプログラム(計算はブラックボックスにして,パラメータをセットすれば結果がグラフとして表示されるビジュアルなものだ)も利用できるように,今年からしてみた。まさかとは思ったのだが・・・
宿題を集めてみると半分の学生が,僕が作ったプログラムで表示させた画面をキャプチャしてそのまま提出してきた。もう授業はやめようと思った。これが大学生のすることか。大学生というのはそこまで倫理観が落ちたのだろうか。ゆとり世代と言われるが,まさかそんなゆとり教育とは倫理観は関係は無いだろう。この人たちが将来,正しい技術者になるとはとても思えないのだが・・・これが今の平均的な大学生なのか。
他学科の先生からの話だと,「習ってない問題が試験に出された」とクレームが来るそうである。その学科は,本工学部で最も優秀な学生がいる学科なのである。習った問題が出たら試験にはならないし,頭も必要ではないと思うのだが,高校までそういう教育を受けてきたんだろうなぁ。宿題を全く出さずに試験に失敗したあと,レポートで単位をくれと言ってくることも全く理解できない。倫理というより頭が悪いだけなのかもしれない。

2012年11月4日日曜日

絆という言葉は好きになれない

個人の特性から人と群れないできてしまったので(失敗だったとは反省するが),人との深いつながりを持つということは苦手であり,またそれを望まないできてしまった。だからかな,絆という言葉が特に震災後にここ東北で語られるが,元の町内に戻る必要性を感じない非人間なものだから違和感がある。新しい別の町内を別の場所で作るのでは駄目なのだろうか。
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・

2012年10月28日日曜日

他人の振りみたら

前*という人が TV に出ていて「全く別々の意見を持つ者が集まって国民を馬鹿にしている」という発言をしていたので,ようやく自分達の党の実態を知ったのか,いまさら・・・と思って観ていたら,他の人を非難している言葉だった。トホホである。

2012年10月21日日曜日

よくも悪くもどちらともとれる国を作ったと,鹿児島県人を非難され

実質異心の会の代表が鹿児島でムニャムニャ発言。馬鹿にしている。こういう言葉も右から左へと忘れられるのであろう。停滞した政治は,どんどん異心の会へとの流れを助長しているだけだ。前回何も考えずに民*党に票を入れた人がこの会にシフトしているだけだろう。次の政権交代後の展望も全く無い世の中になってしまった。結局どんなことが起きようと,民*党には勝ち目が無いのに,子供会か生徒会のような発言しかできない,そういう態度しか示すことができない。よっぽど大学教授会の各種委員会の方がましだ。委員には,一部研究屋さんといったひどいのもいるが,ま,大学外には迷惑を及ぼしていないだけましなのだろう。

2012年10月14日日曜日

異心の政党

どうせ民*党と同じ寄せ集めではないのか。しかも選挙目当てだけの烏合の衆。某氏が画期的な看板を上げたことから「烏合」に見えないとでも思ったのか。しかし,国民の中には民*党のときの同じ轍を踏んでしまう人も出るのだろうなぁ。
新しい執行部ができて,またぞろ新任者の不適性が公開された。それを国会で糾弾すべきだとのこと。いつから国会およびその専門委員会は議論の場ではなくなったのだろう。もう 10 年以上前からかもしれないなぁ。国民(僕も含んで)はよく我慢しているなぁ。まぁなす術が無いということか。実は消費が増えていないのは,大半は仕方が無いからだろうが,わざとそうしている国民もいるのではないか。政府の思惑通りには動かないぞという草の根抵抗。違うかな・・・ま,吝嗇家の僕は 50 年以上,必要最小限しか買わないできているのだが。
本研究科教授会は儀式であって議論の場ではない。100 人以上で議論することはできないことは明らかだからだ。したがって交通整理の諸会議があり,専門委員会がある。先日も某専門委員会に出て,簡単に終わると委員長も僕も思っていた議題で,意見が分かれた。冷静に考えると,確かに議論すべきことだった。本研究科は正常なようだ。問題は一部のメンバーの質か? 内職ってのはばれないようにやるべきだと思うのだが・・・

2012年10月7日日曜日

単位はギリギリでいいけど聴講したら?

本学科には土木系の 3 コースがある。今年度の 2 年生のコース配属では,土木系構造・材料関連のハードウェアコースが定員割れをした。宣伝が問題なら教員側の問題である。ちょっと考える必要はありそうだ。
さて 3 年生である。数学のような基礎科目の場合であっても,3 コースの全員が聴講するとは限らない。基礎である。自分で取捨選択ができるものは自分の責任だから強くは言わないが,本当にそんな聴講の仕方でいいのだろうか。結局,例年の 2/3 くらいの受講生しかいない上に,例年単位が取れない学生さんは数名しかいなかったものが,今年度は 20 人くらいが落とした。ちなみにカンニングペーパー持込可の試験である。
構造系の授業は,もう構造系コースの学生さんしかいない。振動学つまり物理学の基礎科目でも,担当する教員が所属する構造系コースの学生さんしかいないように見える。今年度は特に少ない。大学というのは「学ぶ」場所であって「習う」場所ではないことは前に書いた。「学ぶ」ことは「単位を取る」こととは同義ではない。聴講することは単位を取得することとは同義ではないからだ。しかし,卒業単位取得の見通しがある程度立ったところで,自由な時間を作る傾向が,特にこの 10 年くらいで非常に高くなっている。例えば,水曜日を休日にするためにとか,午前中の授業を無くすように聴講科目を決めるのである。「学ぶ」ために大学に来ているわけではなく,「ゆっくり遊んで卒業して大学名で就職を楽に決める」ために来ているだけのようだ。だからきっと,現場に出て飯場のおっちゃん達と話をしていて,専門基礎的な技術用語すら知らなくて恥をかくのは学生さんの責任である。ガイダンスでは複数の先生が広く浅くまずは学ぶように指導しているのに・・・ざまぁーみろである。

2012年9月30日日曜日

日本放*協会

TV が改善されて個々をカードで特定できるのだから,民間の有料放送と同様のスクランブル・システムにしてくれれば,確実に料金も徴収できるし,観たくない人は選択できる上に,払わない人にはスクランブルができる。技術だけじゃなく人の心も含めて世の中がどんどん変わっているのに,国民が望む方向への法律の変更をしない政府・役人の怠慢ではないのだろうか。
ところでこのチャンネルの音量って,民放のものより若干高くないですか? おやじの耳が遠くなってから気付いたのですが,民放のチャンネルから切り替えた途端に耳にストレスが生じることがあるんですがねぇ。CM なんかの音量だけを上げるのは違反だったような気がするけど,のべつまくなしに他局より音量を高くしているのが問題無いのは何故?

2012年9月23日日曜日

ダイアルアップではありますが

実は今まで固定電話のダイアルアップを使ってましたが,いろいろ考えた結果,某社の 3G/4G モバイルにしてみました。自宅と実家の固定電話 2 台の契約変更とプロバイダの+α等による費用を考えて,自宅と実家および外ではメイル確認や稀なインターネット検索やチケット予約等が主であることを念頭に置くと,経済性を保持(ケチなだけ)したまま機能が高められる一つの有力な候補と判断したものです。おかげでブログ作成も,一段と速くできるようになりました。

2012年9月16日日曜日

ジンギレイチシン

論語は,当時の乱れた世の中を立て直すのに必要な号令を書いたものらしいが・・・先日アマ*ンコムを眺めていて見つかった内田樹先生の最終講義の本の目次から,「礼楽書御射数(順番は不確か)」というものも論語にあることを初めて知った。ジンギレイチシンと重複するのは「礼」と「智(「書数」に相当?)」か。ここいらが一番大事なのだろう。確か内田樹先生だったと記憶するが,人を「楽(文化的教養の高さ)」で差別してはいけないとあった(かもしれない・・・)ようにも思うが,この「楽」は精神的な余裕とでも解釈するのだろうか。「御射」は現在では何だろう。武器を見せるだけで取らずに近所付き合いをうまくやるということか(あぁー,日本はどうなっていくんだろう)。内田先生が書いておられるように「書数」が教育されているとすれば,最終的に個々人に必要で足らないのは「礼」ということになる。この教育は昨今うまくいってない・・・と僕のような無礼な人間に言われるくらい乱れている。ゴミの出し方,公共物の扱い方,出席の仕方,質問の仕方,研究室の訪問の仕方,食堂でのマナー,廊下の歩き方・・・大学内でも無数にある。本学工学部の教育改革案の中にも関連項目が出ている。
さて,「御射」の教育は「体育」と考えてみたらどうだろう。たいていは個々人ごとに「書数」とは両立しない。もちろん東大体育会の優良選手もいることはいるのであろうが。で,今学校では「書数」での順位付けをはばかる教諭・児童生徒・父兄はいないのではないか。しかしなぜ「御射」で順位付けをしてはいけないのだろう。運動会はみんなが手をつないで一緒にゴールで一等賞。なんで?

2012年9月9日日曜日

使いにくいものを作るのが日本建築の目標

予想していたことが起こった。工学部の食堂周辺が,景観や建物だけではなく什器も含めて,また施主や設計者・施工者が一体となって工夫して建設したということで,建築関連の二番目に由緒のある賞を受けた。あの使いにくい食堂のことである。大きさや形の違う机がランダムに並んでいて,誰もいないか少人数が静かにしているときのみ意味がありそうな什器の並んだ学生食堂のことである。使うのが不便な旅行仲介カウンターのあるあの購買店舗のことである。大人数ではとても使えない本棚配置の,あの書店のことである。僕の研究室の学生がいみじくも「建築の価値というのは一般人のそれとは全く異なる」と発言したあの建物群のことである。やっぱり。

2012年9月2日日曜日

そこまでして儲けたい

ある電話会社の TV CM である。料金が 5 年後にどうなるかの棒グラフである。左端が初年度で,画面の 2/3 くらいの高さだとしよう。右端は 5 年後である。高さは,画面の 1/5 くらいまで低くなるのだ。一見,料金が 5 年で 9 割くらい減るように見えるが,そのグラフの横には,左端が 4600 円ほど,右端が 4200 円ほどで,1 割しか減っていない。よぉーっく見ると,棒グラフの棒の下の方に二重の波線が端から端まで・・・
自動車の CM である。購入価格は表示されていない(あるいは見えない)が,大きな数字が画面にある。これは値引きされる分の額である。何か意味ありますのん? 自動車だけじゃないねぇ。他にも一杯・・・
「乗り換えるともれなくもらえる」自転車に乗っている友人や,「あなたの携帯が不便なことにあなたには責任無いのよ」と助言してくれる友人がいても,どうも自慢できるとは思えないのだが・・・
はっきり言って,下品だっ!

2012年8月26日日曜日

攻めに攻める大学教育は日本には向かないのか

新聞によると,中教審が「大学生の勉強時間@自宅を増やす取組みをせよ」と命じたそうで,反論として,教える側の質の向上がまずは第一という意見が出ていた。もっともである。僕のような教員を解雇するのだ! さて,どうやったら勉強時間が増えるだろう。我が大学でも悩ましい対応(後述の四学期制も含めて)を模索しているようだが・・・
さて宿題はある程度の数を出している。最初の数回の講義は導入なので,その後の 10 講義くらいに 6 課題であれば十分だろう。しかし,いくつかを提出しない学生が少なからずいる。そしてそういう学生は期末試験でも失敗して単位は取れない。そしてそういう学生に限って不合格試験後,「何かレポートで浮かしてもらえませんか?」と来る。もちろん拒否である。授業初回にそういう過去の経験・実績を述べるのだが出さない学生がいる。試験には A4 一枚裏表自筆用紙持込可としている。カンニングを抑制する効果もある。が,しかし,採点して返した宿題の縮小コピーを今年初めて見た。確かに自筆ではあるが,何のための持込用紙かが理解されていない。復習が大事,自分の言葉で習ったことを見つめ直して整理する操作が,持込用紙の作成なのだが。これも初回にそのように述べているが,馬鹿にはつける薬は無いということか。
上述の新聞では米国との勉強時間の比較があるが・・・米国は毎週末,金曜の午後は思いっきり遊ぶ,土曜は宿題をこなす,こなせないくらい多い場合もある,日曜の朝は教会で午後はまた宿題だ。一つの科目の授業は,60 分授業月水金 3 回か,90 分授業火木 2 回で,科目当り 180 分授業が 2 ヶ月くらいある。90 分授業が 15 回ある日本とほぼ同じだ。この攻めの講義で毎週末燃え上がって期末試験で燃え尽き,そしてすべてを忘れる。という繰り返しだ。まさにトレーニングである。しかし実力は日本の昨今の学生よりもついているのではないだろうか。詰め込み教育が悪いと,誰が言ったのだろう。基礎は詰め込まないと使えないのに。
ただし大学は覚える方式の学習場所ではないことは前に書いた。

2012年8月19日日曜日

オリンピックは特別

負けた選手を誰もけなさない。それなのに選手は謝るような発言をする。何か約束したかのような発言には違和感を持つ人もいるようだ。僕もそう感じる。がんばったんだからいいじゃないか。努力は報われるなんてことは,まぁ無い。研究も・・・とは余計なことか。
普段の J リーグの試合,負けた途端にサポータのブーイング。野球も同様で,かつ個人攻撃すらするようにも感じる。普段からスポーツには興味の無い人間にとっては,このブーイングが次への励ましとはとても思えないくらい過激で,なんでそんなことをするのかわからん。が,それとオリンピックとはどこが違うのか。国を背中にしょっているからか。プロとアマの違いか。そういえば高校野球も負けても差別しないが,これは相手が高校生だからかなと思っていたが,やはりプロとアマの違いか。プロには私企業が金をかけている。オリンピック選手には国が金をかけている(トレーニングセンターのニュースを見て初めて知ったが)。なら,後者にこそもっと厳しくあってもいいような気もするが。スポーツにはほとんど興味の無い人間が見ると,わからないことが多いようだ。
音楽家はどうだ。3 位入賞したらチヤホヤだが,そうでない人たちは公にすらされない。アマチュアの個人競技であるにもかかわらず厳しい状況ではないのだろうか。ま,けなすことは無いだろうが・・・やはりよくわからない。

2012年8月12日日曜日

違うんだと思うのですが,そうですね

前から学生さんの返答での違和感があったのだが,このオリンピック選手の返答のいくつかでその印象がまたひどくなってきた。なぜ,何も答えないうちに一旦の是認をするのだろう。語尾が上がっているならわかるよ。考えをまとめたいから「そうですねぇー,ちょっと考えさせてくださいねぇ」となるかもしれないが,そうは聞こえない。解説者は両方の意味で使い分けているのだが,学生さんや一部の選手はそれを誤用しているようにも聞こえる。
「宿題は全部自分でやったんだろ?」「そうですね。全部友人のを写しました。」「じゃ,試験前には必死に復習しなかったのか?」「そうですね。したんですけどね。」「出席はどうなんだ,毎日大学には来たんだろう?」「そうですね。十日に一回くらいですかね,大学には」「じゃ毎日アルバイト三昧かい?」「そうですね。毎日家でゲームしてましたね。」

2012年8月5日日曜日

アメリカの中途半端な真似

大学の単位認定では通常試験をして点数で表すが,授業の内容・目的によっては合否だけで判定することもある。アメリカの場合は,ある範囲の数の講義で,点数による成績報告なのか合否だけにするのかを選択できる。なぜかというと,その学期の平均点の低下が除籍に直接結びつくからである。
本学工学部でも,ある学期の成績がいいと次の学期に制限数以上の科目を履修できる。結果的には早めに卒業要件を満足させることが成績上位者にはできるわけだ。何がいいのかまったく理解できないが,それはともかくその工学部では,合否の成績判定に反対している。数値化して欲しいそうだ。例えば複数の教員が代わる代わる講義をするオムニバス方式の(いい加減な)講義がわが国にはある。工学部ではこれもレポート等で数値成績をつけるべきだとしている。しかし,いい加減な講義だから,中にはある学生にとってはつまらない内容の講義しかできない教員も複数いるだろう。そんな課題に対して,その学生はまともなレポートができるわけがない。それをさらに基準の曖昧な判定で数値化されたら,学生はたまったものではないだろう。米国の丁寧なシステムとの思想的な不具合がよく見える。なんとかならないものだろうか。

2012年7月29日日曜日

ペーパークラフトを峰打ち!

仙台市教育委員会開催行事で,中学生に橋のペーパークラフトで工作してもらった。ケント紙を型紙として与え(線を予め引いてある),それをデザインカッターで切り,グルーガンで接着して組み立て,重りを載せて壊れる重さを測定するのである。
テーマは事前に提示してあるから,ある程度は器用な子供達だと想像していたのだが,まさかの連続であった。まず定規に沿ってナイフを動かすことができない。ずれはじめても止めないで切り続ける。深く切ることができないから,何度もなぞってずれていく。何よりも驚いたのは「峰」を紙に当てて切ろうとする。注意しても,また持ち直すと「峰」を当てる。ナイフを「見たこと」もないのかもしれない。
一緒に指導してくれた助教さんの観察では,「このナイフ切れないなぁ」と指に刃を当てようとしたというのだ。なにしろ朝,すべてのナイフの刃は新しいものに交換してあったから,力をあまり入れなくてもケント紙は一回のスライドで切れてしまう状態だったはずなのだ。大事には至らなかったそうだが。
小学生には危険だからナイフを使わせないとか。鉛筆が削れないのは知っていた。しかし,この行事,ちょっと間違うと訴訟問題に発展するかも。ちょっと怖い。今後どうしよう。しかしですよ,ものづくり云々と言っている国の中学生(多分平均的な生徒だったと想像するのだが)がこの程度で,将来は大丈夫なのでしょうか。

2012年7月22日日曜日

ディフェンスはプレゼンテーションではない

朝日新聞でプレゼンテーションに関する連載がある。あまり読んでいないが,大谷大学の鷲田先生という方が,「プレゼンテーションは営業で売り込むときに使うもの」,さらに「『わざわざ言うな水臭い』文化の崩壊で拡がったもの」という表現があった。僕も同様の印象を持っている。プレゼンテーションというのは一方的な自己主張(売り込み)。ディベートというのも一方的な詭弁の自己主張。「聞く」という行為が含まれない。このことも朝日のどこかに書いてあったような気がするが見つからない。
これに対し,研究発表はディフェンスであって,自己の主張とそれに対する反論の理解とその反論に対する正確で正直な回答から成る。しかし昨今の卒論発表や修論発表はプレゼンテーションのみで,質問以降はメチャクチャである。もちろん昔からそうだったが,昔はプレゼンテーションのところが泥臭いレポートだったからバランスが取れていた。質疑についての心の準備もできていた。しかし今はプレゼンテーションの部分がマニュアル的演技になっていて,そこばかりを練習し,自分の課題に含まれる問題点への疑問・質問に対する心の準備を疎かにするため,質問以降のディフェンスとの間のギャップが大きい。話が上手な人に限って,スライドは小さい字満載で,質問になると立ち往生。
ちなみに,鷲田先生は「研究発表」を「レポート」と呼んでいる。しかし,レポートというのはある程度客観的な報告で,嘘や誇張の無い点がプレゼンテーションとは違うようにも感じる。呵呵。ちなみに `report' の辞書の意味の最後あたりには「出頭する」というのがある。わかるだろうか。艦長が上級仕官に「ブリッジに集合!」というときに使うのである。呵呵。

2012年7月15日日曜日

マナー教育せずに・・・ネットや携帯

インターネットがあっという間に誰でも使えるようになり始めたとき,大学内でも種々の問題が発生した。その原因の大きな一つは,使い方の教育をせずに使えるようにしたことだ。大学生やひょっとしたら大学教員もソフトやハードの仕組を知らずに,推測でやりたい放題やって問題が生じたことがあった。同じことが携帯の普及である。
ウォーク*ンの有名な CM がある。猿が直立してヘッドフォンを着け頭を上げて音楽を聴いているというものだ。猿がとても神々しく描かれている。
昨今,歩きながらうつむいて携帯の画面を見る学生やエレベータ待ちおよび内で画面を見ている学生は,この猿以下の頭の悪い生物にしか見えないのは,この CM が頭にこびりついているからだろう。そして,そういった行動を世の中では非難・批判しながらも,飛行機の中でも電源を入れたままの者が後を絶たない。もちろんマナー教育をことさらしている様子でもない。さてこの 14 日から仙台市地下鉄全線で携帯が使えるようになった。使えるようにしておきながら,車内通話と優先席周辺での off を要望するのだ。メイルはしたい放題である。皆さん,そんなに多忙なのだろうか。僕なんか,電話やメイルが届かない場所にいるときが最も平安な気持ちでいられるのだが。

2012年7月8日日曜日

節電しながらライトアップ

TV の映像を見ながら奇妙に感じられてならないのだが,相変わらずスーパー等の大型店の電気はすべて on のようだし,僕の周りを見ると,某大学の門からの誘導路の両側には,無意味なライトが設置されている。街中も夜遅くまで明るく,これで犯罪が減っているのだろうが,逆に夜に出歩くことを容易にして犯罪の種をまいているようにも見える。某大学の某専攻では,環境系の教員の部屋の電気が不在時もついたままだったりする。僕らのように花形研究をしていない連中は,部屋にいても電気を消していたりする。ま,居留守を使うためにも便利ではあるのだが。
電力会社の値上げには反対しながら,普段から電気を使ってその会社を潤させているようにも感じる。スカイ*リーとかいう建造物も,何だか無用な明かりがクルクル回っている。見えない電波を扱う構造物が見てくれを気にするとは。僕らが間借りしている大学の部屋には緊急排煙窓しかないが,節電でエアコンの使用を減らすように圧力がかかる。結局排煙窓を開けるが,西側のためにブラインドを下ろすともう駄目。ブラインドが風でグチャグチャになるだけで,風も通らない。あと 2 年で完成予定の研究棟も全面ガラス・・・ということは,多分窓が無い。引っ越してから 3 年くらいしか使わない僕としては,エアコンをガンガン使わせてもらおうと思っている。

2012年7月1日日曜日

馬から落馬のような

消費税の増税,アロマの香り,アプリというソフト・・・うぅーむ。

2012年6月24日日曜日

創造力を最初から持った人はいない

某紙が某起業家に,どんな能力に自信があるのか選択式の質問をしたところ,一位が「創造性・ひらめき」だったそうだ。つまり質問の箇条がおかしい。先天的に創造力を有する個人はほぼ零だと僕は見ているからだ。ひらめき,つまりセレンディピティは問題に深く長く接して悩み続けること無しには得られないものであり,これには先天的な創造力は関係無い。必要なのはシミュレーション,つまり想像力である。問題を解決する答を頭の中あるいは試作によって求める。それが駄目なときに,その状況を踏まえてまた想像して次の答を求めていくという「行動」そのものが創造物を生み出す可能性を高める。結果的にその成果だけを他人が見ると「高い創造性」に見えるだけだ。
パスツールの言葉に `Chance favors the prepared mind.' というのがある。

2012年6月17日日曜日

低燃費タイヤ

この特に 20 年くらいの工業技術の進歩はすごくないですか。メモリが格安になったことなどです。なのに電気系の入試での人気が低い・・・さて材料・化学分野はもっとすごいですね。こちらは入試の倍率も上がっている。最近経験したのは車のタイヤである。
石橋さんのエコピ*というタイヤに今年換えた。その前もプレイ*というタイヤで,それに換えたときも燃費が良くなったのだが,その2割程度かあるいはそれ以上,さらに燃費が良くなっている。問題は,よくころがることである。前の車に近付き易くなったような気がする。

2012年6月10日日曜日

我が国独特の良い教育制度を提案できない文部科学省と大学

種々の教育上の議論では必ずといっていいくらい「海外(具体的国名付き)では・・・」といった言葉が現れる。国際化というのは英語を使えて海外に友人がたくさんいるということらしい。受け入れ先とは金の関係が無いプレッシャの無い若手教員の海外研修に,交付金から援助しようという本末転倒な議論をしている。明治時代以降の,お手本を海外に求める体質が文部科学省と大学周辺には未だに残っているらしい。というよりもそれが根本にあるというのは何故だろう。国内からの企画発信力が無いからでしょうねぇ。留学した僕が言うのが最もおかしな話ではありますが。
せっかくサバティカルという制度が米国にあるのであれば,金の関係の米国教員を招いて日本人学生の研究指導をやらせて,1年以内に最低1編の論文を出版させる方が,よほどやり易いことではないのだろうか・・・ま,これも米国の真似ではあるのだが・・・現在の日本の大学の規定ではそれもままならない状況だ。
米国での恩師の記念シンポジウムに招待された大学教員は,その恩師と金の関係を結んで夏休みや海外研修を過ごした人たちが大半である。いいところは,この米国の恩師が(元)日本人であり,米国滞在中も日本語で研究ができたということではあるのだが。

2012年6月3日日曜日

大学教員は倫理観が低い

本学工学研究科の入試で問題漏洩があった。本人は,そのレベルではなかったと表明したと記憶するが,処罰された。ここがまず問題である。そしてもう一つの(多分本学特有の)問題は,その後作題者から誓約書を取ることを議論し始めた(一部実行済みなのが悲しい)ことである。とても恥ずかしいことだと思う。つまり,本学工学研究科の教員は倫理観が他機関の教員に比べて非常に低いので,誓約書で防止しようというのだ。しかしだ,今回の本人の表明を見る限り,誓約書制度に意味が無いことは火を見るより明らかである。本人は悪いことをしていないと思っているのだから,誓約書を書いていたとしてもこの人は同じことをしたであろうからだ。
他大学に勤めたことがないからわからないが,この大学には変なところがたくさんある。どこの成人式で「私は犯罪は犯しません」という誓約書を取るというのだろう。当たり前のことを敢えて誓約書にする文化の存在意義が理解できない。もし今回の誓約書が実行に移された暁には,本学の新任教員は「セクハラ・パワハラをしません。」「某総長が行って認めたような論文二重投稿はしません。」「通勤時のバス等でわいせつ行為はしません。」「校費の違法流用はしません。」「構内では喫煙しません。」・・・と,山ほどの項目を記した誓約書に署名させられることになるんだろうなぁ。
でも,確かに,科学研究費や運営費交付金を違法に使った報告も山のようにある。やはり大学人は非常識なのだろう。非常識でないと研究なんてできるわけがないという意見もあるが・・・

2012年5月27日日曜日

「コンプする?」TV の役目

何度も書くが「アポイント」はやめろ! である。しかし「アポ」というのはよさそうに思う。盲腸を「アッペ」と呼ぶのに似ているし。というように確たる法則は無いが,略すなら若い人たちの間の新語のように略しつくすのならいい。しかし「アポイント」は英語を知らない馬鹿が使っているように聞こえてよくない。ただ「パラスタ」は駄目。略す必要が無いくらい元が短いし。
さて,若者から老人までに人気のある歌手兼俳優が TV CM で `congratulation' と叫ぶのである。超訳するなら「めでと」である。どうして影響力のある者に間違った言葉を使わせているのか理解できない。「コンプガチャ」? ガチャガチャを知ったのも数年前であるが,コンプリートの使い方は本当にこれでいいのだろうか。「スルー」もそうだし,有名なのは「スケルトン」である。「骨格」なのがいつのまにか「透明」になった。やっぱ,小学校からの英語が必要なのかねぇー・・・そうは思ってないが・・・

2012年5月20日日曜日

あっ! ポイントを取る

あるニュースでのインタビュー。答える人は「アポイントメントがとれるので・・・」という発言であるのに対し,字幕は「アポイントがとれるので・・・」だ。TV 会社の考えていることが全く理解できない。これが,小学生から英語教育を始めることによって改善されるのだろうか。疑問だ。

2012年5月19日土曜日

言われないことはやらない学生さん

学期始まりに,ある先生(僕ではない)がアシスタント役の学生さんを連れて教室に行きます。するとプロジェクタの接続に問題があって,先生は何かブツブツ言いながら部屋中を何か探し始めます。アシスタント役の学生さんは,配付資料を持ったまま椅子に座って待機しています。こういう風景はごく普通のことです。学生さんにとって,これはちっとも変な状況ではないのでしょう。こういう学生さんが就職しても大丈夫なのでしょうか。
大学教員というのは,人材育成をする役目を持っていますが,こういう学生にやるべきことを教える役目も持っているのでしょうか。うぅーむ。困っています。
しょうがないから,暇つぶしにその部屋に来ていた僕が,その先生の探し物をみつけてあげました。

2012年5月13日日曜日

犬はテレパス,パートツー

子供の頃借家にいたものの,犬を屋外の犬小屋で飼っていた。犬小屋は金網で結界が張られていて,出ることはできない。そしてその犬小屋からは,隣家である大家さんの玄関はもちろん,大家さんの家全体も全く見えない。また,我が家の勝手口も犬からは見えない位置にあった。
さて,大家さんの奥様が玄関を「ガラッ」と音を立てて開ける。うちの犬は吼えない。そして何も起きない。次の日,また大家さんの奥様が玄関を「ガラッ」という音と共に開ける。何も起きない。またまた次の日,「ガラッ」という音を立てて大家さんの奥様が出ておいでになる。その途端にうちの犬が吼え始める。玄関の音の直後にである。するとその奥様が我が家の勝手口から入ってきて「こんにちは」ということが起こるのである。
玄関の開け方だけで,かの犬は,隣家の奥様が我が家を訪問するのかどうかが予測できるというのだ。不思議である。

2012年5月12日土曜日

犬はテレパス

友人宅玄関前で pick-up のために車中で待機。これまで一度も吼えられたことがないし,その向かいの家に犬が飼われていること自体知らなかった。さて,ずっと後ろの角のお宅のご主人が自転車で通過する。奥様が道に出て見送り,ご主人は角を曲がるときに手を振りながら出かけるという,とても仲のいいご夫婦だ。そして何も起きない。前方右 3 軒先のお嬢さんが玄関を出てこちらの方へと徒歩で通過。何も起きない。
ところがである。前方左 4 軒くらい先から男の高校生くらいの青年が出てきた途端,向かいの家の窓枠バルコニーに,突然小さい犬が飛び乗って現れ,そちらの方向に顔を向けて吼え始めた。こちらに歩いてくる青年はというと,その家からできるだけ遠い方の道端を嫌そうな顔で歩いてくる。犬は家の中から吼え続けているが,出てこられないし,お座敷犬とも呼ぶべき小さい犬なのにである。しかし犬は,彼の姿をずぅーっと追いながら吼え続ける。彼が見えなくなってしばらくしたら,窓枠から消えた。
この青年は犬が嫌いなのだろう。そして,そのことをこの犬はどこかで知ったのだろう。あるいは,歩く姿を見て直感的に犬の敵だと思ったのだろう。それはそれで納得がいく。しかし疑問は,その青年の姿が 4 軒くらい先に出た途端にかの犬が窓際に駆け上がったことである。不思議である。

2012年5月1日火曜日

福島原発のストレステスト

素人なので新聞や TV のニュースしかソースが無いが,福島原発のストレステストはしないのだろうか。どうせコンピュータシミュレーションなら,設計図さえあればできると想像する。それを一応中立の 8 大学でやって結果を公表すれば,一般の人々はある範囲で納得できるのではないだろうか。例えば 8 大学すべてで否だった場合は,今回の結果は火を見るより明らかであったわけで,それを事前に確認しなかった東京電力の今後の(過去の政府の対応も含め)対応はある方向で決まるであろうし,8 大学すべてで良だった場合は,ストレステストそのものの信憑性が全く無いことを説明することができる。きっと結果は,いくつかの大学で良となるのだろうと想像するが,そういう確率論的な意味でしか構造物を設計はできないことを,ようやく社会に広報できることになるいい機会だろう。
先日,国営放送で某作家の日本が沈没する小説のドキュメンタリがあった。その中に「建築学者」が出場し,なぜ阪神・淡路でインフラが壊れたかの質問に対して「想定しない地震の規模だったから」と答えたとか。ま,「建築」というところが,この放送内容と担当職員の能力に関する信頼性について極めて疑わしいところであるが,それは横に置いておくと,「想定」という言葉も国営放送局が加えた演出ではないかと思う。「土木」技術者なら,ある「確率」で起こる可能性のある地震に対して設計したと,きちんと表明するはずだからだ。いずれにしても,原発がある確率の元で危ない,あるいは安全であることは明らかだ。それ以上も以下の言えないのが土木技術者であって,それをごまかそうとしているのは土木技術者ではないと思うのであるが・・・違う?

2012年4月22日日曜日

英語が小学校で始まるぅ

ハンバーガーのあのパンのことを TV ではよく「bang-zoo」と呼ぶようだ。綴りは `buns' らしいのだが・・・よくわからない。大売出しの `Now on sale' の「オン」もとても大きな声だ・・・よくわからない。小学生用の予備校でしゃべる教科書が `Can you lend me yours?' と言っているらしいのだが,この `me' 以降がよく聞こえない。僕の英語力はその程度だ。`Can I borrow your なになに?' ではないのだろうかと思いながら・・・30 年前にここに来たとき,先輩の先生(複数)が「新幹線のアナウンスの英語版の一番最後は何と言っているのか」と聞いてきた。お二人とも海外出張もなさる世界的にも著名な学者先生である。`thank you' と言っているだけなのだが。
こういうところが,あと 10 年もすると改善されるのだろうか。ならいいのだが。

2012年4月21日土曜日

入試問題の答を公開してはいけない・・・のか?

資格試験問題の解説本を書いた人が警告されたようだ。拡張解釈すると,入試問題の答を公開してはいけないとも取れる。が,作題者ではなく,予備校等で出しているのは合法なのだろう。実は僕は自分の講義ノート(ネットで公開)に,ある試験の解答を完全収録している。これは,構造力学教育および勉強や教科書への批判のためにしているのだが・・・ちなみに,3 月 17 日の新聞(宮城版)に掲載されている『院試前に「有利な」問題』という見出しの記事に出てくる「50代男性教授」は僕ではないよ。
が,しかしである。宿題や定期試験の模範解答を求めるのはやはり止めてくれないだろうか。そもそも良い問題(と自慢できるほどのものではないが)はそんなにたくさんは考え付かない。そして自分で考えるのが大学での学生さんの仕事であり,それでもできないのは実力だからだ。僕も学生時代の講義ノートにある宿題や課題を今見ると,答がわからないものが少なく無い。しかもだ! 先日,大学院@米国の試験問題と僕の答案が出てきた。読んでみた。どうしてこんな難しい問題が解けたのだろう・・・と思うくらい,もう理解できない。そんなものだ。高校までの何でも解ける・解き方がわかるという教育もどこかおかしい。全員が理解できる教育なんて中学校以上では無理では?

2012年4月8日日曜日

津波対策施設は津波では壊れない

相変わらず津波対策の図(新聞などの素人用)には,海岸から離れたところに盛土をして住宅地を・・・という絵がある。
今回の仙台の被災原因を見てみよう。ほとんどが津波だろうが,もちろん地震動で壊れたものもある。我が大学の「建築の学科」が入った「建物」が代表だ。呵呵。しかし市内を眺めると,斜面の住宅地にも壊滅的なものも多数ある。原因は津波じゃない液状化でもない。それが盛土部である。地震のたびに,例えば高速道路の盛土部が崩壊している。それを我々は知っているはずになっている。なのに復興計画は盛土だ。
うぅーむ。また 500 年後くらいに大きな津波が来るのだろう。そして,二重三重にはりめぐらせた対津波構造が津波の遡上を小さくあるいは遅らすことができるだろう。しかしこの盛土部の住宅地では,津波からは全く影響を与えないまま地震動ですべりや地盤沈下が生じて,また問題になるのかもしれない。人の力には限りがある,土木技術はある決めた確率で安全性は保証できない,という重要な二点を再確認した大災害の直後も,考えることは安直なことばかりではないのか。精度という観点から見れば,土の挙動なんてほとんど何も予測できないのとちゃうの。

2012年4月7日土曜日

トイレは*号車にあるって・・・わからない

JR 新幹線で,車掌さんによっては前後のことを付け加える人がいるものの,車内電光掲示板では号車のみの表示しか無いトイレの位置。とても不親切だと思うのだが,長年,このままである。
子供の頃クイズのような本で,あるおじさんが孫か誰かに「君の好きな絵本の 5 ページと 6 ページの間にお小遣いを挟んでおいたよ」と悪戯を言うのがあった。どこが変かおわかりですか? かなり嗜虐的なジョークではあるが,その話の筋は全く記憶にはない一方で,このページの記述は何故か鮮明に覚えている。出版の仕事を手伝ったときも,書籍は 4 あるいは 8 や 32 ページの倍数でできていることを知って面白いと思ったことがある。ただ両面印刷のページ配置は未だに即答できないが,面白い。
かなりの人間にとっては常識だと思われることも,実は老人や子供には全くそんなことはないことは多い。確か内田樹氏の表現だったと思うが,常識というのは数世代前からの連続したものを指すべきだというのがある。昨今の若者が仲間うちあるいは同世代だけの共通理解を常識と思っている間違いを,批判したものだったと記憶する。その常識ほどは生活に影響を及ぼすものでなくとも,ちょっと親切にしたらわかることは省略すべきではないと思うのだが。

2012年4月1日日曜日

政治家にはもっと頭がよくなって欲しい

首相の国民公選制・・・民主党を選んだ国民の愚を,国のトップに対して繰り返そうというのであろうか。理解できない。
先週は九州自動車道を古賀から鹿児島まで,ご先祖様五体道連れで走った。やや春を感じられる風の強い中で,初めての道路の運転であったが,快適なドライブだった。今年の春は遅いのか。

2012年3月31日土曜日

携帯電話と孤独死

仮設住宅でまた老人の孤独死だそうだ。友人に聞いたら,固定電話が無い世帯が多く,確認・通報システムが携帯電話には対応しておらず・・・ということだそうだが,携帯をお持ちなら,僕がおやじにやってもらっていることをすれば,少なくとも一日以内の差で生存確認ができる。それは,簡単ボタン携帯で民生委員に一日一回か二回電話をさせることだ。ただし通話の必要は無く,2 コールくらいで切るだけ。一方民生委員の方は,携帯かあるいは固定ならナンバーディスプレーにする。これで,その日に生きていたかどうかは民生委員は確認できる。
問題は電話が来ないときだ。うちのおやじでやっちまったことは,おやじが電話を忘れた日に限って,お隣から「電気が夜になってもつかないよ」という電話連絡があったときだった。耳が遠くて補聴器をはずしていたから,電話をしても玄関ベルを鳴らしてもわからない。おやじのわがままで鍵を誰にも預けていなかった。そこで警察に玄関を破ってもらったところ・・・寝ていた。笑い話で済んだものの,どんなシステムでも不具合はある。おかげで,仙台から鹿児島の警察に電話する方法を学んだ。仙台の 110 番さんには迷惑をおかけしたが・・・その後,鍵を友人に預けることをおやじもようやく認めた。

2012年3月18日日曜日

教育論は誰でもぶてて誰も正解が言えないの続き

学期毎の編入退学で問題になるものに,カリキュラムがある。学期毎に完結していても,その履修には順番があるからだ。留学中に学部 2 年生くらい用の複素数の初歩講義に座っていたことがある。どうしてだかは忘れたが・・・。一時間目が終わった時,これなら聞かなくてもいいかなと思いながら鉛筆をポケットに入れようとしたとき,一人の学生が質問の挙手をした。曰く「さっきから黒板にたくさん出てきた i(小文字のアイ)って何ですか?」だった。教師も驚き,ひとつ前の段階の講義を紹介した。ま,大学生が i を知らないことにも驚いたので覚えているのだが・・・
米国の場合は 4 年で卒業という固定でもないのだろう。だから,こういったシステムが活きていくことができている・・・・・・我が国は,大学は就職のための単なる通過点としてしか学生本人と父兄には思われていない。勉強する場所ではなくなっている。もはや何をしても無駄かもしれない。

2012年3月17日土曜日

教育論は誰でもぶてて誰も正解が言えない

朝日社会部の仲村和代氏が,「秋入学はいいことだが,秋だけ春だけがよくない。米国等のように学期途中でも入退学が・・」という趣旨(だったかな?)の論説を出した。もっともである。我が大学でもセメスタ毎に講義内容が完結する改革をかなり前に実施した。米国のように,『成績が 2 学期続けて「平均で良未満」ならその学期で無条件退学』とした上で他大学から各学期末に編入学できるのは,学生にとっても教員・大学にとってもいいことだろう。しかし,米国では入学試験が無いから学期毎の編入学ができる。また退学した学生を引き受ける他大学もあるのだろう,全く知らないが。
我が大学では,大げさに言うと毎月あるいは毎週入試がある。そのくらい多い。学部と大学院を合わせると,春入学試験に若干の秋入学試験・高専短大編入試験・推薦入学・留学生特別コース入試選抜・GCOE 等の専攻毎の入試選抜・AO II 期から IV 期の入試・学士編入学(残念なことに門戸を閉ざした学科があるが)と,既に 10 個ある。ほぼ毎月に相当している。特に学部の春入学のための試験問題作成は,まず素案を考えるのに一ヶ月間毎週末に徹夜をし,それから査読をして,印刷して間違いを正して完成させるまでが 4ヶ月くらいかかる。これを秋入学者に対してもやろうとすると,作題委員(誰でもやりたい仕事ではないことから集中する可能性有り)は一年中入試問題のことを頭の中に入れていなければならないという,異常な特異なストレス状態になる。間違いなくウツになるだろう。
しかし,学期毎の退学はお互いにとっていいシステムだと思う。これが僕が学生のときにあったら,今,こんな苦しい仕事はしないで済んでいるかもしれない。呵呵。

2012年3月11日日曜日

知らなかった

自分の不明を恥じます。失礼なことに,鶴田錦史氏が女性であることを知らなかった。学生時代に,お世話になった方に教えられて初めて「ノベンバーステップス」を聴いたとき,確かジャケットの写真でも男性だと思ってしまったし,30 年ほど前に鹿島建設配布のビデオをいただいて見ても気付かなかった。あの力強い演奏を見て・聴いて,ま,男性だわなぁと自己弁護をしたくなる。朝日の書評で初めて知り,あらためてビデオを見てみると確かに・・・失礼しまいた。
さて,武満徹の音楽。これはいい。緊張が続いたあとに急な弛緩が訪れて,聴いているこちらの心も優しくさせられる瞬間がある。「ガーデン・レイン」というのは,ブラスアンサンブルのためのピアニッシモな曲である。田園地帯の霧雨の静寂の中といって風情だが,この矛盾するような組み合わせの中で緊張と弛緩が発生する。とてもいい。

2012年3月10日土曜日

冷凍食品はすごい

東京大学出版会の PR 誌を愛読しているが,そのなかのとてもユニークな随筆で,冷凍の讃岐うどんがうまいという記述があった。うぅーむ。試してみよう・・・と近くのスーパーに行くと果たして並んでいる。買ってパッケージを見ると,中袋に入ったままチンするだけのようだ。別途,めんつゆで汁を作って食べてみた。なんと! 絶句に近い。うまかった。
震災で 3 日間だけ停電したが,その後もガスが一ヶ月以上止まっていたため,電子レンジをよく使ったし,そういう食品がたくさん売られていた。実はその前からも冷凍食品にはお世話になっていたのであるが,味の*の「チャーハン」と「餃子」は絶品だ。困ったことに量が多い。なぜ困るかというと,一食分をチンして食べたあと,残りも食べたくなってしまって,結局はチンしてしまうからだ。
冷凍食品というのは誠によくできている。豚まんやピツァもそうだ。生活習慣病の人間にとっては毒ばかりが並んでいて,それがうまいときているから大問題である。

2012年2月26日日曜日

おもろい変人

「白い恋*」のメーカーが某メーカーの「面白い*人」を訴えた。なら,全国で売らなければいいのではないか。「白い恋*」が北海道内のかつ狭い地域の売り場でのみ売っていれば,それ以外の地域でどんな類似商品が出回っても全く問題が無いのではないだろうか。
たまに利用する銀座ウェ*トのクッキーは,原則(ネットを除く)東京でしか売っていない(海外に一箇所だけあるのが不思議)から,類似商品が他の地方で売られていても,消費者は似て非なる商品であることがすぐにわかる。特にその愛好者なら確実に間違うはずがない。だって東京以外では売られていないことを愛好者は知っているからだ。
ギスギスした雰囲気が最近満ちてきているような気がしてならない。中国の類似コピーについても一般国民は,実は面白がっていたでしょう。そういうおおらかな心で大阪人の悪戯を眺めれば済むことである。
しかしだ! 他人の著書や論文にある図に非常によく似た図を描いて,自分の修士論文やら卒業論文やらに入れるのは違法だっ! 学生さん! 注意!

2012年2月25日土曜日

お肉の味よりソースか

某ハンバーグレストランの TV CM を見ていたら,ビーフ・ハンバーグがせっかくのレアなのに,それを何かに押し付けてジュゥー! せっかくの肉のアクの味を消して食べるのがマナーなのだろうか。なら,最初から火を通してもらったらいいのではないか。肉が好きなの,それとも・・・
アメリカで,某レストランのハンバーガーはレアでも頼めた。もちろんハンバーガーとは言っても手では持てないからナイフとフォークで食す。食べているうちに白い皿はうっすらとした赤で覆われるのである。これがうまいのだ。付け合せはオニオンフライだったが,これも Boge Cube のような(一部の人間以外には理解できないかな)いでたちで出てきて,これもまたうまかった。こういう肉は日本人には合わないではないかと思わせるような CM だ。どうなってるんだろう?

2012年2月19日日曜日

常識と冗談,パートツー

蛸は英語で「オクトパス」である。オクターブとは「8 度」の音程差である。八重奏は「オクテット」である。つまり,「モノ」「ジ」「トリ」「テトラ」を知らなくても,「オクト」が `8' だということはわかるだろうと思ってそれを伝えたあと,じゃ,なぜ十月のことを英語で `October' というのか? と訊ねて答えられる人がいない。若者だけではない。僕よりちょっと若い人でもたくさんいる。
そこでさらに,「シーザーのことは知っているか?」と訊いてみると「知らない」というのである。もう,どうしたらいいのぉー,であるよね。内田樹さんの嘆く通りである。猿が出てきて何かしゃべる TV CM で,その猿を「カエサル」君と呼んでいたと思うのだが,これは何なのかも理解されていないのだろう。今後の日本は果たして・・・

2012年2月18日土曜日

常識と冗談

ある友人が,「蛸」のことをフランス語で `ashihapponne(アシハポォーン:スペルは下に出てくる別の友人の創作)' と言うと教えてくれたことがある。したがって? 「イカ」は `アシジュポーン' である。これを,某大学生 A 君にそのまま教えてやったあと,その教えたことを別の友人に言ってお互い笑っ合った。するとそのあと,その友人がさらに,その A 君に「複数のときは `レザシュァポーン' になるのよ」と教えた。そのあとで僕に A 君は,その複数のことを丁寧に教えてくれた。
こんなことで,我が国はどうなるのだろう。内田樹さんが随筆(「街場の大学論(角川文庫)」)において,受験で必要なことしか学ばないから常識が無い国民が増えたという趣旨(もっと重い話だと思うが,使われている漢字や語句が難しくて僕にもわからなかった・・・呵呵)のことを述べている。まさにそうである。どうしたらいいのでしょう。ちなみに `See you tomorrow.' はスペイン語で「あしたまにあわない(明日間に合わない)」なのだが・・・

2012年2月12日日曜日

すいません,たばこ,のみます

うちのおやじが文句を言っています。例えば TV などで,申し訳ないという返事を「すいません」と言い,また文字としても表示されてしまっていると・・・うぅーむ,どうなんだろう。ま,多くの人は「どうでもいい」と思うだろうねぇ。と,この「いい」も口語でしかないという文章を見た記憶もある。ま「どうでも良い」のであろうが・・・「コンニチハ」も今じゃ「こんちは」「ちわ」だし・・・「すんません」はよく使う。
おっと,またぞろ「ケンミンショー」である。「ん/ない」の文化境界が糸魚川静岡構造線あたりにあることを知った。西が「ん」文化だ。「いらん」「知らん」「行かん」「来られん」「せん」「しきらん(ん! これはかなり訛っているか)」「うちん家(ゲェ)」「んにゃ」「んだもしたん」呵呵。僕は全国区だと思っていたんだが・・・
ところで,山口瞳さんがおっしゃってます。たばこは「すう」ものではありません。「のむ」ものだそうです。言葉は正しく使いましょう。

2012年2月11日土曜日

電子レンジを発明した人は偉い

電子レンジはどのくらいお使いだろう。たいていは「暖め」だけではないのか。が,しかしである。最近は驚くべきツールが出回っていて使っている。
まず第一は「ゆで卵製造器」である。生卵を入れて『チンッ!』でいい。半熟も可能だ。コレステロールを上げるには最適な装置である。次に「パスタ茹で器」である。乾麺を入れて『チンッ!』で終わりだ。しかもである。各社から「和えるソース」もたくさん出ている。15 分でおいしいスパゲティができあがるから,惣菜をコンビニやスーパーで買ってくれば一食終わりである。同じ機能のものに「インスタントラーメン製造器」がある。これは,まぁ,なくてもいいかもしれないが,火を使うのが心配な人たちにとっては便利である。父に送った。
少し高級なものに「蒸し器」がある。「ル*エ」という商品名のもので,何故か輸入販売の仕方によって値段がかなり異なる。これも,料理を作るのは想像力がかなり必要だが,温野菜は簡単である。これと上述のパスタやラーメンがあれば,これでまた一食終わりである。附属のマニュアルを見ながら「野菜の牛肉巻き」も簡単だ。10 分でできる。そしてまたしても,しかもである。各社から「ソース」が出ている。例えば「おろしのタレ」でこの肉巻きは絶品になる。焦げることなく柔らかくできるから,年寄り(父)にも受ける。
さて,極めつけが「餅焼き網」だ。「網」とあるが,プラスティックでできた大根おろし器を大きめにしたものを想像すればいい。水で濡らした餅を乗せて 1 分「チンッ!」で,搗き立てのようなトローリ柔らかい餅ができるから,大根おろしでも海苔でもおいしく食べられるのだ。スゴィ! 納豆も人気だが,大根おろしが一番である。

2012年2月5日日曜日

消費税と大学

消費税アップだそうだ。確かに諸外国と比べて低いらしい。また地方税が嗜好品(酒など)に課せられていないことは前に書いた。
さて,不景気になって一般国民は支出を抑えざるを得ない。金が無いからだ。しかしこれは,一部の本当に真面目に困っている家庭以外は,耐乏生活というのではないのではないだろうか。バブルの時代のことは特殊だったと自覚した上で,普通の生活を始めているのではないか。バブル時代のように,買わなくてもいいものを買わない。当たり前の普通ではないのか。最初の車検の前に新車に買い換える? 馬鹿な! と僕は30年前に思ったものだ。
では,国は支出を抑えているか。否,役人の頭の中はバブルの時代のままなのだろう。予算を獲得することしか考えていないように見える。大学内の財務でも同じだ。事務は予算を余そうという努力はしない。赤字を何とも思っていない。余ったら取り上げられる,次年度減らされる,という文部科学省あるいは財務省の悪弊が未だに大学内にあると信じている。くだらない。余す事務部署の方が優秀なのに。大臣が官僚に洗脳されているという噂をよく聞くが,大学内も事務職に太刀打ちできる教員が極めて少ない。

2012年2月4日土曜日

節約は大学でもできる

朝日新聞に私立高校教諭の頼富雅博氏が,大学の学費を下げる努力を大学当局はやるべきだと主張している。
大学の運営費交付金は毎年 1% ずつ下げられている。そして,研究費は外部組織から得るように指導されている。もちろん実用性等の観点から,基礎的な学問には外部資金は得にくいから,やはり学生さんからの支援で研究をせざるを得ないものもある。しかし,特にこの震災後,研究費を節約せよという声は内部には全く無いのも事実である。仕分けをされたときは,学長や総長・ノーベル賞受賞学者が TV にまで出て研究費削減に反対をしたのだが,震災支援のために例えば 5 年間は研究補助を半分で我慢しようという声は全く出てこない。それどころか,災害の研究をもっとやらないといけないという概算要求を出し,役所がそれに満額回答に近い対応をしている。被災学生の宿舎を on campus に造るための経費を計上している。大学が本当にこれでいいのだろうか。
裏の噂には,いろいろ灰色なことが出てくる。同じテーマで二つ以上の外部資金を得てはいけない規則の資金を複数得ているといったこともある。これは,その資金を出す側の不勉強と怠慢が主原因ではあるが,申請する側も遠慮というものをしたらどうなのだろうと思ったりする。孔子の時代のように仁義を我が国でも説く必要が生じ始めているのだろうか。前にも書いたが,文部科学省が支援すべきテーマの質と,その他省庁がすべき質は異なるべきである。しかしそうはなっていない。

2012年1月29日日曜日

ハングルは平仮名

「阿弥陀」が `ameter' というのと似ている話である。留学していたときに S 君が語った面白い話である。彼はあるとき韓国人と話をしていた・・・そういえば,韓国人チームと日本人チームでソフトボールをしたとき,2 塁で問題が生じ S 君が走って行って交渉をしているのを,見ていたベンチの我々には,彼が韓国語をしゃべっているとしか思えなかった・・・呵呵。閑話休題。
その彼が語った韓国人との会話は,「迷路」のことだったそうだ。もちろん共通語の英語で会話をしていたはずであるが,韓国人が「メイズ」と言っているのを,最初 S 君は「迷路」を音読みしていると勘違いして,韓国語でも「迷路」と書いて音読みに近い発音をすると思ったというのである。いや,面白い。

2012年1月28日土曜日

何が本質なんでしょう

小中学生の全国学力テストの一部の問題を公開しないとか。その非公開問題は毎年出して学力の変化の指標に使うとか。本末転倒もはなはだしい。何のために試験をしているのでしょうねぇ。学力アップが第一義であって,「ついでに!」その結果を『専門家』が分析して変化を研究するべきではないか。もちろん問題そのものも『専門家』が作るのであるから。どうせその非公開問題も,かつての国家公務員試験問題と同様,生徒の記憶から漏れるものであるし,しょせんいい問題というよりも型通りの問題だろうから,ますます意味が無い。小中学生の能力が落ちたばかりか,テスト出題および結果を分析する研究者・教育者の質も相当に落ちているのではないか。
かつて入試問題を作ったことがある。数年前からの傾向を見ながら,予備校の反応を見ながら,高校からのクレームを背中に感じながら,決して同じ問題ではないものの,同じ分野の理解度を同じくらいの点数にできるように作題・配点するのである。毎週土曜は朝から日曜の午前様を 5~6 回も費やして作り上げるのである。微調整を経た最終版までには半年以上かかる。少なくとも僕が関与した数年は,予備校から(一応中立で高校教諭の気持ちも理解しているという前提で)「良問」という判定をいただいて,あの作題の苦しみを少しだけ忘れることができた。役所には,テストはもっと真面目にやれと言いたい。

2012年1月22日日曜日

沈める寺

ドビッシーの曲である。さて・・・え? さて?
TV のクイズ番組を見ていると,問題が出た段階で司会者が「沈みつつの時間開始」と言うようになった。僕は知らないが,英語でも「沈思黙考」という表現があるのだろうと推測している。
民主党になってからカタカナが多くなったと思いませんか。どうしてこうなるのでしょうねぇ。みなさん海外で政治教育を受けて戻ってきてすぐの人たちばっかりなんでしょうかねぇ。だから子供っぽい政治しかできないのかな? 僕が留学から戻って書き換えのために免許センターに行ったとき,対応してくださった係長さんが仙台弁(多分)で何かおっしゃったとき `Excuse me?' と口に出かかって自らうろたえた思い出がある。そういう脳ミソの状況にあるんだろうねぇ。
そうそう,学生さんが使う英語みたいなものに「チョイス」というのがある。もちろん動詞としてお使いになるから,英語でしゃべっているときも `We choice ...' となる。すばらしい英語教育がわが国では行われているではないか。米国でも「牛の糞」も「かしわ(肉)」も動詞として使っている。

2012年1月21日土曜日

「土金」とは靴を脱ぐことらしい

前の研究室の床が OA 床になって,絨毯(といっても化繊だろう)タイルが貼られたとき,多くの研究室が土足禁止にした。靴を朝はいたら帰宅するまで脱ぐのが嫌な僕は,その部屋には極力行かないことにしていた。誰が履いたかわからんスリッパを履かされるのは嫌だったから,靴下履きで歩くこともあった。ところがである。上履きを使う研究室の教員は,その上履きのまま便所に行ってくるのである。おぉ,気色悪ぅー! なんじゃこりゃ。まるでちぐはぐであり,靴を脱ぐ日本の習慣とはどこか違っている。昨今どちらのお宅にうかがってもトイレにはスリッパがあるが,日本古来の風習としてトイレはどういう扱いだったのだろう。きっと素足で入ったんだろうなぁ。
したがって,自分の研究室は上履き禁止にした。それなのに,ここに来る学生や教員が靴を脱ぐのである。そこで「日本の『いい』習慣にならって行動せよ」と言って,靴を履かせていた。誰も理解してくれなかったが,靴は履いてくれた。
近頃ある TV CM で宴会シーンがあるのだが,スーツを着た社員と上司がスーツを着て,靴下履きで乾杯している。スーツを着て靴を履いていない光景に違和感を強く感じてしまう。靴を脱いで入る部屋なら上着とネクタイも取ったらどうか。極めておかしな習慣である。西洋の風習では,靴を脱ぐのは下着姿になるのと同じとかいうことで,エリザベス女王様がおいでになって和室に上がるときにどうするか,という記事を見たことがあるが,どうしたのかはそのうち森先生の奥様に聞いてみよう。確かニュースでは靴は脱いでおられたのだが。

2012年1月15日日曜日

近代フランス

プールの受付に人懐っこい女子大学生がいる。MG 女子大で音楽を専攻しているそうだ。いろいろ音楽の話をしているうちに,僕の好きな CD を貸すことになった。そもそもは,ミヨーの「スカラムーシュ」の楽譜と CD を貸すことがきっかけだったが,ついでにプーランクも貸した。すると,卒業演奏に「ナゼルの夜」をやることにしたとのことでとても驚いた。実は,彼女の指導教員はこの曲をご存知なかったらしい。ということは彼女が独学で練習したことになる。すごいねぇ,近頃の女性はぁ・・・楽譜も自分で取り寄せて,年末に演奏したようだ。結果がどうだったかは,ちょっと怖いので聞いていない。
極めて偏見のある印象だが,アメリカの FM(局ごとに違うジャンルの音楽を流す)の古典音楽放送局では,よくフランス近代が流れていたように思う。大学の音楽図書館にも,書き込みがいっぱいある同種の楽譜があったなぁ。アメリカ映画では,奇妙な人間だという風にフランス人が描かれていることが多いように思うが,実はフランスがお好き?

2012年1月14日土曜日

ユーザーズマニュアル

僕は博士のときの指導教員に,マニュアルの作り方がうまいと褒められたことがある。そこに後ほどいらっしゃったポスドクからも同様のお褒めをいただいた。ま,自慢である。
マニュアルや製品というのは,それを使う人になり切って作らなければならない。しかしよく言われるように,特にコンピュータの取り扱い説明書は難解だ。しかも最近はそれが紙ではなくコンピュータに内臓してあるので,何か必要なことを探すことすら困難な場合が多い。検索機能があっても,結果がたくさん有り過ぎて,どれが必要なのかわかり難いのだ。やはり紙の情報で,ある目的毎に章節建てがあって,類似する複数箇所で同一の対処法が重複して説明されているのに加えて,不足の無い索引が必須だ。
製品の例で,また悪口を書くと,建築物だ。本学工学部の昨今の建築物は,正直言うと,みてくれ「だけ」を追究し,使う人の希望を無視したものが多い。我々の実験室はそこそこうまく行ったが,これは設計事務所がよかったことと,僕が怒りまくったこと(呵呵)があると思う。設計者だけが悪いわけではなく,発注者がきちんとした意思を表明できていないことが多い。遠慮は禁物だ。どしどし文句を言って聞いてくれる設計事務所でない限りうまくいかない。本学工学部食堂も,結局は発注者が明確な反対を表明しなかったのではないか,生協が大学より地位が低いこともあって強いことが言えない,などの原因がある。しかしである。地震で壊れた研究棟の改築にあたっては,そこを使う我々が欲しくないものを強要してきて,あちこちで困っている。建築家は,使う人になり切ることができない人が多いようだ。

2012年1月8日日曜日

因果無く生じた量れない存在

先日,何かをぼぉーっと読んだのか,相変わらず TV のながらだったのか,「無量寿仏」というのが阿弥陀様であることを知った。以前書いたと思うが,実家のお坊様がある講話でお話しになったことが正しかったことを改めて知った。否定の `a' と量る `meter' から `a-measure' つまり `un-measurable' な存在を阿弥陀様 `a-me-ter' = 「あみた」と呼んでいるのである。不思議でしょ?
しかしながら,その存在を崇めるというのではないところが親鸞の偉大なところなんだろうね。阿弥陀様に念仏を唱えるだけでいいようにしてくださるのだから,念仏を忘れずに,しかし自らは精一杯仕事(いかにそれが下等な仕事への従事(悪人)であろうと)をして「生きる」というのが本質だと説いたのであろうと予想される。さらに,死者と仏と阿弥陀様の区別が曖昧なのもいい。やはり宗教ではなく哲学なのだろう。
と空想しながら TV のチャンネルを変えていたところ,ホーキング博士が出てきて,宇宙のはじまりには因果が存在しないとのこと。実は実家のお坊様が好きな講話はこの因果なのである。ひょっとすると真宗では,この「因果」というのが大事な概念なのかもしれないが・・・さて,この物理と阿弥陀様をどう両立させるのが素直だろう。

2012年1月7日土曜日

なぜ買い直すことが環境保全になるのか

土木構造物は滅多には造り替えることができないので,メンテナンスで少しずつシステムをより良いものに「更新」しながら使っていただいている。と思っているのだが。また,携帯電話の OS も,パーソナルコンピュータの OS も,各種市販ソフトにおいても,基本的には無料の「更新」で機能を維持あるいは向上させることを努力している。
なのにである。自動車はどんどん買い直せという国のメッセージしか聞こえてこない。更新するよりも廉いのかもしれないが,買う方としては完全にもう一台分の出費が避けられない。自動車だけではなく電気製品もそうだ。そうそう,学生さんが建築志望になるきっかけの一つに「云々 before after(and が抜けているし)」という番組がある。あれも,放送開始時の数件を除けば,ほとんどすべて「改築」である。少なくとも「更新」ではない。土木構造物だって「改築」できるんだったら,よほどいいものができるのは火を見るより明らかだが,それをしてはならない。
やはり,どこかおかしいとしか言いようが無いのだが。国も増税しか言わず,役人は経費節減はしないまま国債発行を口に登らせる。どこかおかしい。しかもである。環境対策が十分で無い自動車は,わが国では廃車になったとしても,それが他国に廉く流れてそこの環境を破壊し続けている。それを手伝っているのが,新車購入を奨める企業や国なのだが。そうそう,それを金のやり取りで解消しようという案もあったが,それもやっぱり全く理解できない。