2022年10月22日土曜日

ガクチカを大学にも適用しましょう

 そぉーかぁー。企業は大手も含めて,大学は勉強する場ではなく,そこで勉強以外に何をしたのかを重要視しているわけなんだ。だったら僕ら大学教員も,一部の勉強好きな学生以外は講義にも来なくていいことにして,あの 1/3 以上の欠席者は自動的に 60 点で合格させればいいし,4 年生も研究室に来ない学生の卒論は白紙に 60 点を与えればいいわけだ。それは教員側にもメリットがありそうだ。学生への丁寧な対応とか,大学に来ない学生の世話とか捜査とかしなくても済むなら,多くの先生の苦労が無くなりますねぇ。
 しかも,何やら学歴フィルター(学歴ってのは,大学名とは無関係に大学卒なら高学歴者だと思っていたが,どうやらそうではないらしい)とかいうので,就活で一部の学生の面接すら一切せずに(手抜きをして),エントリーを事前に断ることもできるらしい。これは大学に導入してもいいシステムかもしれない。在学中の学期末ごとに,個々人の成績平均が 70 点未満の学生には学習達成度フィルターで全員退学してもらうというわけだ。米国のまともな大学では昔からやっていることだ。これをすれば,戦力外の 4 年生に無理やり卒論をやらせる必要もなくなるし,そういう学生の面倒をみる苦労も無くなる。しかも,この退学組はサークル活動やら学外のボランティア活動等,勉強以外に「力をいれたこと」をやっていたりするだろうから,3 月末だけじゃなく,9 月末にも企業は求人できることになる。しかもその退学組の「ガクチカ」には立派な業績が溜まっているとくる。これは大学にとっても企業にとっても win & win の関係を保てるのではないだろうか。きっと退学する学生の父兄も,就職できるなら退学をとがめないだろうしね。

2022年10月19日水曜日

ガクチカを要求する企業って何?

 大学は勉強する場であって,アルバイトやサークル活動はあくまでもプライベートなことだ。大学側もそれをすることには全く協力もしないし,どぉーでもいいことだ。ま,部活は大学名を背負って競争してもらっているから別だけど。なぜ企業の就活において,大学ですべきこと以外のことを条件にするんだろう。全く理解できない。日本の企業というのは,どういう人材が本当は欲しいのだろう。40年前のように,旧帝大に合格した18歳をそのまま採用したい建設業の希望とは待ったく違うよね。大学の4年間が無駄だと言っているとしても,その4年間に学業以外で何をしたかは要求していない。うーむ。

2022年10月15日土曜日

マイナンバーカード 最近隠されている顔

 大事なことを最近口にする人・マスコミがほぼ無い。預貯金情報だ。健康保険証だけならまぁいい。しかし銀行口座を(給与・年金振り込み口座だけじゃなく貯金口座も)国が知りたがっているのがこのカードのもう一つの顔だったはずだ。カードはオプションとか言いながら,今回義務化しようとしている。そして隠された顔は今でもオプションだが,数年後にはまた義務化されるのだろう。今の首相なら,年金生活者の万一のためのわずかなタンス預金のようなものを投資に回せと言ってくるのだろうかねぇ。盗まれても個人情報は取りだせないとしているが,国の役所が取りだせないとは誰も言ってくれない。

2022年10月8日土曜日

メリットの無い逆行

 国民全員が持っている保険証を無くして,まだ半分も持ってないカードに集約するらしい。そのカードに記憶されている番号は米国の社会保障番号と同じ機能を持つ数字で,米国では持ち歩かないカードに書かれていて,それは最も重要なカードだ。我が国ではその同じ機能を持つ番号が記されたカードを病院だけじゃなく,買い物にも持ち歩かせようとしているのだが,大丈夫なのだろうか。システム変更だけでも,これまでの種々の政府関連のシステムのように不具合の不安があるし,またソフト会社に膨大な予算を当てるんだろうなぁ。

2022年10月7日金曜日

デジタル庁ができないわけ

 ディジタル庁じゃなくデジタル庁ができないのは,おひざ元のお役所も政治家も段ボールに紙の資料を入れて引越しの都度動かす状況だからでしょう。その面積がとれないことから 1 年以上前の資料はすべて廃棄する大臣もいるくらいで,同時に脳みその中の記憶も消去しているらしいしね。クラウドがフロッピより安全とはとても思っていないが,それすら使っていない。もちろんフロッピを使っているのは今や僕くらいか。講義等の試験問題はフロッピ保存が最適だ。盗まれてもその辺にいる人は読みだせないからね。

2022年10月2日日曜日

大学教育つづき

 もう一つ忘れた。大講義室だろうと 60 名定員の講義室だろうと,板書で講義をするのが基本のキじゃないのだろうか。僕は予習というものの効果は期待しない。習っても無い,聞いたこともない専門用語を自分で勉強するだけで手間になるだけ。講義を聴いたあとに復習することが大事なのは実感している。みんなにやって欲しい。予習は要らない。まずは講義で,系統だって整理された理屈をまず脳みそに入れたあと,教科書や文献等にある紆余曲折する論理展開を追跡しながら講義ノートの行間を埋めていくことで,初めてものの本質を自分で勉強できるのではないかと思う。少人数で意見交換をしながらの講義に何の意味があるのだろう。素人同士やプロと素人が意見交換して何の意味があるんだろう。米国の講義も日本のと同じだった(もちろん40年以上前だが)。違いがあるのは,日本の講義では学生が誰も講義中に質問しないこと。わかって聴いているのか,ただ板書を写しているだけなのかすら教員にはわからない。講義直後にも滅多に質問が出ない。しかし試験をすると,とんでもない(僕が学生だったときのような)答案が出てくる。

朝日の大学についての社説

 うぅーん・・・改善する提案なのか改悪する提案なのか。前半の手厚いサポートというのは,大学は就職予備校であれと主張なさっているようなものだ。それでいいのか。教員が今問題にしているのは,研究時間が不足していること。他国に比べて種々の評価が,大学でしか行えない活動内容について下がっていることだ。一切触れられていない。僕も大学は教育機関だと思っているがその基盤には教員の第一線の研究成果がある。僕が言っても説得力は全く無いが。
 後半は社会人のリカレント教育。ただでさえ時間が無い,社会貢献や地域貢献は少なくしたい大学人に,今もやっているリカレント教育をさらに充実させよという主張だ。西野先生から以前怒られたが,リカレント教育は研究の最先端に触れる教育。工学部であっても,すぐに現場で使えるような研究は半分くらいしかないだろう。そういうものを,仕事で手一杯の技術者が 10 時間くらいの集中講義で得るものがあるのだろうか。修士や博士の学生にもっと講義を受けさせる方がよほど成果につながる可能性は大だと想像する。