2016年12月28日水曜日

大学でのアカデミック・ハラスメント

    また起こったらしい。学生の文章に「稚拙だ」とコメントしたらしいが,やり方が悪かったのだろうか。稚拙なら(ま,稚拙なのは当たり前なので),その文章に赤を入れてやればいいだけだ。それが大学における教育プロセスだろう。彼らはまともに文章を書いたことはほとんど無い。なら,手本を示せばいい。
    どうせ,先生の論文や参考文献等を読んでも文章の書き方は学べなかった学生なんだからそういう状況にあるのだろう。だったらもう一言一句真っ赤にする以外には手が無い。僕も卒論は(いえ博士論文も・・・恥ずかしいっ!)真っ赤だったし,自分が書いた文章はほとんど赤線で消されていた。まだワードプロセサも無い(卒論の)時代に,青焼きのために薄い紙に鉛筆で書くのであるから,すべて最初から書き直しだ。鉛筆タコはそれは痛かったですよぉ。でもそれが当然だった。ワードプロセサが使える今の学生さんは,そういうことにも腹を立てるのだろうか。もしそうなら,大学はもう存続できない。

2016年12月24日土曜日

大学教員が一番欲しいもの

    何が欲しいかというアンケートのトップは「時間」だそうだ。一体,どうして勉強する時間が無いのだろう。学会活動で現場の声を聞いたり,研究上の情報交換は必要な時間だろう。お金集めだろうか。それはあるかもしれないが,実用的研究をしたいのなら(僕は全く興味が無いが)ある程度は仕方が無い。書類は秘書に書かせているんだろう? 僕は雇ってないが,購入伝票も出張書類も 10 分もあれば書ける(後者は最近かなり難しくなっている。出張先で誰とどんなことをしたか書かされるのである。いい加減な出張をした先輩がたくさんいたのが原因らしい。)のである。そして,僕が勉強していた頃(最近はほとんどしていないような気がする;興味を引く論文を読んでも中身が理解できないのだ)でも,朝 8 時半から夜 10 時くらいまで勤務先にいて,週 3 日は途中で 30 分くらいは水泳ができたぞ。家庭サービスの必要が僕には無いから,そこだろうか。でもそれはプライバシーだ。うぅーむ,何に時間をとられているのだろう。知りたいなぁ。で,多分,「講義」というのが一番の回答だという予想はしているのだが。実用,金,受賞,新聞・マスコミ出演・・・などなど,こっちをやめれば・・・

ディジタルからアナログへ

    昨晩 TV で武満徹氏の秋庭歌をやってた(初めて聞いた,途中まで)のだが,その解説で半音の半分を使っているとか。うむ,そう考えると,クラシカル音楽は 8 度の音階,つまりディジタルの世界に古くからいたことになる。基本周波数は次第に高く(多分),基本速度も次第に速く(多分)なってきているが,フレットの無い弦楽器でも基本は 8 度の音階とその半分である。ピアノはまさにディジタルである。武満氏でも四分の一と,まだディジタル。いや,面白いねぇ。最近レコード・プレィヤーが売れているらしい。僕も Technics の SL-? をまだ持っている。レコードはかなり捨ててしまったが,まだちょっと変わったものだけ 20 枚くらいはあるかな? 引越しのために送ったダンボールをまだ開けてない。プーになってから聞く時間は山ほどあるが・・・さて?

2016年12月11日日曜日

的は不要

    いまどきは「具体は」という表現は当たり前になってきているが,好きにはなれない。本日のある NEWS 番組でのゲスト発言に「消極だ」とか。うぅーむ。インテリも使う「的無し形容詞」はもはや国語か。

2016年12月4日日曜日

2016年12月3日土曜日

ハガキの印刷

    今年度で辞めることを年賀状でお知らせしてしまおうと思い,宛名書きについてはフリーソフトを見つけてあった。文面の方は大学生協印刷部にでも頼もうと考えていたが,先日偶然,某元役所が配っているデザインキットの存在をインターネットの記事で知った。うぅーむ,便利だ。友人に伝えたところ,以前から一年を通して使っているとのことだった。長年,コンピュータもプリンタも自宅にあったのに,宛名ではないハガキの面に印刷するということを全く思いつかなかった。やはり世代が一つ古いのであろうなぁ。デザインもとても多く,部品もいろいろあるようだ。ただ,審美的な能力に欠けているので,シンプルな情報伝達ということに専念するようにはしてみたが,文面がわからん。年賀状なんか,この 20 年で 1 回くらいしか(最後の引越しのとき)出したことのない人間にとって,絵の隙間に適切な短い文章を書くのは困難だ。式は使えないし・・・

2016年11月12日土曜日

宿題の再提出

    前にも書いたかなぁ。また質問された。毎年である。宿題を採点して返しているが,60 点に満たない結果をもらった学生さんが「出しなおしてもいいですか?」と来るのである。何故? 意味が無いじゃないか。

2016年10月29日土曜日

大学院の講義

    英語の教科書を使えと言われる。いい教科書があればそうする。しかし,学生さんは英語は大嫌いだ。レポートじゃなく試験をしろと言われる。5 題くらいの宿題も 100 点は取れないのが現状だ。プログラミングもやらせていて,かなり苦労しているようだ。それはそれでいい。完成できなくてもいい。そんなことを言う執行部が実施している修士課程では結局,取得するべき単位数が非常に少ないので,数科目合格すれば済む。修士論文にサービス単位が付いているからだ。昔の修士修了生の半分くらいしか工学的教養を積まなくてもいいわけだ。米国の PhD 学生に比べると三分の一程度の工学的教養しか身に付けず,ほんの一部の専門知識だけを深める。大学人の責任ではないことから,入学する学生さんのレベル低下を問題視するが,卒業生の工学的教養レベル低下は嘆かない。そんなことより,論文だ! 研究だ! 英語だ! そうだ。英語は道具として必須のものだが,それ以前に工学的教養基礎学力を母国語で身に付けるのが前提ではないのだろうか。社長講座なんて大学でお膳立てする必要があるのだろうか。

2016年10月23日日曜日

学生さんが大学に求めること

    週末二回に分けて学生さんを現場に連れて行った。道中の彼らの会話から判断すると,一人で部活(つまり学友会)を少なくとも一つと,サークル(大学の名前を背には負わない課外活動)も少なくとも一つはしている。ほぼ毎日何かあるそうだ。さらにアルバイト(地元でない人は賄い付きが希望らしいし,時給では居酒屋が最高だそうだ)も一つ以上やっているらしい。いつ勉強するんだろう。週に一つずつの宿題が「最も辛い講義だった」と授業評価に書かれる理由がようやくわかった気がする。
    学生のころ,図書館で友人とドイツ語を教え合ったり,自宅で数学の問題を解いてみたが,今思い出すと,何もできなかった・わからなかった気がする。どうやって合格したのか不思議でしょうがないくらい理解できていなかった。頭は決していい方ではないのは知っていたが,数学や物理が何を解いているのかすらわからなかったような気がする。講義の内容がようやくわかるようになったのは,留学先での講義だった。これは復習もしたので試験には合格したが,一つ・二つの数学は危なかった。そしてそれから 30 年以上たった今,そのノートに綴じてある宿題や試験が自力では全く解けないし,綴じてある自筆の宿題の中身も「これは本当に僕が解いたのか?」という状況だ。いまだに試験に落ちる夢を見る。

シリーズ中だるみ

    ST は,ま,こんなものでしょうか。45 分の TV でやるくらいの内容かなぁ。お客さんはおじぃさん(僕くらいの)が多いのは,昔のファンということか。若い人を勧誘できていないようだ。劇場も大きい方だったから,そんなに入るのかなぁと思っていたが,やっぱりという状況だった。ただ,過去の映画をちゃんと覚えてないと意味がわからない内容があるように感じるが,そういうお客さんにとっては心配は無かったわけだ。来週からは小さい劇場で夕方のみってことになりそうだ。あるいは打ち切りかも。CG とかアクションだけがパワフルで,ファンにとって筋や敵味方は予測可だろうな。ま,でも,嫌なことが続く今日この頃の週末に,だれることは無い 2 時間だったかな。敬老金額だから花丸にしておこう。

2016年10月15日土曜日

海外の論文提供会社契約

    国研が会計検査院から無駄を指摘されているが,この会社との契約は全国の大学でも問題をかかえている。便利と廉くが両立しないのだ。本学でもここ数年検討して,最悪の場合,かなりの論文が購読できなくなる案が経費の観点から有力だった。簡単に例示すると,土木や機械の力学についての著名な論文集は読めなくなるのである。この国研も悩んだ挙句の現状だろうと推測する。会計検査院が提案したような契約は,本学では提示されていなかった。そんな都合のいい購読ができるんだろうか?

2016年10月9日日曜日

シリーズ映画

    興行のことからシリーズものが安全として公開されているという。留学時は,日本には輸入されないような映画も含めて,結構たくさん封切られていたと思うのだが,儲けを考えると安全側になるのか。何作目かは忘れたが,某国工作員作品はやはり第一作より劣ると感じた。次は ST である。これもまた戦争もののようだ。期待はしていないが,優待を今回使っちゃったから,次回は敬老でいくか・・・

2016年10月8日土曜日

軍の研究費

    須藤先生@東京大学の反対の主旨はもっともであるが,工学研究のほぼすべてが軍事に利用できないわけではないことは前にも書いた通りである。米国の大学における教育・研究に軍の予算が占める割合が高いのも事実である。しかもそれは,大学側からの提案したテーマに対する配分であることは前にも述べた。米軍は当然だが,その採択したテーマのほぼすべてが実用には即時性が無いことは承知の上である。我が国の軍関連の教育(敢えて書いておく)・研究への予算配分とは全く主旨と手法が違う。それを首相らは理解せねばならないができないでいる。やはり日本の政府は相変わらず他人(米国)の表面的な真似事しかできないという低能レベルのようだ。

2016年10月4日火曜日

基礎研究にお金を出してくれるとは思えない我が国

    ま,この貧乏で,あの首相の下の国では,そういうおおらかなことはできないでしょう。既に現在も,ある特定の分野にしか金を配らないことをもう何年も前から決めている役所と政府である。ノーベル賞をとった方への電話で,あの首相がその応用にしか言及できないくらい,学問のことは一般には理解されていない。米国でなぜ研究が前に進むのか。それは,捨て金に等しいばらまきがあるからだと感じている。テーマは研究者から提示するシステムにすべきである。役所や政府機関および民間からの競争的資金のテーマは,いわゆるプロジェクト,結末の見えた研究がほとんどではないのか。

学生さんによる授業評価アンケート

    ある学生さんから「授業料を払っているのに資料を有料で配るのはいかがなものか」と書かれた。その学生さんに尋ねたいのだが『他の講義で指定された教科書は有料ではないのか?』と。僕のその講義の場合,いい教科書が無いので,94 ページくらいの講義ノートを 850円で配っている。板書に使う元本であり,僕が立替払いをした金額を回収しているだけだ。どこかに問題があるのだろうか。もう一つの講義は 3,000 円くらいの教科書を指定しているので,90 ページ弱の資料は無料で配付している。どこにも問題は無いと思うのだが。

2016年10月3日月曜日

教員がさぼっているだけではないのか?

    論文,特に英語論文のコピー&ペーストを防ぐために,本学ではある高価なソフトでチェックしなければならないと情けない状況だ。先生が読んで赤を入れているうちに,自然とコピー部分は無くなるはずだと僕は思う。社会人の博士論文も,僕が読むと真っ赤になる。つまりは,学生がひょっとしてやったコピーはそのうち無くなるわけだ。それをしていない教員のところの博士論文が問題なわけではないのか。博士論文なんて,まだきちんと一人で書ける学生はいない。教員が赤を入れる手間をさぼっているだけじゃないのか?

留学先での夜の外出;日本はとても安全なのだ

    それにしても,どうして海外で,女性が夜,外を歩くのか? 学校で遅くまで勉強して夜遅く帰るのは,男でも怖かった。数年前に留学先を訪問したときは,キャンパス内のあちこちに緊急ブザーが立っていたぞ。大学町ですらそうなんだから,都会はダメ! 30 年以上前の留学時に,友人達と夜のシカゴを散歩していたとき,日本人旅行者らしい男性が一人,ある道の方に向かっているようだったので皆で声をかけて,その通りより西には行くなと伝えたこともあったなぁ。旅行業者はそういう情報は伝えないのだろうか?

2016年9月28日水曜日

我が国の軍の研究費と米国のそれ

    どこかおかしい。軍が決めたテーマに対して研究費を配るというところが,我が国の対応のおかしなところだ。貧乏人の発想でしかない。東大が軍からの研究費を受け取らないのは当たり前だろう。米国の場合は,当たるも八卦で基礎研究にも予算を軍が配っていると思う。テーマを提案するのは研究者の方だ。なんでこんなことがわからんのだろう。DA?PAの予算の方がよっぽど筋がよさそうだが?

2016年9月22日木曜日

eventer って

    某学生さん自身が予定していたライブ演奏がドタキャンになったことに関連する会話で,「イベンターが云々」と発言したので,「そんな品の無い言葉を使うな」と指摘すると,「カッコよくありません?賢いみたいで」と言うので「逆だよ。頭が悪く聞こえる。」と答えた。その後ちょっとだけ不安になって辞書を引くと,英国の特殊な言葉で「総合馬術出場者かその馬」といったような(正確ではない)意味を持っているらしいことが判明した。不明を恥じなければならないが,少なくともライブハウスの職員を指す言葉でないことはわかって,ちょっとホッとした。が,しかし,なんだか片仮名言葉を使うのがカッコいいと思う若者が今もいるのは悲しい。そんな流行はずいぶん前に終わっていたと思うのであるが。それにしても,フォーレターワード(あはは,「パラスタ」とか)や「ら」抜きが一般化していて,学生さんとの会話が難しい場合も生じている。やはり石頭はもう引退するべきだろう。

2016年9月19日月曜日

8 時退社は残業零なのか?

    うぅーむ。僕らは 8:30-17:15 に休憩 1 時間である。もちろん裁量労働制なので守る必要はない。が,某役所は 8 時退社で残業零だという。それは働かせ過ぎではないのか。出庁時刻が別の某役所のように遅いのだろうか。そういえば,購入伝票をすぐに処理すると事務に驚かれる。皆,ある程度溜まるまで何もしないらしい。すぐやれば忘れられて本来の仕事に専念できるのに・・・
    さて,設計図の無い工事を民間会社はしない。設計図には設計したコンサルタントの会社名が明記されている。誰が発注したかは,その会社に聞けばいい。無駄なニュースの時間が過ぎている。くだらない。

2016年9月18日日曜日

本当に大事なことだけを報道すればいいのだ

    被災地を訪れた政治家が長靴を忘れておんぶ。そんなことどうでもいいし,それを見て別の党の政治家が批判するという低級ぶりだ。マスコミに現れる必要もないし,心の中でそう思っておけば済むこと。そもそも現場が長靴くらい用意すべきではないのか。政治家が偉いわけではないが,現場の人間でない者が視察するのだから,当該役所の当該部署は来客用の一式を準備すべきであろう。大学に一般人や高校生が訪問するときに特別な対処をするのと同じだ。現場がどうなっているかを訪問者は知らないのだから,突然の訪問でもない限りそれなりの対応準備は不可避である。しかし最もおかしいのは,マスコミ。くだらんことに時間と電波を使わずに,大事なことを調べて報道して欲しいなぁ。

2016年9月17日土曜日

学生さんは労働者

    内田樹氏の随筆を読んでいて,labor と business の違いと学生アルバイトについての記述があった。昨今の学生さんの居酒屋等でのアルバイトは,僕らがやった家庭教師やコンサルタントでのそれとは違っていて,何が違うだろうと悩んでいたが,内田先生が言うように,確かに labor という言葉がぴったりかもしれない。
    では,彼らにとって何が楽しみかというと,決して勉強じゃない。僕は少しだが勉強は楽しかった。先日某学会全国大会講演会が本学キャンパスで行われたため,どこでもやっているように学生さんに時計係等のアルバイトをしてもらった。受付や裏方はすべて教員および役所や民間会社の職員・社員のタダ働きである。学生さんには日当が出る。さてこの学会,4月には開催が決まっているが,アルバイトを三日間続けてやることができる学生さんは半分くらいだ。彼らは,自分達が勉強している内容が発表される講演会に金をもらった参加できて,自分の知識を広げられるという機会を積極的に利用する意欲は元から無いわけだ。何が楽しくて勉強して,何を楽しむために就職しようとしているのかわからん。自費ででも参加したいと努力するのが学生さんの本分だと思うのであるがねぇ。ま,専門書は買わない,教科書も買わない彼らだ。アルバイトは勉強のためではないようだ。
    学生のころ,ちょっと遠い土地の海外演奏家によるコンサートに行ったときに某大音楽学科教授と久しぶりに会った。怖い先生だよ。そして彼女の学生も聴きにきていた。その教授曰く「えらい!自費で参加だがよ,彼女は」。と,これが学生の本来の姿だ・・・とか「べき」を持つのはアンガー・マネジメントの観点からは最もやるべきことではないそうだが,そんな社会は要らない。

2016年9月11日日曜日

現代作曲家とは

    久しぶりに NHK 教育でショスタコヴィッチの 7 番を聴いた。学生のときの何かが脳裏をめぐるような・・・ちょっと懐かしかった。ところで現代の classical music の範疇に入る作曲家というのは誰なんでしょう。あと 50 年とか経ったときに,今の武満徹氏や芥川也寸志氏に相当するような日本の作曲家って誰なんでしょう。50 年経ってもプロコフィエフとかウェーベルンとかやってるんだろうか。

英語強化と民主主義の危機

    9/8 の朝*新聞のオピニオン欄に九大の施先生が主張しておられた。うぅーむ,なぁーんとなく「風が吹けば桶屋」的にも感じるが,あり得ない話ではなさそうだ。それはともかく,教育現場に政治家や財界が口を出すことがそもそも問題なのであるが,僕のおやじが言うには「何か世の中が行き詰ってくると彼らは教育に口を出し始める。素人でも何でも言える分野だと思っているらしい。」というのである。ちょうどそういう時代が 10 年くらい続いているようにも感じる。もっと何か中立で見識のある集団の判断が教育内容についての議論には必要で重要だと感じている。もちろん学長や総長が集まってできる議論ではないのは火を見るより明らかである。
    英語は数学と同じく道具の一つであって,頭の中では日本語を使って欲しいと思う。それが国民性(人種性)というものではないのか。したがって,論理的に日本語で考え・記述し・発言する能力がまず必要だ。逆かな? 日本語で表現可能な論理で考え・記述し・発言する能力かもしれない。確かに英語は論理的な言葉だろう。しかし頭の中は日本語ではないのか。もし頭の中も英語にできるなら英語がベストかもしれないが,それでは日本人という範疇の人間であるかどうかは不明になるような気がする。数学者にフランス人やロシア人が多いように感じているが,そういう得意・不得意は脳味噌の先天的な構造が影響しているのではないかと思わせる。日本人には日本人が特に得意な考え方等があるのではないかと感じている。

2016年9月10日土曜日

禁煙キャンパス

    総長が医学部教授ってことで喫煙所すら設置されていない某大学で開催された某学会全国大会では,回りの道路も禁煙なのを知らない(小さい字のポスターがあるのだが)全国からの参加者の一部がそこで喫煙。またぞろ事務や管理の職員が見つけて強烈な抗議である。数千人の参加者がいれば,当然 100% の徹底が不可能な人間社会では,違反者は数名はいるだろう,なんてことは一切受け入れられないくらいの勢いでの抗議である。彼らは仕事の上では決して間違いはしない神様みたいな人達なのであろう。実行本部への怒鳴り込みもあった。責任者は何を考えているんだ! ってなことで,こういうことに慣れているお役人さんが,受付や巡回での対応を説明しながら柔らかく対処してくださった。僕なら喧嘩になっていたかもしれない。でも確かに喫煙家が近づいてくると臭くてたまらず,会議のときは喫煙家が隣に来たときはさりげなく移動する。僕のように以前のんでいた者にとっては特にあの匂いが臭くて息ができなくなるのである。と,後日編集した。

2016年9月9日金曜日

某大学事務職員の石頭ぶり

    某学会全国大会を某大学構内でリアルタイムで今現在実行中である。今,昼休みに入ったところだ。さて,参加者にロハで配っているペットボトル入りの水を 40 本くらい,ちょっとしたお菓子を付けて,お世話になった事務の当該部署に寄付しようとしたら,利害関係者からは受け取れないという理由で拒否。あぁーあ。他大学では笑顔で受け取っていただけたそうなんですがねぇ。利害関係者ねぇ。当然余りもののおすそ分けに過ぎないものをねぇ。それで今後,某学会に便宜を図るような事態がその某大学に発生するわけもないがねぇ。警務員さんたちには笑顔で受け取っていただけました。やはり人間として気持ちいいねぇ。と,下っ端教員としては,後日変更した。

2016年9月4日日曜日

服務規程

    とはいっても服装の規程のことである。来週は某学会の全国大会講演会が本学キャンパス内で実施される。てなわけで,我々教員は全員がその準備係であり,当日の運営係である。先週その実行マニュアルが完成して配られた。表紙を開いた最初のページで久しぶりにビックリしてしまった。このくそ暑い中,ズボンは黒か紺かグレーだという。シャツは云々,靴はあれこれとある。学生に対する規程と思いきや,文面からはすべての運営係に対する注意書きであることがわかる。男女の絵入りで一頁全部を使い,すべての分冊の表紙裏に記載するといった力の入れようだ。いまどき・・・というのが素直な感想であり,もちろん僕は白い綿パンに青い無地のシャツかポロシャツで行くことになるわけだが,一体誰がこういうことを指示したいのだろう。一部の偉いさんの担当者以外は接待役でもない実働部隊なんだから,作業着でいいわけであり,他人様を不愉快にしない限りは色は何でもいいだろう。ま,無地かストライプのシャツかポロシャツにずぼん(パンツ)を履いて汚れてないスニーカーかウォーキングシューズあるいは革靴というだけじゃダメなんだろうか。いまどきというこの規程は,もしかしたらこの某学会の体質なのだろうか。まさかとは思うが,何か事件が起こったら来週末ここに書いておこう。

2016年8月28日日曜日

“言う”を“ゆう”ってバカっぽい!?

    ある質問サイトにこういう記事があったが,昔から「嘘と坊主の頭はゆうたことがない」という使い方もあるわけで,馬鹿な使い方もあるが(例えばこの記事で指摘されているようなツィッターへの文字にする等),洒落という場合もあるわけで,TPO はありそうだ。さて,この TPO の `O' を即答できる人は大学にも少ないだろう。
    同じ記事には僕もおやじも問題にしている「すいません」が挙げてあった。これは口に出すときも「すみません」だろうなぁ。嫌なら「すんません」の「ん」なら「M」だろうから「MI」に近いか? ちなみにタバコは「すいません」ではなく「のみません」(山口瞳氏)である。

2016年8月20日土曜日

結局センター試験は要らない

    国語を記述式にして,しかもその問題を採用する大学でのみ,その採点も大学がやるというのが「改善」らしい。なら各大学の 2 次試験との役割分担は何なの。記述式は各大学でやるということと何ら変わらないのでは。そもそもセンター試験は,当局が主張するように決して資格試験ではない。だって,その試験の点数に意味があるからだ。資格試験なら 60 点以上は「合格」だけでいいはずだ。今はそうなっていないから資格試験ではない。じゃ何かというと,生徒が選択できる大学のレベルを判断するための尺度,つまり生徒の短時間選択式テスト対処能力だけの偏差値,および大学間格差を定量化したものになっている。くだらんよねぇ。だってね,センター試験が良くても大学卒業時の成績が振るわない学生はたくさんいるし,その逆もいる。つまり,センター試験は個人の能力の審査でもないし人柄の審査にもなっていない。何の役にも立っておらず,大学間格差を定量化して,各大学に入学する学生の多様性を失くすために役立っている。としか思えない。

2016年8月10日水曜日

非スポーツマンのつぶやき

    うぅーん,やっぱりわからん。「勇気の授受」と「自分を信じるという行為」。僕は阿呆なんだろうかねぇ。昔おふくろに,感情を現せと言われたことを思い出しながら・・・

2016年8月8日月曜日

朝から「お疲れ」そうですね

    高校野球も五輪も「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」「そうですね」

2016年8月7日日曜日

ハンミョウ

    サンデーモーニングに出てきたぞ。懐かしいなぁ。霧島かどこかに遠足で行ったときに,よく会った。じっとこっちを見ているようで,こちらが動くとある距離だけ逃げてまた止まる。これが面白い。プールの受付で子供対応をしている学生さんが,子供とみつけた昆虫のパネルをまとめていたが,そこにもいた。仙台周辺にもいるらしいぞ。昨今は昆虫採集といった宿題は無いのだろう。採集する必要は無いが,どんな虫が今は住んでいるのかを知っておくと,大人になってからの環境の変化にも敏感になれるのに。大学はもちろん,小中学校であろうと,すぐに役立つだけの教育は教育ではないだろう。

暑い夏休み

    二週間の休暇の鹿児島も例外なく暑いが,仙台よりも過ごし易い。なぜかというと,バスの中等も含めてエアコン漬けになっているからだ。湿気も仙台の方が高いと感じる。さて,その暑さのせいか,いつもより蝶が多いように感じている。カラスかクロかナガサキかの区別はもうわからないが,かなり大型の黒いアゲハがユラユラと舞っている。ちなみに蝶の数え方は一頭二頭なのだ(と,確か北杜夫さんの随筆にあったと思う)。なんでもヲタクの学生さんは,そもそも数え方の基本は「頭」なんだとか。
    今日は複数町内会の夏祭りである。神社仏閣が全く無い造成地にできた町なので子供がお神輿に接することができない・・・というのを心配して,かなり前から実施されている。そろそろ子供神輿が動き出す。帰途には自分の町内を回って寄付集めをするので,対応しなければならない。夕方からは中学生のブラスバンドとか町内会有志(?)の踊りやカラオケで,夜店も出て 9 時くらいまでにぎやかである。

2016年7月31日日曜日

柔術とは

    先週,化学系のイタリア人を含むプールの加齢系の仲間(呵呵)で暑気払いをした。そのとき,そのイタリア人とのある話題から柔術とか柔道の話になり,うろ覚えで「カノウ○○」を僕の頭の中で思い出しながら会話をしていたのだが,彼が「ジゴロ」「ジゴロ」と言うのに違和感を覚えながら,ようやく思い出したら果たしてもちろん「嘉納治五郎」であった。そうかぁ「ジゴロ」になっちゃうんだぁ。と再認識した次第。
    留学時の体育の科目名には「柔術」というのがあった。「柔道」ではない。これについては友人から教えてもらったのであるが,その真意はもう忘れた。日本では「柔術」は教えてないということだったと思うのだが・・・

うっかり? 約束とか

    最近の学生さんは入試等の試験対策は僕らよりも万全だと思うが,期末試験問題の記述をしっかり理解できない者が増えたと感じる。採点した答案は研究室外に置いて返却しているが,廊下に置かれるのが嫌な人には手渡しのオプションを申告させている。しかし,手渡しを選択した学生から「廊下に置いてないんですが」とクレームがメイルで来る。よく読んでくれよぉ。
    また,自分が勉強して作った表裏自筆の A4 カンニングペーパー 1 枚持込可にしたとき,問題をよく読まず,カンニングペーパーにある似た回答を写したと思われる回答が複数ある。理解していないからそうしたのか,うっかりなのか?
    オープンキャンパスでは学生さんの協力は不可欠だ。しかし集合場所に来ない者が複数いる。まともな社会人になれるのだろうか。

左右は対称配置が普通か

    最近新聞を見て(読んでではなく)いて妙な感じがする。関連する写真が 2 枚左右に並んでいて,そのキャプションが両方共に写真の「左横」に「縦書き」されている。しかしだ。右の写真のキャプションが左側に,左の写真のキャプションがその右側にある。記憶ではこれが初めてではなく数回経験した配置である。わざとだとしたらその理由を思いつかない。不思議なこともあるものだ。

2016年7月18日月曜日

学生さんには自由な権利がある・・・か

    僕の目の前で駐輪禁止の場所にオートバイをとめる。週末なら禁止は解かれるというのだろうか。そういうサインは無い。ほんの 50 メートルくらい先に駐輪場はあるが,そこから玄関まではまたその道を戻らなければならないのが嫌なのだろう。しかし米国の大学のようなマイナス 30 度の過酷な環境ではない。九州と違ってプラス 30 度にも達していないし,雨も降ってない。
    仙台の別の大学周辺では,駅から大学までの私道と公共道路(近道)の学生さんの通行を禁止しているところがある。あまりにもうるさいというのだ。職員のハイヒールの音も含まれているとか。青葉山でも,廊下・歩道は横に並んでしゃべりながら男が集団で歩く。僕みたいなチンピラには決して道は譲らない。きっと偉くなるんだろうなぇ。そのときはお世話になろうかなぁ。
    ところで,帰ってきた宇宙人もとても弱い。また登場人物の存在の必然性がほぼ半分くらいは無い。筋は単純だしほぼ予測可能だ。友人のイタリア人から聞いた話では,ネット上の評価も低いらしい。次は 10 月の ST だが・・・また戦争みたいだ。

2016年7月12日火曜日

半数の学生さんは勉強には興味が無くお忙しい

    今日は今学期最後の講義をした。10:30-12:00 である。先週の講義時に,今日は出欠を取らないことと,試験範囲以外だがシラバスにある講義内容をカバーすることとをアナウンスしておいた。もちろん,故意にである。そして予想通り,出席者は先週の半分以下・履修登録数の半数以下だった。何か知らないかもしれないことを勉強する意欲は全く無いらしい。お忙しいらしい。忙しくて 10:30 からの講義にも間に合わないのか,あるいは昨晩が多忙で起床できなかったらしい。ま,他人のことだからどうでもいいけど,こういう学生さんが大学にいることを僕は良しとはしていない。

2016年7月2日土曜日

奨学金で困っている大学生・卒業生

    うぅーん。まず気になるのは,大学生が本当に「勉強」をしているか? ということであるが,これはまぁ,仕方がないのかなぁ。単位取得のために必要なことはするが,教員がふと授業中や昼食時に紹介した本を自発的に読んだり,その本からさらに孫引きで教養を深めたりはしないと感じる。研究室にはネットワークにつながったコンピュータがあるが,それを使いこなしたり,ソフトウェアを自発的に利用して練習したりする学生さんもほとんどいない。いずれにしても自発的な「学習・勉強」をする学生さんは 10人中 2 人いるかいないかではないかと感じる。和書・洋書を問わず専門書を購入する学生さんは皆無だろう。昔のように,先輩と一緒に洋書を一冊読む自主ゼミをしようという学生さんも皆無である。誰かに教える学生さんも少ないと感じる。そういう学生さんたちが奨学金を得ているというのは,貸与している側も把握しているのだろうか。そういう,いわば高校生並みの「習う勉強」しかしない人が奨学金を得ていてもいいのだろうか。・・・と書くと批判をもらいそうなので,ここいらでやめよう。
    さて,今は大学に交付される校費は光熱費でほとんど消えて,出張するにも研究や実験のための費用にも,外部資金を獲得しなければならない時代になった。米国では,その外部資金の一部を学生の奨学金として使える。しかも貸与ではないし,授業料だけではなく生活費もカバーしてくれる。その代わり,その外部資金に関する研究を補佐しなければならないが,それは学位論文のテーマである。学生は研究スタッフであって,研究という場面では教員と対等である。というのは,僕らを米国に送り込んだ恩師の言葉であり,当時の僕らとその恩師の間の人間関係でもある。少なくとも卒論や修論の学生さんとの関係は,今でもそういうものだと考えて僕は接している積りである。当時,僕も含めた日本からの多くの留学生も,そういった外部資金で生活して PhD をもらった。こういう裁量は,我が国の外部資金提供機関からは許容されていない。役所が大学院重点化つまり博士課程重点化だけを形式的に実施し,役所も研究関連機関も学生さん(実質的な研究スタッフ)の奨学金のケアを全くしてこなかったわけである。少なくとも,この外部資金による学生のサポートを解禁したら喜ぶ教員と学生さんは増えるのではないか,さらに博士課程にも進学してくれるのではないか。とは,何も裏づけの無い感想であり,外部資金をもらえない下っ端の推測であるが。あの ips 細胞の山中先生は,当時の学生さんを成果が出るまでは私費ででもサポートする覚悟があるから,一緒に頑張ろうとおっしゃっていたらしい。偉い!

もう関係は無いが Win10

    新聞記事によると,ようやくえぐい商売を少し改善するらしいが,新聞が「古い OS を使い続けるとウイルスなどの攻撃を受けやすくなるので注意が必要だ」ということを堂々と書くという,情けない状況にある。この朝*新聞社は MS 社から何か優遇してもらっているのだろうか。古い OS であっても,それを 2020 年(だったかな?)まではアップデートすると宣言して提供しているらしいのだから,新聞が相手の言うことを真に受けてこんなことを書く必要は無いわけである。ユーザーを新聞もあおっているのである。
    多分に MS 社のもくろみは,提供する OS 数を少なくして仕事を楽にしながら,ソフトの売り上げを伸ばして儲けようというのであろう。あるいは,古い OS はもう中身がグチャグチャでアップデートするのがたいへんだ(技術力が低い)から,早めに無くそうというのだろう。しかし 32bit マシンで十分な仕事ができる上に,メーカー独自のドライバ等が入ったコンピュータの OS を,そう簡単には個人では変更できない状況にあるのは,僕だけではないはずだが。やはり,リンゴっこか Linux に転向すべきかな。

2016年6月25日土曜日

国民を馬鹿にした政党員

    稲田という方が発言したらしい。ニュースでの断片ではあるから誤解かもしれないが「自衛隊が無くなったら熊本等の災害時にはたいへんだ」という趣旨だった。しかし,これは論理のすり替えであって,国民は馬鹿だからだましてやろうというだけの発言である。まことに貧しい心を持った女性あるいは政党なのだろう。彼らがやろうとしていることとは異なる発言であり,こういう人には上に立って欲しくない。

2016年6月11日土曜日

過去問は果たして役立つのか

    もう何年も前から大学院修士の入試問題は公開されている。が,しかし,最近妙なことに気付いたような気がする。問題は公開されているが,正解は公表しない。もしかしたら,ほとんどの受験生が正しい答,否,試験時間中の解き方を知らないかもしれない。勉強してないかもしれない。そういう意味では問題公開が役立ってない。少なくとも次のようなことはあり得そうだ。
    僕が出す問題は,多くの学生さんが使う手法だと計算間違いをしたり時間がかかるが,ちょっと気付くと,数行の計算で済むというものをできるだけ選んでいる。と,ここで気付いたわけだが,過去問をダウンロードしてそれを解いた学生さんは,実はその時間がかかるオーソドックスなやり方で解いて満足し,それで解く練習・準備をして入試に臨んでいるのではないだろうか。だから出来が悪い・・・うぅーむ。

2016年6月4日土曜日

大学院は勉強するところじゃないのぉ?

    さて,昨今はほぼ全員が修士課程に進学する。が,彼らのほとんどは学問に興味があるわけではない。宿題を出す。曖昧な題意になるような出し方をわざとする。90% が工夫をしないで,結果の例えば式だけを出して満足する。それを工夫した図にして,ひょっとしたら僕が知らない結果を見せてやろうという意欲は無い。また,目的とは直接は関係ないかもしれないが,副産物的な結果を図示してくれることは無い。英語の文献を紹介する。読む人はいない。義務のある成果を出すための論文を探して読むことはするが,そのときにダウンロードした論文の中から必要最小限だけを読む。その論文の文献リストからの孫引きのようなことをして,自分の知識を拡げようとはしない。卒論を始めてから修士を修了するまでに触れる論文は数編。これで大学院で学んだことになるのだろうか。修士課程だけでも 20 編くらいの論文は,卒論や修士論文に関連するものとして読むのが常識,なんてことは 30 年前のことなんであろうか。学習に今も昔も無いと思うのだが。むしろ今は,junk も含めて論文数は某大だ。その中からいいものを見つけるのもたいへんだが,junk でないものもある程度は見つかるだろうに,そういう努力をしているようには見えない。与えられた課題だけをこなして知識が増えるのだろうか。好奇心が無いんだろうなぁ。否,勉強以外への好奇心が強いから,勉強に当てる時間が無いくらいご多忙でお疲れ様なのだろう。若い頭脳が浪費されている現状で,何か新しい科学的な成果が果たして出るのだろうか。もうろくじじぃは,もう何も頭からは髪の毛すら生まれてこないのだが。

2016年5月28日土曜日

笑って手を振って「謝れっ」って?

    沿道には某 VIP に対してカメラを片手に笑いながら手を振っている。これから悲惨な現場に行こうとしている VIP に対してである。この人たちの人種は一体何だろう。少なくとも日本人ではないだろうなぁ。また,自国の総理大臣が某宗教施設を訪問したときには「私人」か「公人」かと大騒ぎするくせに,他国の某 VIP の個人的感想を求めるこの人たちは一体何を考えているのだろう。やはりよくわからない。

宿題の再提出って何?

    最近だと思うが,宿題を締切までに提出させて採点して翌週返したとき,その書き込みを見て「再提出していいですか?」と聞かれることが多い。全く意味がわからない。また,中には「図を出そうとしたらパソコンが不調になったので来週出します」と書いた宿題もある。そんなリスクは予め考えて行動する(土木構造物を設計する)のが工学部の学生だろうから,受け付けられないと答える。また解説あるいは模範解答を見せろという要望もある。確かにそうすれば「覚えられる」だろうが,宿題回答には既に何が間違っているのかは朱書きしてあるのだから,それを見て「自分の頭で考え」るのが大学における学習の仕組みではないのか。僕は大学入学以来,宿題や試験の解説をしてもらったことは一度も無いと思う。少なくとも米国の優れた教育現場では無かった(と書いたが,弾性論で一度だけあったようだ 5/29)。だから今でも解けない問題をかかえている。世の中の仕組みが知らない間にどんどん変わっているんだろうなぁ。

2016年5月26日木曜日

勝手にアップデートらしいねぇ

    新聞記事によれば,技術力の低い MS 社がとうとう暴挙に出たらしい。よくわからないのだが,所有者が欲していないアップデートに関連して,その所有者の許可無く勝手に通信料金を消費し,ハードディスクの一部を勝手に使用し,欲していない状態に,しかも許可無くシステムを変更しようとすることが,一私企業に許されている行為なのであろうか。僕はそうは思わない。少なくとも僕は,勝手に使われた通信料金の数千円くらいを MS 社からいただきたいと思っているのだが。

2016年5月22日日曜日

普段興味も無いものが注目されると回りに集まるハエ

    ル・コルビジュエとは全く興味の無い,もちろん建築家である。30年くらい前に就職したときに,隣の学科が建築だったので,掲示板等で知った名前であるが,その業績には興味も無い。その人の業績が注目された途端,国内にある作品に群がる日本人。あたかも日本の何かが受賞したような。これが日本の文化なのか。僕は日本人じゃないのか。と,昨今思っている。

2016年5月21日土曜日

ダリウス・ミヨー

    今日の「ららら」はミヨーの道化師だった。うぅーん,そうかぁ,ミヨーはそういう人だったかと。この道化師は,国立音大卒の大恩人から,大学生のときに教えていただいたのだが,当時の人気 TV 番組のある曲の部分と一曲目のモチーフが似てるねぇと教えていただいたのだった。すぐにレコードを買ったもので,今でも大好きな曲の一つだ。ブラジルが影響ねぇ。そうかぁ,僕もラテン系なのかなっと。ピアソラのブエノスアイレスのマリアも・・・おっと,こっちはアルゼンチンか。

quarter 制度

    表面的な猿真似のシステムが導入されようとしている。しかも,大きな枠組みを再検討することはしない。つまり,今までの 1 学期を前半・後半に分けて,一つの科目を週 2 回開講するだけだ。たたき台を見た。どうなっているか。
    1 年生の Spring quarter には,物理学や化学等の基礎となる数学の線形代数 A と解析学 A が提供される。しかも,クラスによっては連日という疲労を促進する日程がある一方で,中 2 日空いた緊張感の無い日程もある。そして Pre-summer quarter には,物理学・化学が並ぶ。使う数学を教えた上でそれを利用するという思想らしいが,semester 制のときはこれが並列だった。道具を習いながら使い方を学ぶ(前後関係は逆転することも多いが数学物理学演習という科目で補足はされている)のがいいか,道具だけを教えてもらって,そのあとに使うのがいいか。さて?
    入学直後に高校とのレベルの差に驚きながら訳もわからず難しい数学を学んで,6 月から夏休みが終わるまでの四ヶ月余り,数学からは遠ざかっておいて,さて Fall quarter になると,また線形代数 B と解析学 B が提供される。もはや線形代数 A の知識は頭の中でさびついていて,思い出すのも困難だ。そして次の winter quarter にはまた数学が無くなって物理学・化学である。
    カリキュラム再編の検討もなく,単なる時間割の変更である。米国の quarter 制(実際には,11 週(我が国の約 1.5 倍)の 3 学期制であるが)が成立しているのは,文化が違うからだと僕は感じているが,そういう話は出てこない。
  • 2 週に一つくらいは宿題が出る。
  • 文系や基礎科学の場合は週末に本を読まなければならないらしい。
  • 宿題で,他人のコピーをする文化はあの国には(多分標準的には)無い。
  • 板書は丁寧で,それを写したノートはあとでゆっくり読める。80 ページを越える,読んで理解できるノートができあがる。教科書は要らないくらいだ。
  • 休講は無い。
  • 試験は場合によっては 3 日くらいの take-home exam もあるが,これもカンニングは無い。
  • 2 quarter 連続して成績が B を下回ると退学になるという緊張感がある。
  • そもそも大学教育の目的は人を育てること。我が国のどこかの学部のような職能訓練学校・研究成果製造工場ではない。
などなど,我が国では実現できていないような文化の上で成立しているシステムにしか見えないのであるが,さてどうなりますことやら。あと数年すると何か見えてくるでしょう。

スライドによる授業

    先日,僕の学科ではない所のある講義を廊下から覗いた。前方スクリーンにスライドが映っている。学生さんは後方にしか座ってないので,先生は教室の中ほどで「鉄筋コンクリートの場合は・・・」と,学生さんの方を向いてしゃべっている。学生さんには多分スライドコピーが配られているが,彼らはじっとして聞いている。そんなん!勉強になるかぁ?????
    その数日後,僕らは学生さんを数名を連れて千葉の工事現場見学に行った。現場につくと学生さんは筆記用具を出した。うぅ? 担当の方の説明が始まると,ときどきメモをとっていた。うぅーん,勉強家だなぁ!!!!!

2016年5月14日土曜日

仕様より燃費が悪いと事故が起こるのか

    購入時に信じていた数値よりも悪い燃費の車に乗っている人は不安を覚えるのだそうだが,その「不安」というのは何なのだろう,ということを考察してみよう。その発言をしたニュースキャスターに聞きたいのだが,残念ながら双方向通信をしていないので自分で考えないといけない。ま,最近のキャスターは言葉を選ばないので,しょうがないのかもしれないがねぇ。
    さて,リッター当たり 35 km 走ると思って購入した車が実際はリッター当たり 25 km しか走らない場合の「不安」を考察するわけだ。ある日,高速道路を走ったとしよう。燃料メーターであと 2 リッターあると判断した(まさかそこまで走らないのが工学部卒業生の安全率の考え方ではあるが)としよう。仕様通りと信じたドライバーは 70 km は給油が不要だと考えることになる。ちょうど 60 km 先にサービスエリアがある。うん!大丈夫だ。なんてことが起こりうるか? うぅーん。1000 年に一度の津波よりは,起こる確率は高いだろうなぁ。しかし本当に「不安」を感じているだろうか。購入して二回給油するくらい走っていれば,仕様と現実の違いなんて誰でもわかるだろうに・・・。やはり,昨今のニュースキャスターの知的レベルはかなり低いのではないだろうか。
    ところがである。某知事が公私混同をした件で,このインテリと思しき知事自身の言葉もおかしい。公私混同での騒ぎで「心配」している人に「侘び」るんだそうだ。心配しているのは知事のシンパだけだから,公共の電波を使って詫びるべきことではない。シンパ以外の不特定多数の都民・国民は疑っているわけだから心配なんかしていない。やっぱり!と思っているだけだ。だから侘びてもらっても困る。きちんと責任を取って欲しいわけだ。よくわからん日本語が蔓延しているようだ。

2016年5月4日水曜日

怒鳴ってしまった

    先日とうとう(多分この30年あまりで初めて)教室でやってしまった。板書を始めて一列分くらい書いてもまだガヤガヤしていたからだ。以前は,僕には何の不具合も無い(静かにしている学生には迷惑だったろうが,同級生からの迷惑について僕は知ったこっちゃない)ので無視していたが,なぜか(結構でかい声で複数が会話していたからかも)堪忍袋の緒が切れてしまった。あるいはカルシウム不足か。
    米国では,大教室での授業も静かだった。教員が尊敬されていたのかもしれない。今の僕は全く尊敬の対象ではない。遅れて教室に入ってくる学生もいなかったし,授業が始まれば私語は無かった。居眠りする学生もいなかった。そんなことしたら授業についていけない。ただ,終了時間が来ると,僕の回りの(うしろの方に座っている)学生さん達が,「バタン」と音を立てて閉じるのは面白かった。
    今のここの大学では,遅刻する,私語をする,途中で部屋から出る,質問しない,居眠りをする,宿題を遅れて出す,廊下を横に並んで通路をふさぐ,目上の人に会釈すらしない。おっと,職員も会釈しない。質の悪い教員は尊敬の対象にならないのだろう。

2016年5月3日火曜日

提出前に宿題の相談を教員にすること

    全く理解できないでいる。宿題を出した。明らかに間違っている途中結果をメイルしてきて,どこが間違っているかアドバイスを求めてきた。どうして? わからない。友人と相談することは禁止していない。どうして提出前に教員に相談するのか。全く,全く,まったく理解できない。高校までは,そういうことに教諭は対応したのか。昨今の中等教育は間違ってないのか。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。