2016年10月29日土曜日

大学院の講義

    英語の教科書を使えと言われる。いい教科書があればそうする。しかし,学生さんは英語は大嫌いだ。レポートじゃなく試験をしろと言われる。5 題くらいの宿題も 100 点は取れないのが現状だ。プログラミングもやらせていて,かなり苦労しているようだ。それはそれでいい。完成できなくてもいい。そんなことを言う執行部が実施している修士課程では結局,取得するべき単位数が非常に少ないので,数科目合格すれば済む。修士論文にサービス単位が付いているからだ。昔の修士修了生の半分くらいしか工学的教養を積まなくてもいいわけだ。米国の PhD 学生に比べると三分の一程度の工学的教養しか身に付けず,ほんの一部の専門知識だけを深める。大学人の責任ではないことから,入学する学生さんのレベル低下を問題視するが,卒業生の工学的教養レベル低下は嘆かない。そんなことより,論文だ! 研究だ! 英語だ! そうだ。英語は道具として必須のものだが,それ以前に工学的教養基礎学力を母国語で身に付けるのが前提ではないのだろうか。社長講座なんて大学でお膳立てする必要があるのだろうか。