2017年12月31日日曜日

某国営放送

先日の ララなんちゃらのアナウンスで「違和感を感じ」というのを聞いてしまったぜ。うぅーん。ま,民放だとしょっちゅうだから,ま,いいかぁ。さて,今年も終わりだぁー。暇だと書き込みも増えたなぁ。

2017年12月24日日曜日

「そうですね」禁止

    2020 年までに,スポーツ選手のインタビューにおける選手側の「そうですね」発言を禁止して欲しいなぁ。イライラする。何も「そうですね」ではないのにこれを発する。すぐには応えられないのを誤魔化すためか。時間稼ぎみたいだし,まるで頭が悪い宣言みたいで嫌だなぁ。

フィールドへの一礼

    武道の試合後にフィールドを去るところで一礼するのは,だいたい理解できる。それは「道」だからだし,多分神棚があるからだ。しかし,プールやスケートリンクでもそれをするのは何故だろう。そう習うのだろうか。僕はそう言われたことも無いので毎日のプールではしていない。が,今,市営プールでも少なくない人がする。選手だけでなく,一般入場資格で入った方々も同様だ。何故だろう。ま,いいか。

TV 字幕は何のため・誰のためにあるのか?

    ニュース等の特に同時変換の字幕は画面のど真ん中を専有し,最も大事な映像部分を覆い隠すのである。耳が聞こえ難いだけの人の場合は映像も見たいかもしれない。それが困難なのだ。ところがである。ドラマや録画映像の場合の字幕は,それこそテロップとの重複も考慮して,さらに相互利用までしながら,下半分やテロップとの重複しない配置が考慮されて表示されいて,かつ重要な画面中央部で邪魔をしないような努力が見てとれる。なぜニュース等の場合に,下半分あるいは上半分とか洋画の CC のような配置にできないのだろうか? 今までに見たものに限定すると結局は 2 行しか表示されないのだから,下半分に配置することは十分可能だ。それをしないのは・・・手抜きだ!と思うだがいかが?

2017年12月21日木曜日

野良猫にえさやり

    京都市で問題が起きていて,いくつかの自治体の条例も新聞にあったが,やはり無理がある。えさをやるなら,避妊はもちろん,糞尿のしつけを前提にすべきである。「すみやかに糞尿を処理」という条例の例もあったが,強制力や方法の具体性に欠ける。結局は「えさをやるなら飼うこと」がベストであり,原則飼われない野良猫は処分であろう。この数ヶ月庭の糞処理で嫌な思いをし続けたのだが,猫が嫌いな砂・匂いビーズをホームセンターで見つけて毎週のように撒き,またソーラー式の動物撃退器(効き目は確認できていないが)を設置し,この数週は糞が無くなった。大学構内にもいてえさをやる学生や職員が絶えなかったなぁ。脅すために石を投げると,それをえさだと思って石を追いかける有様だ。事務も「えさをやるなら家に連れて帰れ」と貼ってくれたが効き目は無い。無責任以外のなにものでもない。

2017年12月20日水曜日

ヒガラとメジロ

    今年もメジロとヒガラが数羽庭の木で遊んでいる(のか喧嘩をしているのかはわかりませんが)。しかし,ベランダのミカンにはメジロしか来ない。どちらも雑食らしいが,メジロは果実を好むことから,このような違いがあるのだろうなぁ。メジロは3羽は確認しているが,太った1羽ではないやせた2羽がミカンに群がるように感じる。兄弟なのか親子なのか親戚なのか恋人なのかわからん。ガータロが来ないうちはメジロが独占する。

2017年12月19日火曜日

大地震の確率

    友人によるとなんだか簡単な対数計算か何かで出る確率なだけだと聞いたことがある。一般人には全く意味の無いものだ。一般論として,日本の活断層はいつなんどきすべるかわからないのだから,「もし過去の地下構造と地下の運動学がそのまま継続していたら」という一般人にわかり易い if 文のあと,「旧来の周期なら明日起きるかもしれないし,5年後まで起きないかもしれない」と述べるべきではないのか。言っておくべきことは常に「明日かもしれない」ということだ。だって予知・予測は不可能だからだ。3.11 以後,地下構造に変化があったとすれば,過去の周期は踏襲されていない可能性もあって,その可能性の確率を我々人類が予測する手段と方法も無いわけだし。常に危ないということだけで十分だ。あとは国民の自己責任だろう。

誓約書っていうのは何だろう

    この組織についての関連するゴタゴタは肖像権が理由だそうだが・・・当たり前のことを何故文書で約束するのだろう。某大学工学部の教員が,入試問題についての誓約書を義務付けられているのと同じで,愚かなことだ。やってはいけないことをわざわざ誓約するのは,それを守らない人がその組織にはいるということを世間に公表しているのと同じなのに。中学高校の生徒手帳みたいだなぁ。そのうち日本人はすべて,出生とともに「殺人はしないこと」等という誓約書にサインをさせられるのだろうなぁ。

延性破壊なんだろうなぁ

    台車は疲労破壊から始まったような脆性破壊でなかったのが幸いだったかもしれない。映像から延性破壊,しかもかなりの塑性変形を伴った非常に単純な破壊のようだ。だとすると,少なくとも数日前の検査では目視で発見できたはずだが,どうだろう。国鉄の技術者は日本一いや世界一だと習ったが,昨今の鉄道技術者は(僕が教えたくらいだからかな?反省!)レベルが下がっているのかもしれない。さて,大学を研究機関だと豪語する先生はとっとと排除して,元のちゃんとした教育機関に戻すべきであろう。

2017年12月18日月曜日

時間を狭めたときの緊張感

    おやじのチャンネル権で某国営放送のシブ*?を横目で見ていたのだが,ちょっと定量的な評価を思いついた。もしあの番組 1 時間あたり 15 分の CM 相当のブランクが入るとしたとき,現在の演出・ディレクションによるくだらない発言やつくり笑いをする余裕は無くなると想像するが,それでもなおインパクトのある優良な情報提供ができると胸を張っていえるのだろうか。同じ情報量を国民に伝えるために,某国営放送局は無駄な余計な演出(言葉を選びすぎているのか?)をしていて,それが民放に比べてとても過大だと感じるのだが。ま,僕の部屋ではその某国営放送局の番組は見ないからどうでもいいといえばいいのだが。

土木屋はすべて悪人か?

    公正取引委員会に聞きたいのだが,物価表の標準価格は「公正な」価格ではないのだろうか。特にトン*ルの場合,発注者の予定価格をほぼ 95%で,すべての優良企業は予測できるという。では,落札価格がその「公正な予定価格」の 95%以上だったとき,そのどこが悪いのかをまずは国民に示して欲しい。東北の復興事業でボロ儲けしたというが,本当か。もしそうならきちんと数値で示すべきではないか。最終的に入札業務における優良企業は,技術評価やら社長の一声でばくちをしているわけだが,そのどこが悪いのか。税金で私服を肥やしている人がいるなら,その個人(社長か?)を摘発すべきであって,土木業界全体を非難するなら,それなりの証拠を(孫請けまでがどのくらい税金を無駄にしたか等すべてを含めて)定量的に(金額や報酬の額で)国民に明示すべきだと思うのだが,これは世間知らずの自称学者による身内の身びいきだろうか。公正取引委員会が悪事だと主張するなら,言葉ではなく数字で確実な情報提供を国民にすべきだと思うが,いかが?彼らの発言は卑怯だと思う。

2017年12月16日土曜日

韓国みたいにはなって欲しくないが

    某有名歌手の公演で九大受験の宿がたいへんなことになっているらしい。しかし,これは二度目だ。同じ轍を踏むのはなぜ? 誰かの頭が悪いのか? 入試日程は1年前には公開されているから,プロモーター側に問題があると感じるが,公演は1年以上前に決まるのか? だとしても,入試というのは他大学や学内事情で日程選択の幅は非常に狭いことを考えると,プロモーター側が大学(複数)に情報提供を事前に求めるべきだと思うのだが・・・

2017年12月15日金曜日

マイクのボリューム

    おやじが見るので,食事直前には仕方なく観ることになるが,某国営放送局。在職中に感じたのは,この放送局のマイクはかなり指向性を持っているのではないか?ということだ。まず CM が無い(無いからか?)のに,民法よりも基本的なボリュームが大きいと感じていた。そして例えばニュースだ。アナウンサーが前のプロンプターを向いているときより下のカンニングペーパーを見て読んでいるときの方がボリュームが大きいと感じた。マイクと口の位置の違いでボリュームが異なるのだ。そしてその両方共が民放レベルからすると「うるさい!」のだ。今日も「シブ*時」という番組を見ざるを得なかったが,出演者が作り笑いをして見苦しいし,民放の真似をしようと一所懸命に見えるのが哀れだ。もちろん中身が面白くないのがまず第一だが・・・

また逆走

    留学中にサービスエリアから出るときに「どっち!?」と思った経験はある。もちろん逆走は可能な構造にはなっていたが,幸い,ちゃんとした方向に出た。
    さて,うっかりを防ぐために,よく米国のレンタカーの出入り口等で使われているような櫛の刃状の装置を路面に設置したらどうだろう。まずはサービスエリアからだが。逆走した車の場合はタイヤが刃に刺さってパンクして進めなくなる。サービスエリアだからバックすれば(金はかかるが)修理はできる。自分が間違ったのだから自己責任だ。順走の車は刃を押し下げるだけなので何も起きない。これだけ問題になるなら,こういったハードウェアの導入が不可避ではないのだろうか。

悪法によって混乱をもたらされる大学

    東大が方針変換をさせられた。今後どうするんだろう。東北大のように試験をするのだろうか。秘書に対する試験問題って何?
    あの法律は大学人にとっては悪法だ。例えば対象をもっと限定して,不要な解釈が要らないように決めてあるべきだと思うのだが,どうだろう。大学の非常勤特にいわゆる秘書にこの法律を文字通りに適用するのは酷だ。東北大では試験をして大量に不合格が出たことを公に非難されているが,試験をするのは仕方が無いことがなぜわからないのだろう。また有能な秘書の場合,人によっては,常勤になる必要は無いが5年以上(家庭の事情で)働きたい(先生も雇い続けたい)という希望もある。5年経ったら無条件に常勤に応募できるが,その一方で応募しなくてもそのまま非常勤を続けられること。応募した人は試験で判定できること。この2点が最初から必要だったのに,5年経ったら常勤になれると解釈できる(のだろうか?)ような法律の方がおかしいのではないか。法律は読んでないので,印象で書いているので間違っているかもしれないが,少なくとも大学の現場の状況を踏まえた法律ではないことは間違い無い。民間会社の状況とはかなり違うと感じるのだが。

2017年12月13日水曜日

ジグソーパズル

    某ニュースによるとカミオカンデのパズルが異例の完売だとか。確かに難しそうだ。僕は苦手だからやる積りも無い。しかし留学中に(買っておけばよかった)もっとたいへんなジグソーパズルを見つけた。それは,バケツからあふれるミミズを上から写したものだ。色はほぼ茶色。カミオカンデと同じだが,遠近法の表現も無いことからミミズの方が難しそうだ。カミオカンデのパズルの作成者は東大の人で研究費(昨今基礎については逼迫している)を稼ぐのが目的だったとか。がんばれ! あ,思い出した。このミミズのパズル。全ピースが同じ形をしてたんだった・・・ん! そんなカットは可能か・・・ま,いいかっ。

2017年12月9日土曜日

弾正橋

    とんでもない事件の画面で八幡橋が出てきた。あ,そうか,以前伊藤先生や藤野先生達に連れて行ってもらったのはこの神社だったんだ。でも周りの建物がこんなに密接してなかったような記憶がある。この橋はイギリスから輸入した「鉄」の橋で日本最古の橋だったと思う(Wiki にもそう書いてある)。格点だったかなぁ,菊のご紋が付いていたと思う。おぉ,Wiki にもそう書いてあるし写真もあるなぁ。でも「トラス」なのに「上弦材」を「アーチ部」とは・・・この Wiki の執筆者は大丈夫か?

2017年12月7日木曜日

沈黙は同意

    性暴力に関してある新聞見出しにあったが,イスラエルに関する米国の行動への某国の沈黙も同意なんだろうなぁ。なんでこんなに卑屈なんだろう。某先生がおっしゃるように,某国は国ではないのかなぁ。じゃぁ,僕ら国民は何なんだろう。うぅーん,困ったなぁ。どうしよう。

出汁はひく・・・

    某日新聞に「出汁のとり」かたの記事。ん? 澤田ふじこさんの小説では「出汁をひく」とあったなぁと思い,またぞろ頼りのネット検索をしたら,ある料理人の記事に違いが出ていた。ふーん。今夜は鯛の煮付けを作ってみよう。あご出汁パックだけじゃなく,昆布と酒を入れるといいらしいぞ。ふーん。

憲法より放送法

    某政権は,「時代に合わない」から憲法を変えようと言っているが,放送局が今ほど乱立しておらずインターネットも存在しない 1950 年施行の放送法の改訂を言い出さないのはなぜ? 勝手な「解釈」で,政権に反するような発言をした民放局を停めようとか,政権側のわがままなことは「言う」のだ。そして,「時代に合わない刺激」しか表現できない出演者が並ぶ某放送局は,ときどき政権寄りだと感じるのは偏見かなぁ。ほとんど観ないから確かではないが・・・そして,その収入を安定化させるのに何の意味があるのだろう。もしこの放送局でしか発信されない重要な情報,例えば地震速報はこの局でしか流さないというのであれば仕方が無いが。あるニュースのコメンテーターが言っていたが,今回の判決は,その某局側に政権と分離しなさいと,つまり国民に寄り添いなさいという意味だと述べていた。だったら国民側の放送内容になっているかどうかを B-CAS カードの認識による有料化にして判断したらいいのだ。今はその某局は視聴率にも全く関心が無いらしいし・・・

2017年12月6日水曜日

共通入試その2

    これは電気の先生がおっしゃってたことだが,もっともだと思うので,再度備忘録に書いておこう。道具を持たない・使えない人が新しい家を建てられるかということだ。そういえば某大学の土木・建築系学科の 2 年生の大半がノコギリを使えない。三角関数や微分・積分を「覚えていない」学生が大学で何を学べるというのだろう。デッサンをしっかりやらなかった画家で成功した人は特殊な人だろう。スケールを練習しないピアニストも同様だ。適切な筋力トレーニングをしないアスリートもそうだ。確かに「天才」と呼ばれる人がいるが,それは特殊な存在ではないのか。応用力を養うというが,基礎的な知識が無い人は何を応用して問題に対処するのか。問題を見てインターネットで検索していい加減な知識で価値判断をして,解決のために使おうというのが応用なのか。それなら自らに必要な能力は,パソコンを使ってネットに接続して検索ができることだけだ。漢字も書けなくていいし,そもそも論理を構成するための道具を覚えてないのだから,文章すら書けなくていいということになる。

2017年12月5日火曜日

新しい共通大学入試

    聞きたいのだが,センター入試導入以降,大学の卒業生のレベルはそれ以前と比べて上がっているのか? 新しい効果が出ているのか? 最近の新しい発明・発見・技術開発はセンター入試があってこそ得られたものなのか? そういう実績・効果を公にできないまま,こんなにコロコロとシステムを変えてもいいのか? 先輩先生から「入試で実験をするな!」と言われたことがあるが,センター入試導入は実験だっただろう。書いておくが,僕が担当した時期(15年くらい前)に,大学で実施する二次試験成績とセンター入試成績との相関はほとんど無い。また当然だが,大学卒業時の成績とセンター入試成績との相関もほぼ無い。つまり異なる尺度で成績をつけたわけだが,じゃぁ,センター入試が計りたかったものは社会で通用する何だったのか? 止めたら?
    しかし,数学の放物線の問題を見る限り「今の授業じゃ解けない」という高校生の嘆きはかえって嘆かわしい。一応はちゃんとツボを押さえた問題だ。しかも選択回答だし。そういえばプールの受付で「私は馬鹿なんです」という大学生が僕に質問した放物線の問題も非常に基礎的だったのにわからないということで,ちょっと驚いた経験がある。今回の問題によく似ていて,小学校の教員試験の問題集の問だった。

米国留学がずっと減少・・・

    金銭面がまぁ第一の利用だろうが,僕らのころ(35年以上前)も奨学金は米国の指導教員からもらっていた。そうでないと留学なんかできなかった。日本側にそういう奨学金は無かった。当時一つだけ応募したのはカナダ大使館の奨学金だったかな。米国の場合は授業料と生活費の支援だから日本からの仕送り無しでも大丈夫だった。オンボロだが車も持てた。さすがにそうでないとシカゴじゃ凍死する。ポスドクもそうだ。米国の先生が軍などからの研究費で旅費等をサポートしてくれる。しかし,米国としても「なぜ米国の金で留学生を? もっと米国人をサポートしろ」となっているのではないだろうか。それで留学生が減っているのかもしれない。問題はもう一つある。我々をサポートしてくれたのは米国の潤沢な軍の研究費だ。論文の謝辞を見れば明らかだ。もちろん軍事目的の研究をしたわけではない。ここが昨今の防衛省および国の研究支援が見過ごしている点だ。大学審議会も,ポスドクで米国に行って軍の金で研究論文を出したメンバーもいるだろうに,そのあたりの「違い」を国や省に言わないのは罪ではないだろうかねぇ。

2017年12月4日月曜日

ジェネリック薬

    効き目が限られていたとても高価なある薬が,他のガン等にも効果があるということがわかったことから,その価格が徐々に下がっているという事実がある。つまり薬価は厚労省の判断で変更できるわけだ。だから,特許が切れたジェネリック薬の価格がオリジナルよりも低い。ん? おかしくないか? 全く同じ効能を持つならオリジナルの薬価もジェネリックと同じにできるはずではないのか。つまり,開発費(減価償却費)は特許が切れた段階でリセットされると考えていいのではないだろうか。
    しかし,そうなっていない。ということはつまり,ジェネリック薬はオリジナルよりも効能が劣るわけだ。僕が親しくしていた薬局の薬剤師さんもジェネリック薬には疑問を抱いていた。ということで,本気で保険で支出している国庫の金を下げたいなら,ジェネリック薬を推奨するのではなく(安いのはそういったもくろみがあるからだそうだが),オリジナルの薬価を廉く設定し直せばいいはずだし,それができるのが厚労省だということが,前述のガンの薬からわかる。それをしないというのは,政治的な(金の?)ことか?一体・・・

2017年12月3日日曜日

英国王子の婚約相手

    なんと! 僕と同窓生なのだ。呵呵。NU という大学は音楽学部と演劇学部が特に有名で,卒業生には多くの俳優・女優がいる。その一人が王子と結婚するらしい。工学部も力学分野ではとても有名なんだけどねぇ。音楽学部はシカゴフィルとの関係だ。

2017年12月1日金曜日

捜査は完全に終わってないので?

    複数のニュース番組で,文字としてもこう書かれる。正確ではないのではないだろうか。正しく言うには「捜査は完全には終わってないので」あるいは「捜査が終わったとは全く言えないので」か,「捜査が完全に終わったとは言えないので」のどれかではないのか。元の文章の意味は「捜査は着手すらほぼされておらず全く終わる状況にはないので」という意味の日本語だと思うのだが。違う? 「は」を入れるかどうかで中身は異なると感じるのは LaTeX 依存の異常人格者の戯言かな?