2013年7月28日日曜日

安全率をご存知ですか

    土木でこれを知らない 3 年生はモグリである。設計の重要な概念だからだ。例えばあと 1 科目単位を取らないと卒業できないとき,あなたなら何科目を受講して試験を受けますか。ま,普通は 3 科目くらいでしょうね。必要数の 3 倍を余裕として受講する。この 3 倍が安全率だ。しかしである。実際にはそうしない学生さんもいる。
    また,僕の講義は宿題が 5~6 個あって,試験も 2 回している。試験結果の 80% と宿題の 20% で成績をつける。試験を 2 回受けた場合は,高い方の成績を報告する。がしかしである。試験を 1 回しか受けない学生がいる。また宿題を一つも出さない学生は毎年一人二人いる。半分以上出さないのも数名はいる。そして,そういう学生さんはたいてい試験もできない。当然だろう。宿題で手を動かさないと理解できないのに,それをさぼっておいて,一夜漬けで何ができるというのだろう。カンニングペーパーも 1 枚持ち込みしているにもかかわらずである。高校のときは成績が良かったかもしれないが,大学の試験には「教えていない」課題が出される。つまり応用問題である。僕自身の経験でも,いくつか経験したいい試験では「そうかぁ。授業でやってたことはこういうことだったのかぁ」と,そこで初めて理解が深まるものもあった。とてもいい試験問題だったということであり,僕にはそういう良問は作れそうもない。
    というわけで,試験で合格点ちょっと下の学生さんが「何とかならないか」と来ることがあるが,宿題を一つも出していない学生さんが,カンニングペーパー付きの 2 回の試験で合格できないのであるからして,それはもはや実力だろう。
    図は 5 年間の「宿題の得点と期末試験の得点との関係」である。合格率は短期留学生を含めると 82.7%(日本人だけだと 80.8%),合格者中 90 点以上が 33.0%(日本人だけだと 28.9%)となった。再履修者を除くと,宿題を出さないで合格することはかなり困難であることがわかる。この図はちょっと面白い。他人の宿題をコピーしたかもしれない学生がいるだろう。逆に宿題は出さずに好成績を取る学生も少しはいる。宿題の点数で合格した学生らしい集団もある。ま,宿題を自力でちゃんと解いただろう 70% くらいの学生は好成績で合格するらしい。そして,海外の学生(半数が US だったと思う)の 3 年生の方が日本人よりも好成績である。

2013年7月21日日曜日

なんでもありアニメと CG

    映画でアニメや CG が嫌いなことは以前書いた。最近有名なアニメの予告篇を何度も見せられた。「*立ちぬ」というものだが,VTOL が出てくるのである。ゼロ戦の著名な設計者にも関係した映画だそうだが,VTOL なのである。本篇を見ていないからどういう場面のことなのか(2013/11 追記:映画を観た友人の話によると夢の中のシーンらしい・・・その友人,この手の映画ファンだそうだが She said she did NOT but it...)わからないから,何とも言い難いが,やはり気持ちが悪かった。特に何度も見せられるので・・・
    堀越さんのことは,中学生くらいのときに本で読んで感動したなぁ。何と当時の資材不足のために,操縦系統のリンク材料にケーブルを使ったことがかえってゼロ戦の動きを効果的にしたというのだった。ゼロ戦が恐れられた動きをする原因が,資材不足なのである。ものづくりがいかに面白いかということを感じたときだったと思う。

2013年7月14日日曜日

科学・技術が好き?

    またぞろ UP である。No.489 (2013) である。「科学技術をめぐる専門用語への招待」という森村氏という方の連載である。英訳は `Terminology around Technology' だ。どうやらこの方は UP No.466 (2011) の「たかがナカグロ,されどナカグロ」by 須藤靖先生をお読みではないようだ。日本語にはあまり細かいこだわりの無い方なのであろう。あるいは須藤先生への反論か。これから連載らしい。どうやら「英語」と「工学英語」には明確な差異があるらしい。Liz はどう思うかしらん・・・おっと内輪ネタ。
    そういえば,僕の本棚にも「科学論文の英語云々」とか「科学英語論文の・・・」とか「理科系のための英文・・・」とか並んでいる。しかし,本多勝一氏のは「日本語の作文技術」だ。ジャーナリズムと理科系の日本語は同じとも読める。確かに目的は全く同じだ。なのに昨今,英語については「工学英語」のような形容詞付き語学があるのは何故? そうそう,「工学倫理」というのもある。「一般倫理」とは異なるのであろう。debate とかいう訳のわからない関門を通るのが形容詞付き倫理や英語であり,唯一解があるのが一般なのかもしれないなぁ。だがどこかおかしくないか? ま,この森本氏の連載を読んでみることにしよう。

2013年7月7日日曜日

博士の末は・・・ホームレス?

    さて大学は文科省から圧力を受けていて,博士課程学生の充足率を上げるように言われている。しかし博士様たちには就職先があまり無い。この役所の人達は足し算と引き算ができないのではないだろうか。入れたら出てくる。心太突きみたいな組織が学校だ。ただ特に最近の大学は,入り口には抵抗は無い(全入)が出口にはある程度の抵抗がある(足りないとされているが)が,その抵抗の原因はたいていは学生本人だ。しかし大学院博士課程の場合,出口がもっと詰まっているってことを役所は知らないかあるいは見ないようだ。これは本人たちには原因はあまりない。行き先が無いのである。だから賢い学生さんであればあるほど,よほど覚悟を持って教育・研究に興味が無い限り,修士で就職する。こちらも博士課程まで行くような指導は積極的にはできないのが現状だ。
    で,大学はこの圧力を,社会人とか留学生で霧消しようとせざるを得ない。否,しなくてもいいのだが,させられている。僕はしていない。そんなに付き合いが広くないし,社会人が飛びつくテーマでもない(基礎力学)し,留学生と英語をしゃべるのはもう疲れたし嫌だ。そして社会人博士の審査会の内容は低調だ。そりゃそうだろう。3 年やそこらでは研究というレベル(学問としての)にまではなかなか上げられない。留学生も一部はレベルを下げざるを得ないとも聞こえてくる。税金でなぜ留学生を育てなければならんのだろうねぇ。論文をたくさん出せだの,博士をたくさん出せだの,思慮の無い圧力しか大学には存在していない。そして,大学人も「論文・論文」と念仏を唱えている。どこかおかしい。