2014年12月29日月曜日

学位論文執筆要領

    大学当局・研究科・学科専攻は,どうして決めようとしないのだろう。と,ネットで検索するといくつかの大学にはある。きちんとマージンも記載されているものもある。本学の場合は,理念とか(昨今問題が大きくなった)コピペについての掛け声だけしかない。それでいながら,表紙カバーを本研究科では相変わらず校費で作成している。教務課の赤字決算の代表的浪費の一つだ。無駄だ。その内側の審査員一覧は個々に作るようになったが,そんなもの要らんだろうと思われるものだ。そもそも,修士論文の場合は国会図書館にも行かない。取り扱いは専攻に一任されている。これもまた我が専攻では無駄遣いしていて,校費で表紙カバーを付けて紙を保管している。無駄だ。
    一般にわが国の大学という組織では,無駄なことが義務化されていて,本質的なことは個々に一任されている。歴史的な経緯があるのだろうが,それが直らないこともおかしい。よほど悪いことや無駄なことを先輩がしてきたからだろうか。
    東*大学の某研究室で作成されていたものを参考に,とりあえずは作ってはあるが。誰も興味が無いらしい。

冷凍食品はすばらしい

    以前も書いたと思うが,面倒くさがり屋にとって便利である。長崎老舗の茶碗蒸しと蒸し寿司は,親子共々 10 年以上口にしていなかったと思うのだが,特におやじには大好評だった。クレジットカード購入できるともっと便利なのだが。そして五島の塩ウニもそうだ。某食品会社作のチャ*ポンもとてもいい。これは仙台のスーパーで見つけたので,帰省時におやじに食べさせたところ喜んでくれた。皿*どんも作ってくれないだろうか。足が悪くなったおやじの場合,リンガー*ットに行くのもままならないからだ。東北の方々は生ウニにマグロとおっしゃるが,我々には塩ウニと鯛の方がご馳走である。

2014年12月23日火曜日

メジロにみかん

    今年もメジロ観察のために,ベランダにみかんを置いた。置いて 1 時間もしないうちに飛んでくる。親から聞いていたのか,あるいは常にパトロールしているのか。まだモクレンにも芽は出てないし,椿の花も無いのではあるが,このあたりをウロウロしているのであろうか。で,今年は,小さい蜂のようなのもやってきた。そのメジロである。みかんをついばんでいると蜂がやってきた,と思った途端,食われていた。メジロも雀と同じく雑食なのか。雀はみかんにはやってこないのだが。

創造性は事後他人が判断する価値。事前に必要なのは想像力

    某 JR の限定販売問題等,もしかしたらしっかりとしたコンサルタントが予想をしての事業だったかもしれない。しかし,頭でっかちになって,昨今の変な教育(大学における)を受けた人たちに足りなかったのは想像力である。僕の回りを観察していてもそうだ。シミュレーションというのは計算機でするもので,頭の中でするものではないようだ。ぼぉーっと考えることも無く,次はどうすればいいか回りにたずねる。言われた通り以上のことができる人はほとんどいない。今回の騒動,そういった想像力不足と社是が原因なのだろう。社是って? うぅーん,彼らに聞いてください。

お役所の狙い

昨日発表された入試改革。つまりは天下り先を増やすのが目的らしい。

2014年12月22日月曜日

新しい大学入試

    もう駄目だ。アメリカの追随から暴走してしまった。日本の大学ではまともな教育・研究はできない。まともな人間性を持った卒業生は出ないだろう。商業主義の目先の利益のみを追いかけるだけの世界になってしまいそうだ。昨今の JR 東*本とか各電*会社のように,すぐ使える知識のみを持った視野の狭い人材によるその場しのぎの解決策だけしか思いつかない人材による,もうけ主義で運営する社会が発達するだけだ。寒い社会が我々を待っている。

2014年12月13日土曜日

論理的にものを考えるために英語を習得させる

    東北大学工学部が英語を,使える英語(聞く・話すというだけではない)を,必修にすることを提案している。曰く「学生は,英語で段落を書いた経験が無い。英語を書く教育を受けたことが無い」と。本多勝一氏は『日本語の作文技術』の中で,この「英語」を「日本語」にした主張を大昔からしている。教授会ではごく正当な質問が出た。「日本語がダメなんではないか」だ。答はなんと驚くことに「日本語も含めて論理的な思考や記述ができるようになるために,英語を用いるのはかなり効果的だ」だった。本当か。嘘だろう。
    先生達は,自分達が英語を書いたりしゃべったりできる(独学で)ようになったからそう言っているだけだ。僕はいまだに英語を正しく聞き取れないし話すことも非常に苦手だ。5 年も留学してただろうって? 研究する場合は,相手(ボス)はインテリなので,何を言いたいかは相手が汲んでくれる。さらに数式で意思は通じる。適当に聞いて適当にしゃべれば通じるのである。だから,買い物に行って何かしゃべると通じない。今でも映画を英語だけで観ることは不可能だ。確かに工学研究科の教員の能力はものすごい。留学もしたことがないのに,論文は全部英語というのがいっぱいいる。信じられない。
    実は,学内のある小さい団体のニュース編集委員長をやったことがある。記事は学内の当該教員に依頼するのだが,僕が読んだ 10 編程の記事で,赤を一文字も入れなかったのはお一人だ。他は,「てにをは」はもちろん,接続語や論理がスムーズではない。特に*築学専攻の先生の文章はお経だった。赤を入れようにもどこに入れたらいいかもわからないくらい難解だった。もちろんすべて日本語である。
    全学生が英語を自由に使えるようになる必要はないのではないか。

ネタ切れなのかな

    最近,これは! というのが無い。宇宙人は弱いし,リメイクとか第一作より迫力の無くなった続編ばかり(僕が観ようとするジャンルではということだが)のような印象。ゼロなんとか(元の題はなんとかだけかな?)は一本道で終わった。インターなんとかは僕の友人には訳がわからなかったそうだ。TV のなんとかトレックでも時間ネタは苦しいもののよく出来ていたのだが,このインターなんとかは無理。ゴーンなんとか,やはり一本道か。なんとかライザー,うぅーむ,一本道だったが,ま,四つの中ではマシ(僕の波長に合ってた程度ですが)か。これは昔のなんとかライズとか旧い 00X に似た娯楽性が表に出ていたからかも。なんとかブルズ 3 も単調で迫力が無い。00X は暗い。ま,つまり,個人的にであるが,DVD を買おうかなというのが無い昨今でした。
    最近,ネットでも割引ができるようになったので,ダメ元で観てしまっているのかなぁ。年が明けたら 96 なんとかと,なんとかトロ(邦画)に行こうかなぁ。シネコンというのができたのだから,もう少し収益を気にせず,B 級を持ち込んで欲しいなぁ。留学してたとき,大学内での映画も含めて年間 40 本くらい観た。日本に入ってきていない映画(あくまでも米国産)でも面白いのがたくさんあると思うのだが・・・最近なんとかOW でも,そういった未公開ものが増えてきているような気がする。

予習は効果的か

    教授会で「予習をさせておくと,授業ではわからないところだけに集中できる上に,教員の方も関連事項(教科書の行間)にまで言及する余裕が出てくる。」という意見が出た。本当か。まず,復習をすることが理解を必ず深めるということは事実であり,真実だと考えている。しかし予習を初学者ができるだろうか。
    そうそう「教科書は元々独学するためのものだから」ということも言われたような気がするが,少なくとも僕の周りにある教科書の場合,ほぼすべてで,それを読んで理解するには別途解説書が必要である。だから講義で教科書を使うのである。解説を板書した上で教科書で復習すれば,教科書に書いてあることの意味が初めてわかるのである。僕は教科書は作っていない。作って公開しているのは講義ノートだ。これを出版社に持ち込むと多分ボリュームが半減するだろう。解説等がくどく書いてあるからだ。つまり講義ノートだからだ。東北大学工学研究科の教育の将来はあまり明るくないのではないか。

半端じゃない状況の具体例を示すために式を代入して解を得る

    半端無い状況の具体は式 (a) の解を微分方程式 (b) に代入してあげるといいらしい。そうしてあげれば方程式はとても気持ちがいいのだろう。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会で使われる言葉である。じじいにはこれが理解できなくて,イライラするのである。スライドで,半角コンマの前に何故か空白がある。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。ご清聴ありがとうございますと,審査員や聴衆には全く意味の無い挨拶をする(スライドが最後に出てくる)。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。社名や社ロゴがスライドのあちこちに出てくる。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。何か間違った方向に社会は動こうとしているのではないか。そろそろ年貢を納めてあの世に行けとでもいった主張なのだろう。まだ 2 年は負けねぇぞぉー。

2014年12月7日日曜日

白板・黒板・プロジェクタ

    僕が嫌いな教員の授業風景を覗いた。スライドをスクリーンに映して何かしゃべっている。学生さんは,そのスライドを印刷したメモを手元において,鉛筆も握らずに聞いている。これで学生さんの頭には何が残るのだろう。あぁー面白そうだなぁ。そんなことが計算できるんだぁ。で終わりだ。何のためにそういう研究や検討をするか,そこに用いる数学の何を理解すべきか,それをどう使うか・・・は全く頭の中には入ってない。また,スライドを印刷したメモを後で眺めても中身はわからない。しゃべったことをそこに記入していないからだ。また板書を書き写すこともしていないから,10 日もするとその授業のことは全く記憶から消えている。かつて,他学科の僕が嫌いな先生と一つだけ意見が合ったことがある。講義でスライドや OHP(もはや死語!)を使うべきではないということだった。いまどきの FD では,こういうことは誰も言わないんだろうなぁ。工学研究科長教育賞への応募書類の推薦理由にも,適切なスライドを適切な場面で多用することが書いてあったりする。「適切な」が,どういうことかはわからないが。
    実は僕が使っている建物が新しくなったときに講義室に導入された白板は横が 2 m くらいしかなかった。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。黒板と白板の選択で多数決をして,黒板が負けた。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。廊下側のガラス面のブラインドを上げることを提案して,かなり反対された。ははーん,みんな板書してないんだなぁ。これじゃぁ,学生さんは何も覚えられないね。

全入時代に向けての教育法講習会

    そういう講習会があるらしい。大学が学生に迎合してどうする。と,あと 2 年で辞める人間は,捨て台詞風の正論を述べておこうかなぁー。
    僕の時代の理系学生にとって 1 年生の数学はとんでもない講義だっただろう。例のεδである。しかし,あとで試験や問題を読むと,なんてことがないことがわかる。微分方程式や多重積分はそもそも何をやっているかわからなかった。3 週くらいして先生が「僕は多重積分を教えているのだがわかってますか」とおっしゃった。そうだったのか。物理学も最悪だった。高校で習ってない微分方程式を使う。ベクトルが出てくる。∇なんて記号や grad とか div とか,意味もわからない。解けない。が,大学院に入るころには,答が出せないまでも,何をやっていたかがうっすらとわかる。そのくらいは自分の脳みそに仕事をやらせないと身に付かないこともわかった。
    ところがである。今の学生さんは,わからないのは教員がダメだからだそうである。高校までの成績がいい学生さんが,大学に入って突然何をやっているかわからない。自分は頭がいいのだから,授業中にわからないのは講義そのものがダメだという価値観である。配った文章を読まない。答に直結する箇条書きが欲しいらしい。ネット上の鬼仏表にある僕の「情報基礎」の書き込みを見ていただければ,ダメな学生さんのことが推測できる。この講義では「自分が何をできないか,何がわからないか」がわかればいいので,宿題回答が正解でなくても単位はやると最初に宣言してある。しかし,わからないのは教員が悪いのだから,友達のをコピペして宿題に対応しても構わないという論理(倫理?)になるのである。これに迎合する授業をして,卒論が書けるのか。何か真っ白なところに自分のアイデアを書き込む能力が身に付くのか。彼らのほぼ 100%は秀才・天才ではないんだよねぇ。

すっぽんアンコウどぜうにクマ

    昨夜は久しぶりの幹事役,アンコウ鍋でプール仲間の久しぶりの忘年会。一部の仲間との会食は,昨年すっぽん今年の前半にはどぜう。役所の人達とあの地震の 1 日前には熊。つまりは共食い,呵呵。残ったのは「どんこ」だ。新年会はもう予定があるので,来年かなぁー。ただし,実は,アンコウとどぜうは僕には合わない。肝が苦手だから当たり前なんだが。ま,経験・・・

2014年12月6日土曜日

寒くて暑い新築研究棟

    うぅーん。南面全面ガラスの廊下と研究室とコピー室。9 月にはコピー室も研究室も体温を越える温度になることは報告しましたっけ。東北大学の建築・社会環境工学科の新棟ですよ。建築の先生は,設計者に感謝状を送ったようですが,我々住人は建て直しをして欲しいと感じています。で,夏暑いのは我慢(エアコンの設定は 28 度だそうなので,我慢以外の手はありません)しましょう。で,さすがにペアガラスだから冬はそこそこ暖かいと思っていたのですが,完全に裏切られました。廊下は寒い。さすがの暑がりの僕も降参です。事務室も寒いそうで,毛布と電気ストーブは手放せない。したがって,来年度の決算中の光熱費はまた沸騰しそうです。研究室も,学生さんが遠慮しながら暖房を入れていますが,廊下から入ったときに暖かく感じる程度になるのが昼前後。若い男子学生も厚着をしていますね。僕は暖房は入れないようにしていますが,2 月を乗り切れるかどうか不安です。住人軽視の,みてくれだけのとんでもない設計です。

2014年11月30日日曜日

光熱費だけで税金ゼロに

    ようやく今年度の予算が決まった。あと四ヶ月で終わるのでありますが・・・
    昨年度は赤も黒もほぼ無い状況で終えたので,さぞや潤沢にと思ったのであるが,何と三分の二くらいが光熱費等共通経費で持っていかれてしまった。准教授と二人所帯だが,海外出張(予定は無いけど)も無理か。ま,パーソナルコンピュータで研究できるのであれば,光熱費がそのまま研究費だから,しょうがないかな。噂では,役所が交付する税金をまたン十%減らそうとしているとか。そうなったら電灯不可で,夜の研究は禁止だね。日の出から日没までが研究時間とか。夏は教員も学生さんも自宅で研究。冬は暖房無しでコンピュータの発熱だけで過ごす。実験する人は外部資金無しではやっていけなくなるってことか。米国との研究レベルにますますの差が生まれるんだろうなぁ。私立大学化しか道が無いとか・・・

2014年11月29日土曜日

新築研究棟の改善には最低でも 300 万円くらいは必要かも

    我々は建築家と同じ建物で仕事をしている。あの地震で壊れたので新築された。教室等でそこまで新しい什器に買い換える必要があったのか,だが,同僚の無駄遣いについては目をつぶろう。しかし目をつぶれなかったのは教室の黒板のサイズだ。使い物にならないくらい幅が無かった。教壇も無いので学生さんは黒板を読み難くなっている。結局は買い足すことになった。また研究室入り口ドアのガラスだ。廊下から教員や学生さんの姿が丸見えなのはいいかもしれないが,中からも外を歩く人が見えるので煩わしい。頭を使う場所のデザインとはとても思えない。見られるのが好きな建築の学生さん達とは違うのである。結局,入居後 2 週目に目隠しフィルムを複数の研究室で発注して設置した。が,大問題は建物そのものだ。
    玄関には風除室というのがある。外側の自動ドアが開いている間,内側の自動ドアも開いたままである。寒い風と落ち葉が玄関ロビーに入るというとても素敵な風除室だ。南側廊下は床から天井までガラスだ。ペアガラスだが,9 月の温度は体温を越した。20 m くらいの廊下を歩く途中で気を失いそうだ。教室やゼミ室の廊下側は全面ガラスだ。だから,スライドを使わない場合も一年中ブラインドが下りることになる。これを同僚は好き嫌いの問題だと言うが,そうだろうか。頭を使う場所になってないと思う。大講義室の外面も全面ガラスだ。外は駐車場だが歩くのが気が引ける。だから結局一年中ブラインドが下りることになりそうだ。一応目隠しフィルムを提案したが,賛成は少ない。シャッター通りならぬブラインド廊下が広がっている。みっともない。廊下はコンクリート打ち放しだ。きっと斬新さで素敵なんだろうが,僕のようなボンクラには理解できない。あ,そうそう,当然のように OA 床だ。壊れた建物もそうだったし,そのときもそうだったのだが,研究室を土足禁止にする研究室がほとんどだ。僕は,靴は原則脱ぎたくないので,僕の研究室への外来者は靴のまま入ってもらっている。学生さんがスリッパにしようと提案したが,研究室は仕事をする場所であってリラックスする場所ではないので却下した。内履きを買って使うように指示した。来客用のスリッパも不潔でたまらないので(潔癖症ではありません。設置しただけでメンテをしないことが嫌いだったし,メンテするのも嫌だったから)設置していない。汚い靴で来た人には脱いでもらうことにしてある。そして裸足の人の入室は禁止だ。当然だろう。ここは職場だ,頭を使って作業する研究室だ。
    入居して一ヶ月くらいして部屋の案内パネル等が設置された。玄関の案内板は文字が小さい。みてくれだけの素敵さである。各部屋の入り口ドア横には,プラスティックの白い縦長の「まな板」が貼られた。その上部に研究室名がちょこっと書いてある。この「まな板」,どうやって何に使うのだろう。事務室や教室等の部屋番号がドアに貼ってある。当然内開きなので,夏場開放してあれば部屋番号は見えない。なんと実用的で素敵なんだろう。毎日が感動でストレスが溜まったこの数ヶ月である。震災のため同時に新築された別の研究棟に入居した友人が言った,stupid design と。

2014年10月25日土曜日

「覚える」から「考えられる」

    またぞろ某審議会による大学入試に対するくだらない提案が出て,朝*新聞で紹介された。見出しは『「覚える」から「考える」へ変換』だ。日本語が間違っている。正しくは『「覚えた」ことを「考え」ることに変換する』である。
    微分方程式を知らない学生が原発の温排水の拡散を予測できるだろうか。具体的には文系文学部の学生が拡散方程式に気づくだろうか。ま,普通はあり得ない。ここでアインシュタインを持ち出す輩がいる。物理の世界におけるアインシュタインは特異であることはよく知られている。彼は実験事実を見て何かを考えたわけではない。単に「こうだったらいいなぁ」という希望・夢想の結果が彼の理論であり,彼の真似は誰にもできない(井口先生@フェルミラボからの知恵)そうだ。しかし彼には知識があった。何かを一所懸命考える際に勉強したからだ。覚えたからだ。違うだろうか。
    覚えたものが無い人が問題解決手段を考えることはできない。小学生がトラス(橋梁の一つの形式)を設計することは不可能である。彼らは座屈という非線形問題の存在すら知らないからだ。しかし彼らも,30 cm の物差しを押すと曲がることは知っている。しかしそれを活かす方法がわからない。知識が無いからだ。

2014年10月11日土曜日

ディプロマポリシー

    標記を作るときに東*大の学部のそれを見せてもらった。いいことが書いてあった。「日本語によるコミュニケーション能力を伸ばす」である。グローバル・グローバリゼーション・コミュニケーション・・・全部「英語」を念頭に置いている昨今のくだらない基準をすっぱり切ってくださった。うちも真似しようと働きかけてみたが,最終的にはどうなったんだったか・・・忘れた。ま,学生さんもそれを読んで何の足しになるかわからないから,ま,いいか・・・
    工学部の多くの分野では,多分,バックの業界が無くなっていると聞く。しかし土木には建設業界が歴然と存在し,それ無しには社会は発展しないし維持もできない。それなのに,従来の土木科目は旧いということで削除する傾向が全国的にある。そのうち,土木構造物が外国のそれと同じように,ある日突然・・・なんてことが起こるのではないか。と,一応の心配をしてみたい。何が一番大事なのかを昨今は考えていないのではないか。最低限必要な専門知識を日本語でまず(頭の中で用いている言語でまず)身に付けることからすべてが始まると感じているのであるが・・・そういう意味でも土木は他分野とかなり違うのかもしれない。

2014年10月4日土曜日

大学の行方

    朝*新聞 10/1 のオピニオン。フェリス女学院大学の高田先生。高田先生と同じく,大学の点数制がくだらないことは大学人は全員知っている。さてオフィスアワーが予約制だと役所は評価しないとのこと。つまりは役所は部屋に縛り付けておきたいわけよ。各種プロジェクトの書類作りを教授にはさせたいってわけね。やはり役所は現場を知らない,知ろうとしない。ディプロマポリシーとアドミッションポリシー(役所はこの和訳を知っているのだろうか)は作りましたよ。作っておけばいいだけですよ。でも科目ナンバリング(そろそろうちでも始まる)はいいかもよ。留学したとき「D11 はベストな科目で必ずとること」という会話ができる。学生も B10 を取らないと多分 C12 は理解できないだろうとわかる。履修ガイド(我がコースでは絵入りで作ってある)だと思えばいいことです。さて,UCLA の竹崎先生。「プロジェクトは結果が既に予測された研究」というのは簡潔な表現で気に入りました。うちにも金集めばかりする吝嗇教授がいますよ。授業はさぼるし教授会にも出てこない。ま,現場も荒れてます。昨今,金を使わない研究はゴミらしい。

2014年9月15日月曜日

男女共同参画

    政府の女性の比率が上がったそうだ。仕事柄,有能なら性別なんて関係無い部署だろうから当たり前だ。
    ずいぶん前に標題のようなことを推進するための部署が大学内にできた。そこからのアンケートの一項目に「教授人事の最終候補者が同じ業績レベルで同じような人柄の男女 2 名だったときに女性の方を選ぶか」というものがあって驚愕した。大学の教員人事(特に僕に関係するような,どちらかといえば理論的な研究分野)において性別がどこに関係するというのだろう。全く理解できなかった(今もできていない)ので「否」と答えたが,誤解されるのが怖い小心者なので理由(内容は忘れた)も付記しておいた。
    小学校の僕の学年の同窓会が盛んである。鹿児島である。男女の上下関係は無い。どちらかと言えば女性の方が元気だ。高校の同窓会でも同様だ。そもそも卒業時の席次では,上位には女性が並ぶ。今や女医さん達だ。中位以下は混在するだけだから能力に差は無いと見るのが自然だろう。卒業生の中で一番尊敬をされているのは医者と弁護士ではないだろうか。しかもこの方々は仕事上でもお互いがつながっている。自営業の人たちも地元の生活を支えるべき尊敬される存在である。一番役に立たないのが大学教員である。そもそも非常識人だし・・・僕だけかな? 呵呵。先が短いから,女医さんとは仲良くしよう。
    鉄道駅で切符を買う場面である。女性の窓口を選ぶ。その方が早くて正確だからだ。東京から仙台に行く比較的混雑した新幹線で,自然にスピーディーに「こまち」を勧めることができるのは女性だ。数少ない経験ではあるが・・・どちらかと言えば女性が好きだ。あっ,僕が男だからかな? 呵呵

2014年8月30日土曜日

考える力を入試に

    昨今の新聞記事では,例えば意欲を評価すべきとか,荒唐無稽なことが書いてある。不安である。僕は物理の入試問題を作ったことがある。3 問作るのに 10 人の教員が,朝 9 時から夜中の 2 時過ぎまで数回にわたって完成させる。知識だけでは解けないようになっているが,もちろん知識が無いと解けないようになっている。それを外部の人間は「知識を問うだけのくだらない入試」と呼ぶ。本当か。理工学部の受験生の半数は問題の半分までしか回答できない。解答用紙の裏表にすべて書き込みがあるのは医学部だけだ。知識が,使える形で身について(整理されて覚えられて)いるからだろう。
    土木工学科の外部評価で,積み上げ式のカリキュラムを岡村先生@コンクリートに批判された。子供の野球を考えなさいという。まず練習試合をやって面白いということを覚えさせるべきだという。確かにそうだ。しかし岡村先生は基礎の詰め込みを否定したわけではない。まず楽しさを知ったら次の苦しい訓練を乗り越えられるとおっしゃっているわけだ。
    その苦しい訓練が実は中学高校のプロセスだ。ここで大事なことを使える形で覚えておかない限り,応用の可能性は無い。小学校の総合科目。ほぼ無意味だ。自由研究。不可能だ。教わらない限り(秀才でもない限り)科学的な報告書は書けない。単なる感想文なのだから「総合」とか「研究」とかいったまやかしはやめて,例えば「隣の花子ちゃんと一緒に二種類の肥料を用いた朝顔の発育の違いについての感想文」で十分な教育になる。そしてそれを教諭がすべて読んで,一語一語に赤を入れて返すことが必須だ。国語のいい勉強になる。僕らが,学生が生まれて初めて経験する研究の報告書である卒論に対して実施している教育手法だ。
    経済も行き詰まり,首相も言っていることがわからない,この苦悩の時代。こういったときには半可通が教育論をぶつ・・・と言っているのは僕のおやじだ。まことにその通りのことが起こっている。

2014年8月17日日曜日

ビックな大きな大きなビックリ

    ビックカ*ラというのは正しいのですが,鹿児島のあるマクドナルド店の貼紙に「ビックマック」というのが目に入った。うぅーむ。きっと驚くような新しいハンバーガーなのであろうと・・・

2014年8月13日水曜日

一般人にとっての地盤とは

    鹿児島市内の国道沿いの歩道に立っている国交省管轄のポールについているプレートである。「ここの地盤は海抜 3 m」とある。なぁーるほど,地盤が 3 m くらいなのはわかるとしよう。しかし,地面は地盤に少なからざるシラスが積もっているだろうから,もうちょっとあるのだろうなぁ。だったらさ,一体全体津波に対して大丈夫なのかどうかわからないではないか。と思うのは,僕が土木関係者だからだろうか。一般の人はそもそも「地盤」なんてわからんだろうなぁ。どうして『地面』じゃいけないのだろう。地面なら小学生でもわかる。わざと難しい言葉を使って,万一のときの責任逃れでもしようというのだろうか。よくわからないなぁ。あ,そうか,嘘はよくないから本当の地盤の海抜を書いておけば,実際の地面はそれよりも高いから,国交省は安全側の情報を提供していたと言いたいのだろう。しかし,2 m くらいシラスが積もっていたとしたら,津波予報が 3 m を越えるかもしれないという報道があったとき,逃げなくてもいいのに逃げようとしてケガをしたらどうなるんだろう。うぅーむ,やはりよくわからない。

2014年8月11日月曜日

正直というか商売上手というか

    鹿児島空港から市内へのバスの車窓。あるパチンコ屋さん(だと思うのだが)の外壁に種々の標語(?)が書いてあるように見えた。読めたのがたまたま `No pain, no gain.' うぅーむ。すごいなぁ。

2014年8月10日日曜日

TV の字幕表示

    おやじの耳が遠くなってからボリュームが高くなり,一時期耳栓を使っていた。ふと思い出して「字幕表示」設定をしたところ,かなりの番組でそれが出る。おやじの勘違いも無くなった。さて,ドラマは予め入力されたものが画面の縁に出る。ところがニュース等の同時通訳(?)では画面のど真ん中に表示される。ちと邪魔だ。ちなみに TV はパ*社製である。ま,それは半分透明なので,そこそこいいことにしておこう。
    問題は訳である。「仮令」が「例え」である。「見做す」が「見なす」なのはいいのかなぁ。確かに「漢字の選択ミスがあります」という断りは出るのではあるが,10秒以上も遅れた翻訳表示にそんなにミスが多いのも問題ではないか。まさかタイプに不慣れなアルバイトが入力しているのだろうか。おやじが最も怒っているのは(TV の中の人もそう発音しているのだが)「すいません」である。「吸いません」ではない。TV の中の人がそう発音したとしても,字幕は「すみません」ではないのだろうか。

2014年8月8日金曜日

PDCA サイクル

    昨今大学でよく聞くわけのわからない文字列の一つだ。きっと文科省だけが頑張っている標語なのだろう。というのも,某大手電力会社の地下水汚染対策には活かされていないようだからである。
    さて,くみ上げてみたらどうだったのか? 僕のような素人は,海側からの汚染された地下水もくみ上がると予想したのだが,報告(C)が無い。その報告が無いまま,今度はくみ上げたのを除染して放流したいのだそうだ。そこには凍土壁というステップが前提のようだが,その凍土壁についても報告(C)が無い。しかも,どうやらある元素は除けないというマスコミ報告もあるようだが,大丈夫なのだろうか。Plan-Do-Conceal-Abandon サイクルというのは,実は私が得意な手法である。いわゆる「行き当たりばったり」という手順だ。

2014年8月6日水曜日

ニュースキャスターの先入観

    不愉快になることが多い。例えば災害が起きたとする。ヘリコプターからの映像を見ながら専門家と(電話かな?)リアルタイムで話をしている。専門家が言っていることをほとんど理解できない。それだけならいい。勉強していないだけだ。しかし,専門家への質問や言っていることが,ある結論に向かった,バイアスがかかったものであることが多い。先入観というのはあくまでも公平に捉えた批判であるが,実際には,ある目標の結論に結び付けたいのではないかと思われる質問しかできていない。最近の,友人を殺した若い女性とその家族の行動についての,専門家への質問も同じだ。ニュースが事実を伝えるのではなく,一つのショーとして,ある好奇心まみれの結論に結びつけるような方向のフィクションを伝える場になっているように感じる。

2014年7月26日土曜日

研究熱心な中国の学者さんたち

    もう 10 年以上前からだと思うが,GB コードのメイルがたくさんくる。もちろん読めない。中には,悪意のある人が中国を経由してメイルするというのもあるらしい。しかしである。最近は,中国で開催される国際会議の案内が五万と来る。中国の研究者は論文をものすごい数出さないと就職できないとか。そういえば最近学生さんが読む論文では,論文集名と中身は英文でエ*社が管理するものだが,著者が中国人だと,参考文献がほとんど全部中国人になっている。最先端をやっているのであろうが,やや疑問は残る。その論文のレベルが低いものが多数あるからだ。最近読んだものの参考文献は 80% が中国語の論文だった。中国人が編集者の論文集に中国人が論文を出して,それをお互いに引用して被引用数を稼ぎ,また国際会議に外国人を招待して何らかの業績にしているのであろうか。業績稼ぎにしか見えないような不思議な傾向だ。メイルによる会議への招待もしつこいし,5 年以上前の僕の論文の題目をつけて招待しようとしているのも怪しい。もうそれは終わった業績だし,引用数もほとんど増えないし。ま,招待という言葉がつくことだけでもありがたいと思わないといけないのかもしれない。

2014年7月20日日曜日

名簿の横流し

    昨今のベ*という会社の情報流出が問題になっているらしい。が,本当は何をいまさらではないのか? 名簿に関しては大昔からこういう取引がなされていたのではないか。報道が知らなかったとは思わない。
    実は僕も,性善説で土木学会内部を見ていたことからのトラブルに巻き込まれたことがある。某大学のある土木分野の大教授が,自分たちが作った本を売るために,僕が出版委員会メンバーとして集めて学会に溜めていた個人メイル情報を,某出版私企業に横流しし,その本の宣伝を不特定多数(当該分野以外も含む大学関係の学会会員にである)にメイル案内したのである。これには参った。それ以来,名簿を集めた僕が非難されるのは,ま,仕方がないのであるが,これを起こした学者達は全く反省も何もしなかった。それ以来,この土木のこの分野の全人類を信用しないことにした。ま,大学人というのは自分も含めて非常識人であることは大いに認識していたが,ここまで馬鹿な輩がいたとは思ってもみなかった。とても勉強になった事件である。

2014年7月13日日曜日

ジャガイモの皮むき

    花*のシャンプーに毎晩イラついている。シャワー室の床で倒れなかったことがない。重心が上にあって,底面積が小さい。そぉーっと置いても倒れる。シャワー室で倒れたのが,また乾燥室でも倒れる。ロッカーに運んだあとも倒れるのである。満タンにしないといけないのか,あるいは,家庭の風呂場のように,なにやら棚があることが前提なのか。まったくイライラする毎日である。きっと何か深い目的があって,こうなっているんだろうなぁ。デザイン重視かなぁ。某東*大学建築のデザインした建物に似ている。他社の製品に換えようかなぁ。
    芋の皮むきがなぜクリーム色というかベージュなのかということについて,高校か大学の先生から教えてもらったことがある。皮をむいたあと,皮と一緒に間違って捨ててもらうことによって,また新しいのを買ってもらうのが目的らしい。僕は用心深いから 30 年使い続けているが,芋の芽を取り去る部分は早々と壊れた。うぅーむ。シャンプーと同様,何か深ぁーい目的を感じざるを得ない。

2014年6月28日土曜日

学生さんはお疲れ模様

    前にも書いたかな・・・
    エレベータに乗る。途中で男子学生さんが乗ってくる。待っているときからスマートフォンを見ていたが,乗り込んだあとに行き先ボタンを押すとすぐにスマートフォンを操作開始。次に乗ってきた男子学生さんは手に持っているだけ・・・と思いきや,ドアが閉まるとスマートフォンだ。かつての Walkman の TV CM(学生さんは知らんだろうなぁ)に出てきた猿と全く同じ状況であって,お馬鹿にしか見えない(が,なぐられたくないので口には出さない)。さて次に女子学生さんが乗ってくる。どうやら二人目の学生さんと友人らしく,お互いからの挨拶は「お疲れ!」だった。確かに夕方である。が,20歳前半の学生さん達はそんなに疲れているのだろうか。スマートフォンの見すぎで疲れているのではないのだろうか。
    ちと面倒をみてやった学生さんはその後(前からだったかな)気軽に挨拶をしてくる。毎度「お疲れ様」である。朝っぱらからである。「おはようございます」という言葉を習ったことがないのであろう。夕方も「さようなら」という簡単な言葉も知らないらしい。うぅーむ。微分や積分ができないだけではなく,普通の挨拶もできなくなってきているんだなぁー,昨今の学生さんは・・・と,今後の日本がどうなっていくのか,集団的自衛権どころじゃない状況なのだ。朝から疲れている学生さんがこの日本の将来をどうしようとしているのだろう。そして母国語ですら挨拶を知らないのだから,そのうち発生する予定の Klingon との敵対状況も早まるのではないだろうか。
    ところで,ある TV 番組で「お元気様」という挨拶にしようというご提案が出された。うぅーむ。それも手ではあるが,豊富にある挨拶言葉を教えてやれば済むことではないのだろうか。「おはよ」「こんちは」「さよなら」「またね」「とっとと帰れ」「おやすみ」「こんばんは」「おばんでござりまする」「よぉっ」「あっち行け」「何しに来た」「このやろぉ」「どうですか最近」「元気ですか,なぜですか」「ちわっす」「あした間に合わない」「お先に(仙台では『おさきします』という変な表現もある)」「じゃぁね」`What's up?', `Take it easy!', 'Take care!'・・・たくさんあるのにねぇ。

2014年6月15日日曜日

話し言葉と書き言葉

    もはや死語なんだろうなぁ。修士の学生さんが読んだ論文の,ゼミにおける発表スライドである。ある結果がそこそこ容認できる程度のものだったことを説明するところで,「・・・はよさげ」と書いた。ま,こりゃ駄目である。そういうこともわからない若者なわけである。僕もそうだったのだろうか。しかし,書く言葉と話す言葉は区別していたとは思うのであるが。プールで会う小学校の先生にこのことを話すと,とんでもないことだということであった。で,結局,今回は目をつぶることにしたが,今後「よさげ」「半端ない」「きもい」等をスライドで使わないようには伝えた。本人は訳がわからないようだったところが,また,困ったものなんだが。
    久しぶりに BASIC プログラムで遊んでいる。そのためブログ休憩が長かった。やはり行き当たりばったりのコーディングは間違いが多すぎ!

2014年5月9日金曜日

どうしても留学

    ダブルディグリーではなくジョイントディグリーだそうだ。何が何でも「留学すること」=「グローバリゼーション対策」なんだろうなぁ。卒論の中身を打ち合わせしていて,日本語でもコミュニケーションがとれない昨今である。英語で最初からやれってことなのかもしれない。しかし,あれだけ非論理的な日本語表現しかできない学生さんが,論理的な英語を使うことで脳みそも改善されるとは,それほど容易には期待できない。
    こんな中途半端なことをするよりも,大学院は米国で! ってのはどうだろう。工学系学士は MS を取得しなければ就職できないとする。会社も英語が使える人材を欲しがっているようだね。そうすれば,日本での卒論のときにも英語が苦手でない学生さんが増えるというメリットもある。英語が苦手だと結局は就職できないんだから,大学入試の段階での英語の能力は必然的に上がるはずだ。呵呵。ジョイントディグリーで中途半端な知識だけを 5 年で得て学士をもらって 2 年の修士に進学するよりも,例えば修士を 3 年米国でやって,合計 7 年で学士・修士を得ていい企業に就職するっての方がいいんでは。
    ん,それじゃ就職できない? 7 月からの就活ってのはどうだろう。3 月に日本で学士をいただいて,半年英語の勉強をしながら,卒論をもう少しちゃんとやって,8 月に米国に行って修士を開始する。平均的には 3 年で修士を取得し,6 月末に帰国して,7 月から就職活動を開始して,翌年の 4 月入社を果たす。7 月からの半年で,修士論文をもう少しブラッシュアップできれば,元の日本の大学でも修士をいただける。ん,8 年かかる?

2014年5月4日日曜日

我々はこういう人種なんだろうか

    某製糸場とか某日本酒とか,そこに殺到するニュースには寂しい気持ちというか複雑である。阿呆かいな・・・というのが正直な気持ち・・・そこまで流行にすぐに乗りたいのだろうか。否,マスコミがそういうニュースを出しているだけなのだろうと,自らを慰めているところである。ひょっとして戦争にも・・・

2014年4月30日水曜日

よくわからない対応

    「捏造」といった言葉を法律的に捉えるのはその筋の人たちに任せればいいことで,そんな質問状に科学者本人(もし科学者なのだったら)が名前を連ねるべきではないのではないか。科学者がやらなければならないことはただ一つ,真実を示すことだけ。クチャクチャ言い続けるだけなら誰も信用しなくなるだけで,損するのは科学者本人なのだが。
    話は全く違うが,IE を使うなという。違うブラウザを使えという。巷の素人(例えば,僕が通っているジムの友人達)が IE を使わずにどうやって違うブラウザをインストールするのだろう。よくわからない。

2014年4月19日土曜日

実験ノート・計算ノート

    使うことが当たり前なのだが・・・特に,計算機が蔓延してから(いやもっと前からかな),学生さんがノートに書かなくなっている。特に昨年度の修士の学生さんは,僕に出すものすべてが LaTeX 出力だった。信じられない。手書きの方がはるかに楽で間違いが無いのに。ある計算を僕の手書きで渡してから間違いに気づく始末である。そのあとは手書きを注文したが・・・この学生さんの結果は信じて論文を書くことにはしているが・・・心配でしょうがない。
    さらに昨今は,何か学生さんが書いたとしても,ミスコピー等の裏紙。どうして? 僕は指導教員からそんなことは指導されなかった。校費で買った研究室のレポート用紙の使用を許可された。僕も以前は研究室でもそうしてきたが,この 10 年は面倒で何もやってない。したがって,裏紙・・・だ。また,ボールペンとは指定されていなかったが,研究室の研究上では消しゴムは使用禁止である。間違ったページには赤で斜線を入れるのは当然である。日付を入れるのも当然だ。言っておくが,実験ではない。計算である。斜線を入れておかないと,また同じ間違いを犯すからである。消しゴムは研究上では不要だろう。プログラムを作るのも,ノートが最初なはず。頭で考えて作ったコードは間違いだらけだろうなぁ・・・自分のことを棚にあげると・・・
    それが就職した途端,ペンとノートを持ち始めます。

2014年4月12日土曜日

論文コピペ

    そんなことはあり得ないはず。なぜなら,指導教員が目を通す,加筆修正をするからだ。博士の学生であっても,学位論文くらいまでは,段落ごとに数箇所以上は修正が入ると思う。だから,あり得るコピペは,その指導教員が以前に書いた論文のコピーのみだ。それでも数行は続かないだろう。質の低い論文を書くのは,研究室そのものが成立していないのではないか。その研究室の教員も学生も全員がコピペしているんだろう。とんでもない研究室である。そもそも博士の学生であっても完璧な文章を書けるはずがない。しかもその成果を公表する場合には,指導した教員の責任も発生する。
    最近いくつか社会人博士の論文を読むことがあった。著作権の認識が低い。また修士論文等でもかなり問題がある。他人の業績の引用が多すぎる。読んでない論文がリストにある(先日,森先生とお話ししたときにも,そのことが出たなぁ)。査読で回ってくる論文,特に社会人博士学生とおぼしき人の論文は非常に質が悪いし,論理が整ってないから中身が理解し難い(いや,僕の頭がパーなだけだった)。実は会社の技報のような文章がずらずら並んでいるだけ。指導教員は読まないのだろうか。僕に来た,その手の論文はすべて否になってしまいます。やってることはいいことなんだろうが,論文は駄目ってのが多すぎ!

2014年4月9日水曜日

信じられないマスコミ他

そもそもマスコミを信じることはできないのではありまするが,なぜ,一番簡単で確実な質問「**大学からの要請のネズミの・・・」をマスコミがしないのか理解できませんよねぇ。とはいえ,毎年毎年,学生さんの結果を信じて論文を書いているリスクは,本当に胃に穴があきそうではあるのだが。200 回以上の結果が出ているものが,テーマの違う PhD 論文の写真と取り違えられているのはどうしてでしょうねぇ。僕のようなチンピラとは言え,一応論文を書いて金をもらっている者として,論文を書いているときのこの方の心理は想像できないですね。うぅーむ,そうかぁ。普通の(チンピラが運用しているようなくだらん)研究現場で起こる事象からはかけ離れているということは,やっぱり***研究所というのはノーベル賞級のすごいことをやっているんだろうなぁー。

2014年4月6日日曜日

再履修

    米国でもできるんですね。repeat classes というのだそうです。しかし,成績証明書には最初の成績と一緒に出たり,GPA には考慮しなかったり。そりゃそうでしょう。日本の大学は甘いんだな。卒業が容易ではないという教員もいるようだが,確実に日本の大学は卒業は楽でしょう。僕のように線形代数が不可(後期)でも卒業できる。呵呵。
    さて,GPA の導入については本学工学部は積極的だったと思ったのだが,大学本部がそれを推進しようとした途端,それに反対するんだとか。なんでも,その GPA の使い方・運用の仕方が悪いんだとか。工学部では,再履修で変更できるべきと主張しているとか。なんじゃそりゃ。どうも,工学部は甘いんではないだろうかと思うねぇ。
    が,そういう枝葉末節はともかく,日本の大学のように退学勧告が事実上できないシステムに GPA を導入しても,結局は何も変わらないだけなのに,そういう本質には目をつぶっている大学の体制は全く理解できませんねぇ。困ったものです。GPA が C でも卒業できるんだったら,導入しないのと全く同じです。それがわからんのかねぇ。

2014年3月30日日曜日

人前で食べること

    大学生協食堂内です。学生さんはともかく秘書さんたち(おっと,ちょっと前まで学生さんだったのかな)にも,足を組んでお食事中である。品が無いねぇ。学生さんは,平らな皿を左手に持って口まで運びますよ。どうなってるんでしょうねぇ。
    と,昨今の TV を眺めていると,レポーター(タレントではなく TV 会社の)も品が無いねぇ。ナイフもフォークもきちんと使えない。職業柄,単に人前で食べているわけではないですよねぇ。不特定多数の,多くの異なる価値観を持つ人に「見せる」ための姿勢が下品なのです。どうしたんでしょうねぇ。食べているものもまずく見えています。

2014年3月25日火曜日

地下水バイパス

あそこに井戸を掘って汲み上げて,山からの地下水が汲み上がり始めたあとしばらくしたら,今度は海側の汚染された地下水が山側にある井戸側に戻り始めて,アージャパーってことにならないのだろうか,とは,水理学の単位をギリギリしか取れなかった者の空想ではある。だいたい,地盤なんて訳のわからない材料中の,見えない水の流れ・流速を,どの程度の精度で把握しているんでしょうね。理論的には難しそう。コンクリート屋さん達のように実験しかないかぁ。土木学会誌に何か書いてありましたっけ。読んでないのでわからん。

2014年3月22日土曜日

論文の書き方をどう教えるか

    *日新聞の投稿欄で誰かがその必要性を説いていた。僕は教えている。60 分だけだが,本多氏の名著(本多氏自身のことはさておいて)を説明している。この最初の 100 ページを読むだけで,日本語で書く科学論文はとても良くなるからだ。教職員の助成金申請書の A4 半分程度の文章でも,きちんと書いてあるのは 20% くらいではないだろうか。今年度は業務として若手の数種類の申請書案を読ませてもらったが,ほぼ 100% 駄目だ。LaTeX で書けば,魂=本文(本学工学部のある先生の常套句)が込められるのだが,ワードプロセサだといい文章は書けない。手書きの方が多分もっとよくなる,という話はさておいて・・・
    本多氏の著書にもあるが,小学校から高校までの国語で「文章の書き方」は教えてくれない。論理的な文章をいくら読んでも,自己流だけではうまくならない。昨今はそれを英語にしろという無茶な要求まで加わっている。学生さんや若手教員の英語の口頭発表は意味がわかりにくい。動詞と名詞がごちゃまぜ,生半可の海外経験だと不要な常套句が挿入される。You know. とか I mean. だ。4-letter words でないだけましだが。教員会議(もちろん日本語)でも,わかりにくい発言も多い。それを学科長が聞いてきて学科で披露すると,もっとわかりにくくなっている。なぜだろう。

2014年3月16日日曜日

一度も冷凍しない肉

    以前聞いた話だが,生簀で泳いでいる魚と,遠洋で釣れてすぐに冷凍した魚を解凍したものと,どっちがうまいか。というクイズが出るくらいだから,後者に決まっている。生簀での生活というのは魚にとっては辛い人生なんだそうだ。鬱屈した状態では生きていく気力が無くなって肉がまずくなるという解説だった。
    さて TV CM で,一度も冷凍しない赤みの旨い肉というものを聞いた。ながらなので「聞いた」だけである。本当か。腐ってないのか。腐ったくらいが旨いという例のあれか。と思いは巡る。国内産の和牛なら大丈夫か。しかし和牛ってのは無駄に脂肪が乗っていて,柔らかいだけでまずい。肉のえぐさが無いからだ。肉というよりも肉の匂いのついた揚げ豆腐ってところか。その和牛の赤身って,誰も食べない廉い肉のまずい部位なんではないかという勘繰りまで至ってしまった。

2014年3月14日金曜日

父兄が乗ったお受験バス

どうやら,生協が試験初日に父兄説明会を開き,先着*名とか,震災でアパートが不足しているとか,あおったのが原因らしいと,学生さんからの情報でした。生協も思慮が足りん。

2014年3月1日土曜日

迷惑な父兄

    しばらく忙しかったら,2 週間くらいの感覚で 2 月が終わってしまった。
    さて本学の前期日程入試で,仙台駅前からキャンパスまでの臨時バスを設定したそうだ。ところが初日の試験開始を 30 分も遅らさざるを得なかった。原因は父兄。バスの調達数は昨年度までの実績を見てのはずだが,例年になく付添いが多かったそうで,試験開始が近づいた時間帯に,まだ仙台駅前に受験生があふれていたそうである。なんともまぁ,不安だったろぉねぇ。臨時バスに乗った父兄を恨むよねぇ。そんな父兄の受験生は,土木は要らないよなぁ。まぁ,土木なんかには来てくれないんだろうがねぇ。
    僕のときはどうだったかなぁ。確か,同じ大学を受ける生徒 10 名くらい,あるいはそれ以上が,試験のあるキャンパスの裏にある旅館に一緒に泊まった。そのとき,確か僕の担任が一人引率していたような記憶がある。西駅(ってわかるかなぁ?)で乗った列車から一緒だったように思う。遊びたがる我々を一人で制御していたんだから大変だったろうなぁ。近くの食堂で昼飯を食べて 100 円札で払ったら,すごく驚かれ,その驚かれたことに田舎者は驚かされた。もう 40 年以上前のことなんだなぁ。

2014年2月8日土曜日

使わないものを新築物に設計する意味

    建築屋さんの考えは,少なくともここ数年の学内の建物を見る限り,ぼんくらな僕には理解できない。超越した芸術家なのだろうが,一般人が住む箱を芸術物にしてもらっても困るのはユーザー。使用性という限界状態設計法は建築には無いのであろうか。
    最近,ある建物がリニューアルされた。ドアには縦長の窓がついている。引越しが始まってほぼ一ヶ月で,かなりのその窓にブラインドやら目隠しプラスティック板などが貼り付けられた。もともとあった意味は廊下を明るくすることだったのだろうか。それなら曇りガラスでもいいのだが,実際は透明ガラスだった。我々の住む予定の建物もあと半年で完成するらしいが,予算の関係でドア周りのガラス窓は無くなったそうだ。よかった。

2014年2月1日土曜日

工学教育

    朝*新聞によれば,米国の理系教育のキーワードは Science, Technology, Engineering and Mathematics (STEM) だそうだ。S と T が区別されている。須藤先生@東大の主張と整合するものである。なのにその記事では「中黒」無しで「科学技術」が使われていた。
    さらに T と E も区別されている。ABET という機関のページで見る限りは,E は基礎で T (Engineering Technology) が応用のようにも見える。NU の工学部の入った建物は Tech. Inst. だった。応用が主体と見えるが,土木・機械周辺は基礎研究だった。東北大学工学部は T が目標である。ま,目標にするのはいいが,実学とか言い過ぎでは。

2014年1月26日日曜日

超域大学院

    いまや修士までは基礎を学んで基礎研究のお手伝いをするのが本務。それでも修了単位が少ないから実際の基礎知識はかつてよりも大幅に少ないまま社会に出ている。最近の大学や役所がやろうとしていることは逆じゃないのかと感じる。米国は,基礎研究に軍すらが支援をし,大学・大学院では知識を学ぶ。2 年生までの知識なら日本は勝つかもしれない(一般教養はきっと負ける)が,3 年生以上の知識量は多分,米国が 1.5 倍くらいあると感じる。それを引き出しに入れて社会に出て,民間研究所に出て,イノベーションにつながっているのではないか。ミシガンの菊池先生の感想は,確か(僕の解釈で)日本人はイノベーションには向かない気質。形だけリーダー育成とか言いながら,頭の中の引き出しがほとんど無い人材が社会のトップに立つと何が起こるか,ちと怖い。

2014年1月18日土曜日

貴様はこれで騙されてくださるはずです

    『2014年「三菱東京UFJ銀行」のシステムセキュリティのアップグレードのため、貴様のアカウントの利用中止を避けるために、検証する必要があります。』というスパムが来る。いくつも来る。『「貴殿」のお知りになるべきことではないのでございますし,「俺様」はそこに「口座」はお持ちしていらっしゃらないんでございます。』と返信してもいいのだが。そういえば何年か前,死んだ母親宛の葉書が来て,めちゃくちゃな日本語・敬語でありました。おやじと大笑いしたことでしたね。
    学生さんによると,こういう文章は,例えばどこかの外国語で原文を作ってそれを日本に流すときに,インターネット自動翻訳をすると完成できるらしいということだった。興味深いねぇ。ゼミの論文の英語もネットで翻訳させている学生さんも多い昨今です。

2014年1月11日土曜日

新幹線のリクライニングは戻して欲しいかい?

    以前から不思議に思っていたのだが,降りる時にリクライニングをリセットする客がいた。なぜそんなことをするんだろうと。
    ところが先日,車掌がアナウンスで「次の客の気持ちを考えてリクライニングをリセットして降りろ」と言うのである。公共交通列車の椅子であるから,当然誰か他人が使っていたものに座らされることは,リクライニングのセット状況とは無関係に当たり前のことである。そしてリセットされた新幹線のシートには非常に座りにくい。飛行機のそれが全然問題にならない程度なのに比べて,「何じゃこりゃ」というほどひどい。僕としては,リクライニングにセットされている方がよほどうれしい。
    もしかしたら座る人ではなく,その一列後ろの人の出入りのためか? とも考えてみたが,誰か一人でも降りない客がいればほぼ同じ状況だし,リクライニングの状況くらいではあまり関係ないようにも感じる(学生さんはこれが理由だろうというのだが)。
    僕がわからない不思議な「気持ちのよさ」を持っておられる人がたくさんいらっしゃるということか。

2014年1月4日土曜日

鳥の目

    確かトンビ等は視野の狭い望遠レンズになっていて,地表のネズミ等を上空から探せるという解説を聞いたことがある。動くものを探すなら広角で大局的に眺めていた方がいいような気もするのだが。さて写真は,鹿児島の実家に冬になると来るメジロである。鳴き声は独特だから,庭に来ているかどうかはわかる。実家に戻った日には声が無い。ということは庭周辺には飛んできていないのだろうと推測。そこで翌日,ミカンを半分にすると,半日もしないうちに二羽以上が飛んでくる。常に偵察をしているのだろうか。しかも,こんな小さいミカンを上空からどうやってみつけるのか。不思議だ。庭には椿が咲いているから,それにやってきていたのだろうというのが考えられる答だが・・・
    以前,職場のベランダにご飯粒を並べたことがある。数日あるいは一週くらいするとスズメが見つけてやってきた。で,毎日置いたら,毎日来ていた。ある日,置き忘れた。するとベランダに並んでこっちを向いて鳴くのである。うぅーむ。