2014年12月13日土曜日

論理的にものを考えるために英語を習得させる

    東北大学工学部が英語を,使える英語(聞く・話すというだけではない)を,必修にすることを提案している。曰く「学生は,英語で段落を書いた経験が無い。英語を書く教育を受けたことが無い」と。本多勝一氏は『日本語の作文技術』の中で,この「英語」を「日本語」にした主張を大昔からしている。教授会ではごく正当な質問が出た。「日本語がダメなんではないか」だ。答はなんと驚くことに「日本語も含めて論理的な思考や記述ができるようになるために,英語を用いるのはかなり効果的だ」だった。本当か。嘘だろう。
    先生達は,自分達が英語を書いたりしゃべったりできる(独学で)ようになったからそう言っているだけだ。僕はいまだに英語を正しく聞き取れないし話すことも非常に苦手だ。5 年も留学してただろうって? 研究する場合は,相手(ボス)はインテリなので,何を言いたいかは相手が汲んでくれる。さらに数式で意思は通じる。適当に聞いて適当にしゃべれば通じるのである。だから,買い物に行って何かしゃべると通じない。今でも映画を英語だけで観ることは不可能だ。確かに工学研究科の教員の能力はものすごい。留学もしたことがないのに,論文は全部英語というのがいっぱいいる。信じられない。
    実は,学内のある小さい団体のニュース編集委員長をやったことがある。記事は学内の当該教員に依頼するのだが,僕が読んだ 10 編程の記事で,赤を一文字も入れなかったのはお一人だ。他は,「てにをは」はもちろん,接続語や論理がスムーズではない。特に*築学専攻の先生の文章はお経だった。赤を入れようにもどこに入れたらいいかもわからないくらい難解だった。もちろんすべて日本語である。
    全学生が英語を自由に使えるようになる必要はないのではないか。