2011年8月28日日曜日

中学校の放射線教育と性病教育

中学校の「理科」で放射線のことを教え始める(復活する)そうだ。ただ,TV に出た中学校教師曰く「どのくらいで悪影響が出るのかわかれば」・・・トホホだ。専門家でもわからんことが,中学校教育くらいでわかると思っているのだ。今問題になっている濃度は微妙な範囲だと TV でも言われているのにだ・・・本当にトホホだ・・・あるいはそれを期待している。そんなことせんで,広島と長崎に生徒を連れて行って,原爆で何が発生して人体に何をするのかを一度見せれば済むのではないか。誰もが嫌いな「理科」でそんなこと習ったって,興味も持てないだろう。どのくらいで悪影響が出るのかすぐにわかる性病教育ですら,このざまなんだから・・・
キューリー夫人のことは教えないのだろうか。X 線も教えないでレントゲン検診を受けさせているのだろうか。StarTrek で,データ少佐が壊れてある星に降り,放射線物質に対峙するストーリー等は,今の日本人の大半が理解できないというのだろうか。驚きである。困ったことである。

2011年8月27日土曜日

政治家は一時的な人気取りの連続で人生を過ごす

福島県の放射能関係のがれきは「県外」に廃棄するそうだ。どこ? 日本中の人の権利,安全を享受する権利は同じレベルではなかったか。確かに,福島県人は直接の被害者だからまず優先的にというのはわかる。しかし既に小学校の校庭の土の廃棄では,同じ福島県内でゴタゴタが起きた。無能無策な政府(その後ろにいる無能なブレイン達)が動かしている国ならではの光景だ。県外に持ち出してばら撒けば(おや? ばら撒きは現政権の得意技だったぜ)濃度が相対的に薄くなるからというのか? ばら撒きがいいのか,集中の方がいいのか。集中で考えてみよう。
とりあえず,福島原発の敷地内にそういった弱い放射能がれき置き場を除染装置付きで土木的に作ったうえで,そこに集約するのかなぁ。敷地は広そうだし。原発そのものと沿岸部の隔離設備(土木的建屋・堤防等の海陸上に設置)もそろそろ着手したらどうなのだろうと・・・何もしないで 5 ヶ月過ぎた。
もし電力会社集団が今でもやろうとしている低レベル廃棄物地下保管処理のシミュレーションが正しい(深さとか・・・)のであれば,その地下にまず埋設するんだろうなぁ。すごい大きさの穴が必要だ。土木の技術革新が必要だ。そして埋めた途端に,節理を通した汚染の拡大が発見されるという悲観的な見通しがあるかもしれない。一体,どうしたらいいんだろう。

2011年8月21日日曜日

この期に及んでもなお責任逃れの大連立

結果論で申し訳ないが,幸い僕は民主党には投票していない。そもそも権力を持ったらねじれ国会になることは事前にわかっていたということは,一党で責任をもって政をすると主張していたのではないのだろうか。投票した人はそれを期待して,票を投じたのではないのか。それが,未熟なおのれのせいで物事が前に進まなくなった途端,子供と同じで責任を投げ出しておじさんおばさん(他党)に協力をお願いする。そういえば,政権をとった当初から子供のような総理大臣は野党の協力をお願いしていたっけ。みっともない態度だったのだが,政権を取るという覚悟はやはりなかったのではないのか。とっとと辞めてもらったらどうだろう。どうせこの党はごった煮なんだから,まずポリシーが同じグループごとに分割してしまってから出直したらどうか。2 大政党制とかくだらない馬鹿なことを言って,訳のわからないカタカナ言葉を氾濫させてきたが,そんなことは僕らは望んでもいない。
結局,この党に安易に投票した人たちがいたとしたら,それもしっかり反省すべきであり,次回に向けてのきちんとした態度を今のうちに決めておく必要があるだろう。政党を批判すると同時に,幼稚な政党を選んだことを反省する必要もあるのではないか。

2011年8月20日土曜日

マスコミ特有の言葉の実際の解釈

帰省先での友人や先輩のお話から想像するに,あの大地震で仙台市内もがれきの山だと思っておられるように強く感じる。
マスコミ,特に TV はそもそも一番ひどいところ「だけ」を示した上で,そこ「だけ」に適用されるコメント「のみ」を述べる機関だということを,日本人は忘れかけているのではないだろうか。私がある種の指導を受けた先生(大学教員である)のお言葉は「活字(TV での発言も録画できることから活字と一緒!)は信じちゃいけない!」である。
例えばマスコミの表現は「どこそこでは(真意:どこそこが最も厳しい現場だがそこでは)」「あれこれが起こって(真意:ひどいものではあれこれという事態が発生しているという情報があるが記者自身は目撃していない)」「だれそれたちが(真意:聞くところによるとだれそれたちというグループもひとつの可能性であるが,もしかしたら***という社会の情勢の方が)」「ご覧のようにどこそこでは(真意:記者が立ち寄れる場所で最もひどい状況はご覧いただいているどこそこであるが,そこまでは問題なく到達できたので安心して欲しい)」のように読み(聞き)直す必要がある。
最近見たメチャクチャな具体例を書いておく。大雨で大河があふれかかっている。注意して欲しい。洪水が発生しているわけではない。画面では河川敷内のビニールハウスが冠水している。コメントを述べている役人さんは正しいことを言っているのだが,アナウンサーとレポーターはあたかも洪水して畑が冠水していると言いたくてたまらない様子だ。きわめつけはそこにある橋だ。橋はメインの河道では冠水しないレベルで跨いでいるが,河川敷に人を下ろす必要から河川敷地内は洪水レベルよりも低いレベルに下りている。そこが冠水しているのだ。それをマスコミの連中は洪水と言いたくてたまらない。役人さんはきちんとその構造を説明しているのにである。疑い深くて人の言うことを素直に聞けなくなっているのか,ひょっとすると頭が悪いのだろう。
という僕のブログも,ある一部のマスコミの一番ひどい挙動だけを見てそれが真実であるかのように批判しているに過ぎないが。実は・・・帰省して,初めてお会いした方々に仙台から来たと申し上げて,その後の会話に「地震」「津波」があった方はいなかった。そのくらい遠い存在なのだ,九州は。

2011年8月14日日曜日

古楽器が本当にベストなのか

クラシック音楽,正しくはクラシカル音楽の古典,例えばバロックの範疇に入る音楽を演奏するには古楽器を使う「べきだ」という主張があると聞く。ま,好みの問題としてそういった古い音楽に興奮しない素人の僕としては,お好きなようにと言わざるを得ない。が,ちょっと待ってくれ。聞きかじりでは,具体的に A 音の周波数は時代が現代に進むに連れて少しずつ高くなっているはずだ。そして多分,ある速度符号の演奏速度も速くなっているのではないか。
ならね,古楽器を使う「べきだ」という人たちは,ピッチ(だったけ? その A 音の周波数)も当時の設定に合わせた上で,速度も遅くして欲しいものだ。そうした上で,現代人のサポートが得られるなら,その「べきだ」を僕も認めましょう。ま,僕が認めようとそうでなかろうとどうでもいいことではあるが。もし,過半数の現代人が,例えば退屈だと感じるのであれば,その「べきだ」の根拠をもう少し論理的に示して欲しいと思う・・・そう思うようになってもう 30 年は生きているのだが・・・

2011年8月13日土曜日

日本語は難しい

以前,「地球に優しい」という言葉はおかしいとおっしゃる先生がおられた。もう理由は忘れてしまったが,そのときは納得した記憶がある。何のこっちゃ!
マスコミが「感動」という言葉を頻繁に使う。別に感動しないものに対してもである。一部の人が「興奮」できるものは,マスコミにとっては視聴者全員の「感動」であるらしい。だから「興奮させる」ことを「感動をあげる」という表現になるのだろう。「興奮」は人それぞれが勝手に抱くものであって,もらえたっけ。もらったことは無いような気がする。
さて震災以降,飽きるほど聞こえてくる言葉がある。「がんばる」「勇気」だ。そして,それを「あげたり」「もらったり」できるというのだ。うぅーむ。よくわからない。被災者の中には,いわゆる「うつ」に近い人もいるだろう。がんばってるのに事態が好転しない毎日を送っている人だ。そんな人に「がんばれ」と言ったら,もっと落ち込む。いわゆる「うつのスパイラル」への入口は「がんばれ」という言葉なんだそうだから。本人はがんばっているのにできないことを悩んでいるところに「がんばれ」は無いよね。女子サッカーが世界一になったことが,どうやったら「勇気」に結び付くのか,ちょっと想像できないでいて,毎日悩んでいるのだが,勇気を持ってブログに書いてみた。

2011年8月7日日曜日

優良地方銀行ひちじゅうひちぎんこう

『七』は何と読みますか? 「ひち」ですよね。ってのが間違っているらしいのを知ったのは 30 歳を越えてからだったと思う。とても驚いたねぇ。「質屋」は「しちや」だが「七変化」は「ひちへんげ」だろう。困ったねぇ。西の方では「ひち」と発音しないのだろうか。
そうそう,一度小さい国際会議を主催したとき,同伴者用にガイドをある方にお願いしたところ,お子さん達に日本語の数字の読みをジェスチャ付きで教えてくださった。つまり,どこか引っかきながら itchy,ひざを触って knee,天を指差して sun,女性に対して she,歩き始めて go,岩か錠を指差し rock? lock? かな?,何か動作して? hitch,マンホールを指差して hatch,親指出して cue,10 は忘れた。あれ?「ひち」じゃん!

2011年8月6日土曜日

壊れる椅子のある風景

建築家という人たちは,何を目的にして建物や家具を設計しているのだろう・・・という風景がうちの大学にはある。
工学部の食堂周辺が改築された。食堂は広くなったように思うが,座席数は少なくなったようでもあり,効率が悪くなったのだけは間違いがない。一番ストレスを持ってはいけない施設,廉かろうまずかろうではあっても食べる場所,そこで毎日ストレスが溜まっている昨今である。その中に,サンドゥイッチをサービスするスペースがある。先日混雑していたので,学生さんとそのスペースに座った。
すると! である。机の上にメモが置いてあるのだ。『椅子と机を引きずらないでください。足が壊れます。』とある。食堂が竣工して什器が運び込まれた初日から,普通に使用して(引きずらない机や椅子がどこにあるのだろう)壊れる可能性のある設計がなされているのだ。何とも不思議な空間・風景である。見てくれを第一にしたのだろうか。予算が無くなったので仕方なく納品させたのだろうか。実は,その他のスペースにある机にも問題がある。食堂を大人数で効率的に使うには,同規格品を整然と並べるのが最良だと信じているのだが,ここには何種類もの異なる大きさと形の机が雑然と並べてある。あくまでも見てくれ重視だ。正方形で一辺に二人座れる「長さ」にはなっている(形だけからは八人座れる)ものの,食事を載せたトレーを机に置こうとすると,六つしか載らないのである。そして机の中央には何も載ってない意味の無いスペースが残る。うぅーむ,不思議だ。
で,先の壊れる椅子や机を皆さん引きずらないのかと見ていると,ほぼ全員が引きずっている。しかも床の材質との関係でその音がものすごいのだ。グループが着席・起立するたびに 10 秒ほど,会話が聞きづらくなる。うぅーむ,建築家という生物は不思議だ。