2011年8月20日土曜日

マスコミ特有の言葉の実際の解釈

帰省先での友人や先輩のお話から想像するに,あの大地震で仙台市内もがれきの山だと思っておられるように強く感じる。
マスコミ,特に TV はそもそも一番ひどいところ「だけ」を示した上で,そこ「だけ」に適用されるコメント「のみ」を述べる機関だということを,日本人は忘れかけているのではないだろうか。私がある種の指導を受けた先生(大学教員である)のお言葉は「活字(TV での発言も録画できることから活字と一緒!)は信じちゃいけない!」である。
例えばマスコミの表現は「どこそこでは(真意:どこそこが最も厳しい現場だがそこでは)」「あれこれが起こって(真意:ひどいものではあれこれという事態が発生しているという情報があるが記者自身は目撃していない)」「だれそれたちが(真意:聞くところによるとだれそれたちというグループもひとつの可能性であるが,もしかしたら***という社会の情勢の方が)」「ご覧のようにどこそこでは(真意:記者が立ち寄れる場所で最もひどい状況はご覧いただいているどこそこであるが,そこまでは問題なく到達できたので安心して欲しい)」のように読み(聞き)直す必要がある。
最近見たメチャクチャな具体例を書いておく。大雨で大河があふれかかっている。注意して欲しい。洪水が発生しているわけではない。画面では河川敷内のビニールハウスが冠水している。コメントを述べている役人さんは正しいことを言っているのだが,アナウンサーとレポーターはあたかも洪水して畑が冠水していると言いたくてたまらない様子だ。きわめつけはそこにある橋だ。橋はメインの河道では冠水しないレベルで跨いでいるが,河川敷に人を下ろす必要から河川敷地内は洪水レベルよりも低いレベルに下りている。そこが冠水しているのだ。それをマスコミの連中は洪水と言いたくてたまらない。役人さんはきちんとその構造を説明しているのにである。疑い深くて人の言うことを素直に聞けなくなっているのか,ひょっとすると頭が悪いのだろう。
という僕のブログも,ある一部のマスコミの一番ひどい挙動だけを見てそれが真実であるかのように批判しているに過ぎないが。実は・・・帰省して,初めてお会いした方々に仙台から来たと申し上げて,その後の会話に「地震」「津波」があった方はいなかった。そのくらい遠い存在なのだ,九州は。