2019年12月24日火曜日

教学マネジメント指針

    中央教育審議会が「教学マネジメント指針」の案を出したらしい。
各教員が教えたい授業科目を並べるのではなく,体系的に教える
これは数年前からカリキュラム・ポリシーとディプロマ・ポリシーを公開しているし,もちろん僕がいた学科でも何年もかけてカリキュラムの中身と順番は検討している。いまさらという案だ。審議会は現場を知らないのかもしれない。
大学の教育による学生の成長(学修成果)を把握し,学内外の人が確認できるようにする
何のため? 学生の履修状況を把握しているからこそ指導ができている。だからといって某大学がやっていたような達成度試験をわざわざする必要性を感じない。大学は学びたいことを学ぶ場であって,提供した講義内容の完全な理解度を全学生に強いる場ではない。しかもそれを学外に公表することに何の意味があるのか。多分,教員の教育能力が低いとでも言いたいのだろう。大学教員は教職資格は持っていない。学ぶのは学生の責任だ。
大学が学生の育成のために進める取り組みなどの情報を積極的に社会に公表する
学生を育成しているわけではない。学生が勉強をしているのである。しかもそれを学外に公表する必要も無いだろう。
学生一人一人の学修成果や大学が進める教育や活動などの情報を積極的に社会に公表する
なぜ公表。ま,それもいいかな。どれだけの学生が留年しているかということを社会には公表した方がいいかもしれない。

2019年12月23日月曜日

漫才

    昨年同様,全部を見たわけではないが,なぜ聴衆が笑っているのかが全くわからないのは世代ギャップか。でもこれ,ラジオでやって笑える人は半減しないだろうか。どぉーでもいいことではありますが。大助・花子とは比べものにならないような。

2019年12月20日金曜日

違和感

    朝〇新聞も「違和感を感じる一言」だ。ネットでは正しいとする識者もいるとあるが,どうしても違和感を持つ。何も全国紙がわざわざ使わなくてもいいと思うのだが。

2019年12月16日月曜日

政治が行き詰まると教育論が増加

というのが通説だが,その教育論もまともならいい。しかし某大臣の過去の「使える英語力を高めるため、大学入試でのTOEFLなどの活用も飛躍的に拡大したい」といった発言を見るに,ほぼ完全に勘違いしていることがわかる。「使える英語」は大事だが,しょせん外国語だ。学者・研究者を除けば,ほぼ 100%が英語を必須とした仕事や生活はしていない。その国立大学ですら事務職員は英語を一切使えない。留学生からの英語の質問に日本語でしか回答しないのが現状だ。その某大臣の所管省の下部組織からしてそうなっている。
    「英語力を高めるため、大学入試」も明らかにおかしい。現在大学進学率は 5 割くらいなんだったかだが,国民の 5 割だけが英語力を高めればいいのか。大学進学しない高校生も含めて,高校卒業するときの英語能力達成度目標に対して初等・中等教育をどうするかという議論なら理解できるが,なぜそこに大学入試というものが介入しなければならないのか。前にも書いたが,高校生の学習達成度全般の能力と,大学の入試で測るべき能力とは一対一には対応していないし,する必要も無い。
    で「入試で TOEFL など」とはどういう論理の流れなのか。高校 1 年生あるいは中学 1 年制から毎年,大学でもやっているように高校校舎内で無料の TOEFL を実施することを政府が支援する,という論理なら理解できる。某役所の大臣は非論理的であっていいことを示したいい例だ。

2019年12月15日日曜日

クリパ?

クリパ
クリパ
クリパッ クリパ
クリパッパッー

クルパ
クルパッ
クルクルパー

2019年12月13日金曜日

ドアノック回数 続き

    いま,サスペンスものを観ていた。容疑者の部屋のドアを 3 回ノック。容疑者は告発人からしたら友人なんだなぁ。日本の慣習ってのは不思議だ。

2019年12月10日火曜日

ドアノック回数

    変なポストを見つけた。国際的にビジネスの標準マナーは 4 回らしい。そいういうシーンを米国映画で観たことはなかった。2 回はトイレだそうだが,米国のトイレは空いているときはドアは開いたままだからノックの必要は無い。3 回が友人相手。フーン。日本のビジネスシーンではそういうことらしい。TV の米国ドラマや映画を観ていて,上司の部屋をノックするときでも 2 回という印象がある。さっき観ていた映画で警察が容疑者の部屋をノックするのは 4 回だ。容疑者にもマナーを守るわけだ。どこまでが本当なんだろう。どんな場合でも 2 回で問題は生じないという印象なんだが。日本のビジネスマナーとか受験生への面接マナーだとか,しょうもない嘘か,あるいはごく限られた環境の取り決めが流れているんじゃないだろうか。

2019年12月5日木曜日

地震は予知できないんじゃなかったか?

    某番組に笠原順三東大名誉教授という方が出演さなって,関東地方で近々に起こる可能性が高いと発言。その程度なら許されるのだろうか。しかも,アナウンサーがちゃんと「おおじしん」と正しい日本語で語っているのに,この先生は「だいじしん」だ。どうも信用できないねぇ。

2019年12月3日火曜日

マナーと声掛け

    朝日新聞に『エレベーターで「開」押す親切、でも無言 変じゃない?』という追手門学院大の森真一教授からの言葉があった。てっきり,降りる側が無言なのが問題なのかと思ったら,そのボタンを押した方が「どうぞ」とでも言えばいいのにとある。欧米の例との比較もあるが,欧米では僕が男であってもすぐ前の人はドアを開けたまま待って(とても自然な挙動)くれるが声掛けは無いし,そちら側は笑顔も無いのが当然。待たせた方からは `thank you' と笑顔を返してくれるが。声掛けしないのは『お互いに配慮しすぎる』からという結論も意味がわからない。配慮なんかではなく,無用な発言はしなくても行動そのもので親切は判断できるということだ。それが無言で伝わらないとすれば,受け止められない側がおかしいように感じるのだが。欧米のドアの待たせた方が発する `thank you' も非常に軽いものだ。この記事の主張は,あまりにも杓子定規だし,過剰な違和感に基づいているとしか思えない。声掛けそのものは,あの公衆トイレでもトイレットペーパーの先端を折る行為に等しい。

2019年12月2日月曜日

逆走を阻止するツメ

    高齢者の事故を見るたびに自分のことが気になる年齢になった。高速道路の今回の逆走の原因はサービスエリアから入り口側に出たことらしいが,本線から SA への誘導路に,米国の駐車場等で設置してあるような逆走タイヤをパンクさせるツメを設けたらどうなんだろう。逆走した車は走れなくなるが,サービスエリアであればガススタンドがあるから修理は可能だろう。高速道路の場合はそのくらいのことがあってもいいのではないだろうか。

2019年11月21日木曜日

文科省がベネッセに抗議?

    作題すらしない民間を公にした当然の結果だ。抗議されるべきなのは文科省!

2019年11月18日月曜日

民間英語試験導入の意図と大学受験

    朝*新聞で,導入容認派の上智大吉田氏の発言が明らかだ。つまり「4技能試験を実施するのは新学習指導要領に沿ったもの」だという点だ。だから共通テストを高校生の達成度試験にすればいいだけの話だ。普通校の全生徒,つまり大学進学するしないに関係なく義務化し,点数は自己採点ではなくきちんと主催者から通知し,生徒に自分たちの実力を認識させればいいわけだ。大学受験とは関係が無い。
    入試でこの共通試験成績を使う必要は全く無い。自己採点ではない点数は本人は知っているから,予備校のデータベースで現在のような受験校選択の指標にはできる。だが大学側がそれを合否に使う必要は全くない。共通テストの平均点が60点以上で,かつ指定した科目すべての点数が60点以上なら,すべての大学に出願できるとすればいいだけだ。それが,この吉田氏が主張している共通試験のそもそもの目的であり意義だ。大学合否は二次試験のみの成績で判定すればいい。文科省は共通一次時代から,これは資格試験ではないと言い続けている。そうなのだ。達成度試験なのだ。
    同じ記事で立教大の鳥飼女史が従来の主張を繰り返してくれた。「読む」と「文法」が基本のキ。

2019年11月13日水曜日

共通入試で桜を見るかい?

    もっと重要な議題ってないんだっけぇ?国内外でいろいろありそうなんだが。千葉や長野・東北の被災への対処とかさぁ。こんなことだけをやっつけて安堵している程度な野党なんだろうねぇ。与党も野党も困ったねぇ。避難場所の環境は少しだが改良されているような映像があったが,そういうのは委員会とか省庁まかせなんだろうかねぇ。

試験前に第三者がアクセスできる

    問題外だろう。採点方針は作題者が作るべきものだ。もしかしたら作題者は採点には参加せず,採点方針も採点も丸投げか。とんでもないことだ。一般入試の現状を知らない役人が担当しているのではないか。二人で採点も考えられないことだ。それを三人に。まだ足りないだろうよ。試験が終了したあと,作題者と業者の担当者で採点方針を練るならわかるが。一般入試(二次試験)に比べればまるでダメなシステムだ。

2019年11月10日日曜日

人生を左右する共通テスト

    ま,気持ちは十分わかるが,しょせん共通テスト。本試験での配点割合はかなり低い。あるいは低くすればいいだけだ。大学はやはり自分たちの作った試験結果の方を重視している。また共通試験を使って大学を選ぶのは高校生自身であるが,昔のようにそういった指標も無く希望する大学を受験する生徒が少なからずいたという観点は,最近のどの世代の発言にも見られない。どうしてだろう。しかも,中卒や高卒の人に対して,この高校生たちが言っていることは差別のようにも感じる。今の日本は若者には学歴社会だと思われているようだが,それを作っているのは若者ではないのかとも感じるのだが。高学歴者は黙ってろと言われそうでもあるが。
    やはり,共通テストは指定科目の点数が60点以上の高校生すべてにすべての大学の受験資格を与えることと,点数を自己採点ではなく結果の本人への送付をすることと,大学は共通テストの成績を合否に使わないこと,また可能ならここ数回ポストしたように,中卒・高卒時にすべての(大学進学しない)生徒に達成度評価をして,それを共通テストとすればいいのではないだろうか。60点取ればいいだけだから,偏差値が全く意味を持たなくなるのもすばらしい。現在個人に偏差値が付いているのはなんとなく想像できたが,「僕の高校の偏差値は〇です。」とか「偏差値〇の大学に合格するでしょうか。」という表現は不毛以外の何物でもないと思うのだが。教育者も学歴社会を後押ししているんだなぁ。

2019年11月6日水曜日

共通テスト

    繰り返しだが,達成度試験なら全国模試のようなもので,大学進学しない中学生や高校生全員にやってもらえばいい。何も記述式や考える試験を,大学が用意する入試と別にする必要は無い。いまや大学を選べば,複数回受験できる。そして,自分の合格できそうな大学を選びたければ高校の教諭が指導すればいいし,お金があるなら予備校の模試で判断すればいい(共通一次以前はそうだった)だけだ。そして大学は,今も受験生の能力の評価にほぼならない共通試験の成績なんてものを使わずに,自分たちが作った入試問題だけで合否を決める。どこに問題があるのだろう。

2019年11月4日月曜日

民間試験

    萩生田氏を支持しているわけでは決して無い,むしろ嫌いだが,民間試験の費用と受験機会についてはもう当初から問題視されていた。それをマスコミも一般社会も,いまごろになって,この男の発言があたかもきっかけであったような認識だ。あまりにもお粗末なのはマスコミと大学だろう。大学は院試に使っているから言い出せなかったのかもしれない。院試も僕は反対したが,元にもどせばいい。英語のどの能力を修士と博士に「まず」求めるか。それは読解力だ。修論発表を英語でやる愚(目的と手段が一致していない)も以前に書いたが,博士課程に進学して国際会議で議論(発表じゃないよ,議論だよ!)ができないといけない学生は数%しかいない。まして学部学生の入試だ。読解力だけでまずは十分だ。英語以外も記述式にすることから既に民間へのアウトソーシングが前提だという報道もあったが,それはそれでいいかもしれない。入試センターという無駄な組織を無くすことができるから。文科省か某審議会か知らないが,金がらみの腐臭がする話だ。

2019年10月30日水曜日

英語の共通試験外注

    TV で宮家氏が勘違い発言。民間外注が問題なんじゃなく英語教育の問題。話せるような教育にするのが重要。それはそれだ。それと共通試験とはほぼ無関係だ。もちろん英語が話せるようになることは,今や技術者でも必要なことだが,宮家氏が主張しているのは高校生の卒業時の達成度試験でしかない。入試にそれを使ってもいいが,今のセンター・共通は入試のため「だけ」の試験だ。決して達成度試験にはなっていない。区別すべきだ。もし達成度についての宮家氏の発言をさらに補完するなら,じゃ,高校の履修についても本人の目指す大学の入試科目偏重ではなく,理系も世界史・日本史・漢文・政治経済もすべて 2 年生までの教養程度(歴史順の必要はなく,さらっと常識だけをさらうでもいい)の教育を強制し,文系にも数学・物理をちゃんと教えるべきだ。その達成度評価試験を 3 年生の夏にでも,入試とは無関係にして実施し,大学もこの達成度評価試験結果を使わないというのが筋。だって,試験の目的が入試で確認したい能力とは無関係だからだ。そんな入試で確認する能力よりも,もっと重要な能力だ。大学に進学しない生徒も達成すべき能力である。
    大学入試は,大学教育の目的であるところの基本的な部分をちゃんと理解して応用できる能力を身につけさせることが可能かどうかを確認するだけの試験だ。だから,工学部は英語と理科と数学だけの入試になってりう。とても常識人かどうかを判定する入試に現在も既になっていない。大学でほとんどすべての学生が必要な英語に関する能力は読んで理解できることだ。書く・話すはその中から大学院に行く者だけだろうが,国際会議で発表するくらいなら入試で判断してもしょぉがない。書くだけで十分だ。インテリが上記のような勘違いをして主張するんだなぁと,本日の朝は落胆から始まった。

2019年10月24日木曜日

レジ袋廃止・有料化

    賛同するが,有料化の場合に使うのにもプラスティックをやめたらどうなんだろう。40 年前の米国のスーパーの袋は茶色い紙袋だった。ガロンのミルク等を買った場合は二重にしてくれた。最近の米国TVドラマでも紙袋が使われているのが見られる。日本の技術力で丈夫で捨てられる・リサイクルできる紙袋は造れるだろうに。国の指導もどこか抜けているのではないだろうか。

宿題は不要

    麹町中学校が宿題を廃止した。理解している者には無駄,理解していない者には意味が無いらしい。どんな宿題を出しているのか。宿題の作り方が間違っているだけだ。大学教育では復習の重要性が特に叫ばれている。米国の大学の講義で出る宿題は珠玉の一品が並ぶ。定期試験もそうだ。宿題の場合は時間をあまり気にせず,何を習ったかを復習し,ちょっとひねった問題では習ったことの「何がわかってなかったか」がわかる。この麹町中学校の宿題は習ったことをそのまま出していただけなんだろう。だから授業中に「わかった気になっている者」には簡単で,わからなかった者には重複してわからないから意味が無いわけだ。教諭の質が下がっているだけじゃないのだろうか。

2019年10月21日月曜日

運か物理か

    トイレットペーパが最後になったので,座ったまま芯を取ってドアの向こうに投げた。また立った。連続二度目だ。今回良く見ると筒の下になった方に若干のペーパがついたままだ。ま,偶々だろうが,次回も立ったら実験してみるか。でもどうやった数値計算しよう。初期不整だらけだし。うぅーむ。

2019年10月10日木曜日

コングラッチュレーション

ノーベル賞受賞者でもズが抜けるんだな。もしかしたらもう全世界的に通じるのかな。

サイチン

最賃! なんだこりゃー 最低!

2019年10月5日土曜日

入札監視時の随契の理由とは

    確かに説明を受けても,かなり難しいところがあるが,少なくとも議事録に残るくらいの発言はできるのではないだろうか。子会社への随意契約というのは,場合によっては可能性はあるが,一般の民間企業への随意契約でどんな理由書を入札監視委員会に提示したのだろう。しかも額が額だ。ちょっと不思議だ。電力は民間だからいい加減なんだろうか。

2019年10月4日金曜日

もうひとつ CM から

TV:
そのすべてが海に捨てられたものではありません。
意味:
そのすべてが海に捨てられたもの「だけとは限」りません。

2019年10月2日水曜日

英語を誤訳する理由

    今日の朝*新聞に,ある中学生対象の試験における誤答について立教大学の鳥飼玖美子名誉教授が,その理由について述べている。教育現場に「文法や基礎の前に『何を伝えたいか』『何を伝えるべきか』を感じさせる授業が必要だと思う」という内容。大学の輪講で英語の本を訳してもらうが,文法がよくわかってないのは仕方が無い(ん!?)が,その訳が日本語になっていないことがしょっちゅうあった。そういうことだと思う。

2019年10月1日火曜日

インタビュー

    不明者に関する報道のインタビューだが紋切り型というかステレオタイプというか,またかぁという質問で,本質からもずれているし,たくさんした質問からそれを報道する局の資質も低下しているのではないだろうか。あるいは他の質問はもっとどうしようもないものだったのか。政治家へのインタビューも同じだ。

2019年9月30日月曜日

スーパイコ

    九州以外では,やはり通じないらしい。パイナップルは乗せたくない。

2019年9月28日土曜日

ラグビー

    盛り上がっているらしい。でもみなさんはルールを知らないって? アメリカン・フットボールじゃないのに? 県内トップの(多分)受験高校だったが,体育の先生はユニークで,ルールも習ったし試合もしたなぁ。怪我したんだけど。でも日本のチームはすごいねぇ。

電力会社に還流?

    ベクトルの向きがわからない。電力会社から地方自治体へならすぐ理解できるのだが。それにしても「とりあえず受け取っておこう」ってな思いはずれている。どうも社長(法科)も会長(電気)も共に土木屋じゃないので,そういった倫理観・緊張感に欠けていたのか。

2019年9月27日金曜日

TV の日本語が変

TV:
機械は誰が直しても同じじゃない
意味:
機械は誰が直しても同じ「ってわけ」じゃない,機械は誰が直しても同じ「とは限ら」ない
TV:
釘まで分別できない
意味:
釘まで「は」分別できない

学生による授業評価

    朝*新聞の声欄に大学教員から「大学授業の改善、学生に頼るな」という題で,『授業や教員の評価を【学生には】任せられない。頼るなら同業者だ。他の教員と授業を見せ合おう。そして教員自身の力で授業を改善しよう。』という意見が出ていた。米国でも学生による授業評価があるが,世界的に有名な研究をしている教授ですら,授業評価が高い先生の講義をこっそり聴講したりしていた。日本でそれをする先生は非常に少ない。結局本人達は,僕は研究者だ,大学は研究機関だと主張したいのかもしれない。学生にも大学は研究するところだと思っている者もいる。いっそ,大学は研究機関にしてしまって,講義はしてもしなくてもいいようにしようかねぇ。専門学校と高校の地位を上げられます。ヨーロッパの大学はごく一部のエリートしか行かないんじゃなかったでしょうかねぇ。極論ではありまするが。呵呵。

2019年9月19日木曜日

日本政府の研究支援の仕方は間違っている

    『兵器など防衛装備品の開発につながりそうな研究に、政府が資金を出す「安全保障技術研究推進制度」の今年度の実績が、先ごろ発表された。』というのが今日の朝日の記事だ。一度でいいから,学術会議およびマスメディアは米軍の実態を調べて公表して欲しい。僕の博士課程の奨学金は米軍のものだ。一度東北大で調べてもらったような記憶があるが,米軍予算のかなりの部分を大学等の研究助成に充てている。国際誌に発表された論文の謝辞を見れば明らかだ。ただし,日本の今回の制度や防衛省のやり方とは異なり,自由な基礎研究内容の応募に対して支援をしているのだ。僕がポスドクとして参加した研究題目は「複合材料について」だ。確かに軍事研究だ・・・と断定できるだろうか。中身は連続体の力学と数学だ。ちゃんと米軍がやっていることを把握・公表した上で,日本の政府がやっていることをきちんと批判して欲しい。若手が研究費欲しさに応募するのは当たり前なんだから。
    あ,昨日の投稿の間違いは「房総半島」。なにしろ地理の成績は最低だったからなぁ。

2019年9月18日水曜日

台風と地震

    TV コメンテータの話からすると,この二つに対する対応が全く違ったのが原因の一つらしい。確かに 2011 年のときは,地方整備局主導で民間を動員した「くしの歯作戦」が功を奏したし,自衛隊も来た,米軍も来た。今回は,首相が準備する金のことが今日の朝刊に載ったくらいかな。激甚災害指定ってのもまだなのかなぁ。千葉半島にも同じような「くしの歯」が早急に必要のようにも見える。しかし,あの台風が鹿児島の西側を通過しても同じ被害だったのだろうか。それとも,電柱とか家屋の耐風基準は九州と千葉とでは異なるのだろうか。風速 50 m/s なんて,そういえば鹿児島でも聞いたことがないような気がするのだが。今後の鹿児島も安心はできないんだろうなぁ。温暖化だけが原因なのかなぁ?

2019年9月16日月曜日

学生FD

    間違いだろう。学生「による」FD ならわかるが。さて,また米国の猿真似である。ベストティーチャー賞で選ばれた先生がいたが,講義でスライドを多用するんだそうだ。ビジュアルだ。入門ならいいが本質ではない。学生の質を上げる講義ではなく,講義のレベルを下げただけだろう。僕の授業評価はめちゃくちゃなのはわかっていたが,「英語でやるな」というのが果たして正当な学生の主張だろうか。「落とさないから宿題のコピペしないように」に対して,勉強しないでおいてコピペが当然だと,ネット上の鬼仏表に書き込む学生に学ぶ意欲があるとは思えない。「教員 SD (Students Development)」の方が必要なのではないか。

2019年9月13日金曜日

ふわとろオムライス

    ん! 冷静に考えると,卵かけご飯。

千葉の災害復旧はいついつまでにと

事前のアナウンスができればそれはいいことだが,把握してもいないのに期待を持たせるのもどうかとは思う。あの 2011 年のときは,電気・ガス・水道がいつ復旧するかのアナウンスは一切無かったが,待つ以外には手は無いと誰もが思っていたと思う。幸い電気だけはほぼ全市内で三日後の午前零時ごろには復旧したが,ガス・水道は地区ごとに順番に復旧していき,僕の地区の復旧は,水道が 16 日後,ガスは一か月以上(僕の地区が市内の最後だった)かかった。でも給水所では,地震直後を除けば一切混乱は起きなかったと思う。なお,津波の被災地は別だ。ただ,自衛隊の給水や風呂サービスは比較的早くから実施していたような印象もあるが,今回はそれが遅いような気もする。しかし,土木屋さんは正に縁の下の力持ちだが,批判も多いのが気の毒だ。今回が東電供給場所だったというのもあって,あらぬ批判が上がっているようにも感じる。誠に気の毒である。

2019年9月11日水曜日

スマホは不便なのか

    どうやら毎日充電が必要だったらしい。携帯だと10日以上は充電しないのだが。おっと,僕はかけたり・かかってきたりしないからかぁ。スマホをガラ携モードに設定するボタンを付けたらいいのかもしれない。
    さて,千葉は2011年も経験し,今後も危険と言われている地方なのに,水の備蓄が無い上にカセットガスコンロが無かった家庭が多かったようだ。九州に戻ってます買ったのはカセットガスコンロと水だ。水の配給は2011年のときは二日目は並んだのにもらえなかった人がたくさん出て小学校グランドで罵声が飛んだと床屋で聞いた。僕は三日目に行ったが20分くらいでもらえた。その後はほとんど並ぶこともなかったのだが。千葉で時間がかかっているのは配給が少ないからなのだろうか。仙台には遠く名古屋などのタンク車も来ていたような記憶がある。今回はどうなんだろう。また電気は仙台は三日後に通じたが,千葉は元の幹線がやられてしまっていて難しいようだ。鉄塔の研究は進んでいたのにね。2011と違って暑いのもたいへんさを増してしまっているなぁ。鹿児島の夏に何かあるとすると,さて,あと何を準備したらいいだろう。

2019年9月8日日曜日

プラモデルのデカール

    メッサーシュミットを作っていた。しばらく前にはハインケルも。デカールの貼り付け指示書のハーケンク〇イツのマーク部分だけが点線なのに気づいたのだ。よぉく見ると,箱の絵や組み立て例にもそのマークが無い。国内 2 社ともにそうなのだ。これは何やら協定があるのだろうか。うぅーむ。自作したものの写真をアップしているが,そこにはこのマークは表示されている。何か問題になるのだろうか。うぅーむ。

共通テスト反対デモ

    高校生と教諭が中止のデモらしい。新しいテストは記述式に,つまり,各大学の個別入試に近づくわけだ。なら要らない。そもそも合否判定で今までのセンター入試成績が占める割合は少ないし,判定しているのも単なる記憶だけで,卒業時の成績との相関もかなり低かった。またデモの記事を読むと,相変わらずその成績を,進学先を選ぶのに高校生と教諭は必要としている。結局はセンター入試成績で輪切りにして,ある成績帯以上の学生しか,ランキングされた大学を受験しない。合格したいという気持ちはもちろんわかるが,大学が合格者の「つまらない指標である」偏差値で差別化された上に,「僕はここには合格しない」と思い込む生徒も多数いるようだ。共通テストにするくらいなら,いっそやめちまえばいいと思う。大昔は,予備校の模試で進学大学をある程度決めていた。しかしその模試は今のセンター入試レベルではなく,個別入試レベルだ。当たり前だろう。やっぱり,共通テストは廃止だ。天下り先も減るしねぇ。

2019年9月7日土曜日

消しゴムのカスは努力の証

とはどういう意味だろう。受験についてらしい。大学院修士あるいは卒論あたりからは消しゴムは使うべきではないと思った。職に就いてからの30年余り,消しゴムは紙サックから出ている 5 mm ほどの部分の 2 mm くらいしか減っていない。間違いを二度と見ない態度というのは,前進を阻む可能性もある。最近の TV CM を見ていると,タブレットで問題を解いて×(これがチェックマークなのもダメ!)が付くと,もう一度回答できる。〇をもらえるまで学ぶのがどうやら公〇式らしいと聞いたこともある。何か間違っていると思うのだが。間違いは間違いとして覚えておく必要がある。可能ならその理由も含めて。小中学生はその理由を覚えることは困難だろうが,高校以降はそれができないと正しい研究はできないのではないだろうか。

2019年9月6日金曜日

横断歩道の歩行者に譲ると,横断者も自分も危険

    今日はついてなかった。プールに行って駐車場に到着する寸前から大雨が始まった。風も強いのは台風の影響か。プール受付に到着すると,止んだ! うぅーむ。ま,それはいいのだが,途中,二か所の横断歩道に歩行者がいた。後ろから車が来るのはわかってたが,僕の前にはいないし,ま規則だからとゆっくりと停まった。後続車もゆっくり停まった。歩行者はちょっと渡ろうという素振りを示したが,対向車が二台通過!そして三台目でようやく横断できた。そこから約 500 m の横断歩道にまた老人だ。ゆっくり停まったところ老人がこちらに頭を下げながら横断を始めたところ,後ろでブレーキ音!おっとぉ。ま,問題はなかったが,老人が半分くらい渡ったところで反対側から女子生徒が渡った。どうせその先の信号は赤だから急いでも仕方がないのだが・・・本当に,歩行者がいる横断歩道で停車することはいいこと・安全なことなのだろうか。

不穏な動き

    事実確認がまだな現状で,鉄道会社の運用状況を疑問視するようなコメントを素人のマスコミが大衆に向かってし始めた。きわめて危険だと思うのだが。

2019年9月3日火曜日

役所の姑息な手段「まな板ポイント」

    財務省の公務員はみんなスマホなんだろうなぁ。マイナポイント! 命名もどうしようもない。スマホとの連携らしいので僕には恩恵は無い。ま,米国の SS ナンバーの猿真似を自信を持ってやるのなら徹底的に真似ればいいのに,相変わらず中途半端のままだ。ま,それがラッキーなので,あと20年くらいはこのままにして欲しいのだが。普及しなくて当たり前のことに税金と労力をどれだけ突っ込めば気が済むのだろうねぇ。なんで民主党は仕分けの声を挙げてくれないんだろうねぇ。

南国のある市で子供の育て方を条例に

    うぅーむ。父親が毎晩のように晩酌をしてタバコを呑む家庭では子供は育ててはいけないという条例と,ほぼ同じではないのか。言いたいことは理解できる。が,だ!  誰か(ま,著名な方がいいから,例えば好印象を得ている北野〇氏とか)が,視聴率の高い番組で,彼なりのわかり易い論理で主張してくれるならわかるが,条例ねぇ。

泉佐野市が官僚に勝利したらしい

    ま,企画にどんな穴があるのかを予め予測できない官僚が増えてきたということだろう。大学教育の質が落ちているのかもしれない。さて,僕のいい加減な橋梁工学の講義を受けた卒業生達は大丈夫だろうか。呵呵

2019年9月2日月曜日

受験勉強(暗記)のために夜間に公園で集団大声大縄跳び

    勉強のためだからいいんじゃないか,協力してあげても・・・という人がいる。では,将来ピアノで有名になるために防音施設の無い部屋で夜も練習を続けてもいいわけだ。社会の平和を神様に唱えるためのお経を大声で,民間のアパートで夜間にやってもいいわけだ。バンドで身を立てたい若者が安いアパートで夜間もドラムス演奏してもいいわけだ。どうしてこうなるのか,さっぱりわからないのだが,僕が歳をとりすぎたということか。

2019年9月1日日曜日

沖縄のある島の入島料

    目的が適切なのに,なぜボランタリーなんだろう。一人 300 円がどうしても必要なら,乗船料金を片道 150 円増にすればいいだけだ。乗船料金から一人当たり 300 円を船会社は役所に収めればいいだけだ。なんで,こんなことをボランタリーにするのだろう。山の入山料も同じだ。なにかやましいところがあるのか? 利用者数があらかじめわかっているんだから,適切な費用をその人数で割った金額がきっと 300 円なんじゃないのか。それとも,ここがドンブリだからボランタリー・後ろめたいのか? しっかりしろぉーと言いたいのだが。

2019年8月31日土曜日

超大型爆撃機のスーパーコンピュータ

漢字は違うが読みは同じ。うぅーん,しかし・・・

2019年8月30日金曜日

会社が自分を大事にしてくれるか

    厚労省の若手への省内アンケートのニュースを見て疑問に思ったのだが,最近は,「自分で起業」とか「数年以内に転職」とか,年功序列を否定するような若者の言葉を聞かされ続けていたのに,一旦雇用されると「自分を大事にして欲しい」と思うのだろうか。大学教員であっても,業績が上がらなければ昇任はできないのは当然で,任期がついていたら解雇は当たり前の昨今だ。なんだか違和感が「ハンパナイ」なぁ。