2019年12月16日月曜日

政治が行き詰まると教育論が増加

というのが通説だが,その教育論もまともならいい。しかし某大臣の過去の「使える英語力を高めるため、大学入試でのTOEFLなどの活用も飛躍的に拡大したい」といった発言を見るに,ほぼ完全に勘違いしていることがわかる。「使える英語」は大事だが,しょせん外国語だ。学者・研究者を除けば,ほぼ 100%が英語を必須とした仕事や生活はしていない。その国立大学ですら事務職員は英語を一切使えない。留学生からの英語の質問に日本語でしか回答しないのが現状だ。その某大臣の所管省の下部組織からしてそうなっている。
    「英語力を高めるため、大学入試」も明らかにおかしい。現在大学進学率は 5 割くらいなんだったかだが,国民の 5 割だけが英語力を高めればいいのか。大学進学しない高校生も含めて,高校卒業するときの英語能力達成度目標に対して初等・中等教育をどうするかという議論なら理解できるが,なぜそこに大学入試というものが介入しなければならないのか。前にも書いたが,高校生の学習達成度全般の能力と,大学の入試で測るべき能力とは一対一には対応していないし,する必要も無い。
    で「入試で TOEFL など」とはどういう論理の流れなのか。高校 1 年生あるいは中学 1 年制から毎年,大学でもやっているように高校校舎内で無料の TOEFL を実施することを政府が支援する,という論理なら理解できる。某役所の大臣は非論理的であっていいことを示したいい例だ。