2019年12月24日火曜日

教学マネジメント指針

    中央教育審議会が「教学マネジメント指針」の案を出したらしい。
各教員が教えたい授業科目を並べるのではなく,体系的に教える
これは数年前からカリキュラム・ポリシーとディプロマ・ポリシーを公開しているし,もちろん僕がいた学科でも何年もかけてカリキュラムの中身と順番は検討している。いまさらという案だ。審議会は現場を知らないのかもしれない。
大学の教育による学生の成長(学修成果)を把握し,学内外の人が確認できるようにする
何のため? 学生の履修状況を把握しているからこそ指導ができている。だからといって某大学がやっていたような達成度試験をわざわざする必要性を感じない。大学は学びたいことを学ぶ場であって,提供した講義内容の完全な理解度を全学生に強いる場ではない。しかもそれを学外に公表することに何の意味があるのか。多分,教員の教育能力が低いとでも言いたいのだろう。大学教員は教職資格は持っていない。学ぶのは学生の責任だ。
大学が学生の育成のために進める取り組みなどの情報を積極的に社会に公表する
学生を育成しているわけではない。学生が勉強をしているのである。しかもそれを学外に公表する必要も無いだろう。
学生一人一人の学修成果や大学が進める教育や活動などの情報を積極的に社会に公表する
なぜ公表。ま,それもいいかな。どれだけの学生が留年しているかということを社会には公表した方がいいかもしれない。

2019年12月23日月曜日

漫才

    昨年同様,全部を見たわけではないが,なぜ聴衆が笑っているのかが全くわからないのは世代ギャップか。でもこれ,ラジオでやって笑える人は半減しないだろうか。どぉーでもいいことではありますが。大助・花子とは比べものにならないような。

2019年12月20日金曜日

違和感

    朝〇新聞も「違和感を感じる一言」だ。ネットでは正しいとする識者もいるとあるが,どうしても違和感を持つ。何も全国紙がわざわざ使わなくてもいいと思うのだが。

2019年12月16日月曜日

政治が行き詰まると教育論が増加

というのが通説だが,その教育論もまともならいい。しかし某大臣の過去の「使える英語力を高めるため、大学入試でのTOEFLなどの活用も飛躍的に拡大したい」といった発言を見るに,ほぼ完全に勘違いしていることがわかる。「使える英語」は大事だが,しょせん外国語だ。学者・研究者を除けば,ほぼ 100%が英語を必須とした仕事や生活はしていない。その国立大学ですら事務職員は英語を一切使えない。留学生からの英語の質問に日本語でしか回答しないのが現状だ。その某大臣の所管省の下部組織からしてそうなっている。
    「英語力を高めるため、大学入試」も明らかにおかしい。現在大学進学率は 5 割くらいなんだったかだが,国民の 5 割だけが英語力を高めればいいのか。大学進学しない高校生も含めて,高校卒業するときの英語能力達成度目標に対して初等・中等教育をどうするかという議論なら理解できるが,なぜそこに大学入試というものが介入しなければならないのか。前にも書いたが,高校生の学習達成度全般の能力と,大学の入試で測るべき能力とは一対一には対応していないし,する必要も無い。
    で「入試で TOEFL など」とはどういう論理の流れなのか。高校 1 年生あるいは中学 1 年制から毎年,大学でもやっているように高校校舎内で無料の TOEFL を実施することを政府が支援する,という論理なら理解できる。某役所の大臣は非論理的であっていいことを示したいい例だ。

2019年12月15日日曜日

クリパ?

クリパ
クリパ
クリパッ クリパ
クリパッパッー

クルパ
クルパッ
クルクルパー

2019年12月13日金曜日

ドアノック回数 続き

    いま,サスペンスものを観ていた。容疑者の部屋のドアを 3 回ノック。容疑者は告発人からしたら友人なんだなぁ。日本の慣習ってのは不思議だ。

2019年12月10日火曜日

ドアノック回数

    変なポストを見つけた。国際的にビジネスの標準マナーは 4 回らしい。そいういうシーンを米国映画で観たことはなかった。2 回はトイレだそうだが,米国のトイレは空いているときはドアは開いたままだからノックの必要は無い。3 回が友人相手。フーン。日本のビジネスシーンではそういうことらしい。TV の米国ドラマや映画を観ていて,上司の部屋をノックするときでも 2 回という印象がある。さっき観ていた映画で警察が容疑者の部屋をノックするのは 4 回だ。容疑者にもマナーを守るわけだ。どこまでが本当なんだろう。どんな場合でも 2 回で問題は生じないという印象なんだが。日本のビジネスマナーとか受験生への面接マナーだとか,しょうもない嘘か,あるいはごく限られた環境の取り決めが流れているんじゃないだろうか。

2019年12月5日木曜日

地震は予知できないんじゃなかったか?

    某番組に笠原順三東大名誉教授という方が出演さなって,関東地方で近々に起こる可能性が高いと発言。その程度なら許されるのだろうか。しかも,アナウンサーがちゃんと「おおじしん」と正しい日本語で語っているのに,この先生は「だいじしん」だ。どうも信用できないねぇ。

2019年12月3日火曜日

マナーと声掛け

    朝日新聞に『エレベーターで「開」押す親切、でも無言 変じゃない?』という追手門学院大の森真一教授からの言葉があった。てっきり,降りる側が無言なのが問題なのかと思ったら,そのボタンを押した方が「どうぞ」とでも言えばいいのにとある。欧米の例との比較もあるが,欧米では僕が男であってもすぐ前の人はドアを開けたまま待って(とても自然な挙動)くれるが声掛けは無いし,そちら側は笑顔も無いのが当然。待たせた方からは `thank you' と笑顔を返してくれるが。声掛けしないのは『お互いに配慮しすぎる』からという結論も意味がわからない。配慮なんかではなく,無用な発言はしなくても行動そのもので親切は判断できるということだ。それが無言で伝わらないとすれば,受け止められない側がおかしいように感じるのだが。欧米のドアの待たせた方が発する `thank you' も非常に軽いものだ。この記事の主張は,あまりにも杓子定規だし,過剰な違和感に基づいているとしか思えない。声掛けそのものは,あの公衆トイレでもトイレットペーパーの先端を折る行為に等しい。

2019年12月2日月曜日

逆走を阻止するツメ

    高齢者の事故を見るたびに自分のことが気になる年齢になった。高速道路の今回の逆走の原因はサービスエリアから入り口側に出たことらしいが,本線から SA への誘導路に,米国の駐車場等で設置してあるような逆走タイヤをパンクさせるツメを設けたらどうなんだろう。逆走した車は走れなくなるが,サービスエリアであればガススタンドがあるから修理は可能だろう。高速道路の場合はそのくらいのことがあってもいいのではないだろうか。