2019年11月21日木曜日

文科省がベネッセに抗議?

    作題すらしない民間を公にした当然の結果だ。抗議されるべきなのは文科省!

2019年11月18日月曜日

民間英語試験導入の意図と大学受験

    朝*新聞で,導入容認派の上智大吉田氏の発言が明らかだ。つまり「4技能試験を実施するのは新学習指導要領に沿ったもの」だという点だ。だから共通テストを高校生の達成度試験にすればいいだけの話だ。普通校の全生徒,つまり大学進学するしないに関係なく義務化し,点数は自己採点ではなくきちんと主催者から通知し,生徒に自分たちの実力を認識させればいいわけだ。大学受験とは関係が無い。
    入試でこの共通試験成績を使う必要は全く無い。自己採点ではない点数は本人は知っているから,予備校のデータベースで現在のような受験校選択の指標にはできる。だが大学側がそれを合否に使う必要は全くない。共通テストの平均点が60点以上で,かつ指定した科目すべての点数が60点以上なら,すべての大学に出願できるとすればいいだけだ。それが,この吉田氏が主張している共通試験のそもそもの目的であり意義だ。大学合否は二次試験のみの成績で判定すればいい。文科省は共通一次時代から,これは資格試験ではないと言い続けている。そうなのだ。達成度試験なのだ。
    同じ記事で立教大の鳥飼女史が従来の主張を繰り返してくれた。「読む」と「文法」が基本のキ。

2019年11月13日水曜日

共通入試で桜を見るかい?

    もっと重要な議題ってないんだっけぇ?国内外でいろいろありそうなんだが。千葉や長野・東北の被災への対処とかさぁ。こんなことだけをやっつけて安堵している程度な野党なんだろうねぇ。与党も野党も困ったねぇ。避難場所の環境は少しだが改良されているような映像があったが,そういうのは委員会とか省庁まかせなんだろうかねぇ。

試験前に第三者がアクセスできる

    問題外だろう。採点方針は作題者が作るべきものだ。もしかしたら作題者は採点には参加せず,採点方針も採点も丸投げか。とんでもないことだ。一般入試の現状を知らない役人が担当しているのではないか。二人で採点も考えられないことだ。それを三人に。まだ足りないだろうよ。試験が終了したあと,作題者と業者の担当者で採点方針を練るならわかるが。一般入試(二次試験)に比べればまるでダメなシステムだ。

2019年11月10日日曜日

人生を左右する共通テスト

    ま,気持ちは十分わかるが,しょせん共通テスト。本試験での配点割合はかなり低い。あるいは低くすればいいだけだ。大学はやはり自分たちの作った試験結果の方を重視している。また共通試験を使って大学を選ぶのは高校生自身であるが,昔のようにそういった指標も無く希望する大学を受験する生徒が少なからずいたという観点は,最近のどの世代の発言にも見られない。どうしてだろう。しかも,中卒や高卒の人に対して,この高校生たちが言っていることは差別のようにも感じる。今の日本は若者には学歴社会だと思われているようだが,それを作っているのは若者ではないのかとも感じるのだが。高学歴者は黙ってろと言われそうでもあるが。
    やはり,共通テストは指定科目の点数が60点以上の高校生すべてにすべての大学の受験資格を与えることと,点数を自己採点ではなく結果の本人への送付をすることと,大学は共通テストの成績を合否に使わないこと,また可能ならここ数回ポストしたように,中卒・高卒時にすべての(大学進学しない)生徒に達成度評価をして,それを共通テストとすればいいのではないだろうか。60点取ればいいだけだから,偏差値が全く意味を持たなくなるのもすばらしい。現在個人に偏差値が付いているのはなんとなく想像できたが,「僕の高校の偏差値は〇です。」とか「偏差値〇の大学に合格するでしょうか。」という表現は不毛以外の何物でもないと思うのだが。教育者も学歴社会を後押ししているんだなぁ。

2019年11月6日水曜日

共通テスト

    繰り返しだが,達成度試験なら全国模試のようなもので,大学進学しない中学生や高校生全員にやってもらえばいい。何も記述式や考える試験を,大学が用意する入試と別にする必要は無い。いまや大学を選べば,複数回受験できる。そして,自分の合格できそうな大学を選びたければ高校の教諭が指導すればいいし,お金があるなら予備校の模試で判断すればいい(共通一次以前はそうだった)だけだ。そして大学は,今も受験生の能力の評価にほぼならない共通試験の成績なんてものを使わずに,自分たちが作った入試問題だけで合否を決める。どこに問題があるのだろう。

2019年11月4日月曜日

民間試験

    萩生田氏を支持しているわけでは決して無い,むしろ嫌いだが,民間試験の費用と受験機会についてはもう当初から問題視されていた。それをマスコミも一般社会も,いまごろになって,この男の発言があたかもきっかけであったような認識だ。あまりにもお粗末なのはマスコミと大学だろう。大学は院試に使っているから言い出せなかったのかもしれない。院試も僕は反対したが,元にもどせばいい。英語のどの能力を修士と博士に「まず」求めるか。それは読解力だ。修論発表を英語でやる愚(目的と手段が一致していない)も以前に書いたが,博士課程に進学して国際会議で議論(発表じゃないよ,議論だよ!)ができないといけない学生は数%しかいない。まして学部学生の入試だ。読解力だけでまずは十分だ。英語以外も記述式にすることから既に民間へのアウトソーシングが前提だという報道もあったが,それはそれでいいかもしれない。入試センターという無駄な組織を無くすことができるから。文科省か某審議会か知らないが,金がらみの腐臭がする話だ。