2019年10月30日水曜日

英語の共通試験外注

    TV で宮家氏が勘違い発言。民間外注が問題なんじゃなく英語教育の問題。話せるような教育にするのが重要。それはそれだ。それと共通試験とはほぼ無関係だ。もちろん英語が話せるようになることは,今や技術者でも必要なことだが,宮家氏が主張しているのは高校生の卒業時の達成度試験でしかない。入試にそれを使ってもいいが,今のセンター・共通は入試のため「だけ」の試験だ。決して達成度試験にはなっていない。区別すべきだ。もし達成度についての宮家氏の発言をさらに補完するなら,じゃ,高校の履修についても本人の目指す大学の入試科目偏重ではなく,理系も世界史・日本史・漢文・政治経済もすべて 2 年生までの教養程度(歴史順の必要はなく,さらっと常識だけをさらうでもいい)の教育を強制し,文系にも数学・物理をちゃんと教えるべきだ。その達成度評価試験を 3 年生の夏にでも,入試とは無関係にして実施し,大学もこの達成度評価試験結果を使わないというのが筋。だって,試験の目的が入試で確認したい能力とは無関係だからだ。そんな入試で確認する能力よりも,もっと重要な能力だ。大学に進学しない生徒も達成すべき能力である。
    大学入試は,大学教育の目的であるところの基本的な部分をちゃんと理解して応用できる能力を身につけさせることが可能かどうかを確認するだけの試験だ。だから,工学部は英語と理科と数学だけの入試になってりう。とても常識人かどうかを判定する入試に現在も既になっていない。大学でほとんどすべての学生が必要な英語に関する能力は読んで理解できることだ。書く・話すはその中から大学院に行く者だけだろうが,国際会議で発表するくらいなら入試で判断してもしょぉがない。書くだけで十分だ。インテリが上記のような勘違いをして主張するんだなぁと,本日の朝は落胆から始まった。