2012年1月8日日曜日

因果無く生じた量れない存在

先日,何かをぼぉーっと読んだのか,相変わらず TV のながらだったのか,「無量寿仏」というのが阿弥陀様であることを知った。以前書いたと思うが,実家のお坊様がある講話でお話しになったことが正しかったことを改めて知った。否定の `a' と量る `meter' から `a-measure' つまり `un-measurable' な存在を阿弥陀様 `a-me-ter' = 「あみた」と呼んでいるのである。不思議でしょ?
しかしながら,その存在を崇めるというのではないところが親鸞の偉大なところなんだろうね。阿弥陀様に念仏を唱えるだけでいいようにしてくださるのだから,念仏を忘れずに,しかし自らは精一杯仕事(いかにそれが下等な仕事への従事(悪人)であろうと)をして「生きる」というのが本質だと説いたのであろうと予想される。さらに,死者と仏と阿弥陀様の区別が曖昧なのもいい。やはり宗教ではなく哲学なのだろう。
と空想しながら TV のチャンネルを変えていたところ,ホーキング博士が出てきて,宇宙のはじまりには因果が存在しないとのこと。実は実家のお坊様が好きな講話はこの因果なのである。ひょっとすると真宗では,この「因果」というのが大事な概念なのかもしれないが・・・さて,この物理と阿弥陀様をどう両立させるのが素直だろう。