2012年6月10日日曜日

我が国独特の良い教育制度を提案できない文部科学省と大学

種々の教育上の議論では必ずといっていいくらい「海外(具体的国名付き)では・・・」といった言葉が現れる。国際化というのは英語を使えて海外に友人がたくさんいるということらしい。受け入れ先とは金の関係が無いプレッシャの無い若手教員の海外研修に,交付金から援助しようという本末転倒な議論をしている。明治時代以降の,お手本を海外に求める体質が文部科学省と大学周辺には未だに残っているらしい。というよりもそれが根本にあるというのは何故だろう。国内からの企画発信力が無いからでしょうねぇ。留学した僕が言うのが最もおかしな話ではありますが。
せっかくサバティカルという制度が米国にあるのであれば,金の関係の米国教員を招いて日本人学生の研究指導をやらせて,1年以内に最低1編の論文を出版させる方が,よほどやり易いことではないのだろうか・・・ま,これも米国の真似ではあるのだが・・・現在の日本の大学の規定ではそれもままならない状況だ。
米国での恩師の記念シンポジウムに招待された大学教員は,その恩師と金の関係を結んで夏休みや海外研修を過ごした人たちが大半である。いいところは,この米国の恩師が(元)日本人であり,米国滞在中も日本語で研究ができたということではあるのだが。