2011年1月22日土曜日

大学の先生は嘘つき

西澤潤一氏が 10/17 の朝日宮城版に出ていた。自分のノーベル賞のことに言及するので大嫌いな人物の一人ではあるが,ここに二ついいことが書いてあった。引用する。若い研究者は「自分の頭で考えること」,「先生(教授や上司)の言うことにはうそもあるし、十分に考えないで指示することもある」。
最近宿題の答を教えろという学生が増えたが,大学で学ぶことには,自分の言葉に翻訳して理解しないと使える知にはならないものがほとんどだ。高校までの「習う」という姿勢で他人の言葉で聞いたことは,よほど相性が良くない限り,自分のものにはできない。これが前者の言葉だ。また serendipity(本当の意味はあまり理解されていないし,英和辞典の記述は正確ではない)とまでは言わないが,新しいことを見出そう(研究とはそういうもの)という場合,まだわかっていないのだから,経験と勘と希望に基づいて模索している。そこを学生に手伝ってもらい,彼の彼女の卒論や学位論文になっていく。だから,答が出た段階で間違っていることもたくさんあるし,誤解が思わぬ結果に到達するかもしれない。これが後者の言葉だ。大学は習う場所ではなく,学ぶ場である。「希望」と書いたが,しかし,有名なアインシュタインのように「こうなればいいなぁ」という研究ができる人が極めて稀なことはよく知られた事実である。とにかく手を動かして(もらって)何か途中の結果を出してみないと,研究は前には進まない。
さて同じ記事の記者後記に,西澤氏の教え子の結婚式における彼のプレゼントについて書いた上で「ちょっと煙たい」と書いてあった。そもそも指導教員を結婚式・披露宴に呼んで祝辞をやらせることからが間違いであり,教員には煙たい。