2010年10月2日土曜日

英語が公用語

いくつかの企業で社内公用語を英語にするらしい。大学でこれをやると会議が短くなっていいと言われる。日本語でも大議論ですれ違いがあるのに,英語だともう面倒でどうでもよくなるから。これで大学は駄目になっていく。工学部の先生で,英語で喧嘩ができる人がどのくらいいるのだろう。新聞のある記事によると,脳にはある大きさの作業場所(なんと CPU のレジスタと同じってこと)があって,外国語を処理しているときはその作業場所が思考以外に使われてしまうらしい。そらそうだろうね。英語耳でないのと,英語で考えられないから,英語を使うのは苦痛だ。学部学生に英語で授業をしているが苦痛だ。論文を零から英語で書くのは苦痛だ。誰か,とんでもない表現でいいから,論理的な英語の草稿を作ってくれないかなぁー。
ところで最近の若い先生は日本語でも議論をしない。会議で喧嘩腰の話はしない。TV 等で一般論として聞くのは,他人を傷つけたくないかららしい。傷つけないで相手の論理を否定することはほぼ不可能だ。だけど,議論されていることに賛同しているわけではないらしい。会議の本来の目的が成立していない。英語にしなくても,大学は駄目になります。しばらく前には,授業は雑用と言い放つ教授が TV に出ていたりした。今は,管理・運営を教授の雑用だとは思わない・やりたくないという教授が増えている。会議は短い方がいいからということで議論は成り立たない。法人化した大学の社長の思う壺だ。どんどん大学は駄目になっていく。