2018年3月26日月曜日

大学入試の英語試験の外注に関連して

    民間を使うことが決まっていて,その業者が本日決まったが,『課題がある』と某国営放送が発表した項目の中に「話す力の評価ができない」とあった。入試って何だろう。それは卒論までの課程で十分に学習できて比較的高度な成果をあげられるかどうかの能力を判断するのが目的ではないのか。では,学部 4 年生卒業までに「話す力」が必要か。文科省はやっぱりおかしいのではないか。「読む」が最も重要なのは,今や英語論文を読まない限り研究は遂行できないからだ。「書く」は次に必要だ。修士論文くらいなら英文論文集には投稿したいからだ。「聞く」は,そうだなぁ,大学院レベルで海外からの研究者に接する学習の場面があるなら必要かもしれないが,順番としては三番だろう。「話す」は? と書くと,昨今,特に大学院学生が国際会議で発表することを言い出す教員が多い。が,その前に我が国の当該学会の日本語による発表だろう。それには,日本語を使って(日本語には不得手な)論理的な会話ができることがまず第一だ。そしてそれを日本語の論文にできること(これは修士論文だ)。その成果を確定するのが英文論文集への投稿だが,ここはとりあえずは(博士に進学しない院生の成果については)教員が責任を持つべきだろう。だとすると「話す力」は不要だ。確実に不要だ。