2014年12月29日月曜日

学位論文執筆要領

    大学当局・研究科・学科専攻は,どうして決めようとしないのだろう。と,ネットで検索するといくつかの大学にはある。きちんとマージンも記載されているものもある。本学の場合は,理念とか(昨今問題が大きくなった)コピペについての掛け声だけしかない。それでいながら,表紙カバーを本研究科では相変わらず校費で作成している。教務課の赤字決算の代表的浪費の一つだ。無駄だ。その内側の審査員一覧は個々に作るようになったが,そんなもの要らんだろうと思われるものだ。そもそも,修士論文の場合は国会図書館にも行かない。取り扱いは専攻に一任されている。これもまた我が専攻では無駄遣いしていて,校費で表紙カバーを付けて紙を保管している。無駄だ。
    一般にわが国の大学という組織では,無駄なことが義務化されていて,本質的なことは個々に一任されている。歴史的な経緯があるのだろうが,それが直らないこともおかしい。よほど悪いことや無駄なことを先輩がしてきたからだろうか。
    東*大学の某研究室で作成されていたものを参考に,とりあえずは作ってはあるが。誰も興味が無いらしい。

冷凍食品はすばらしい

    以前も書いたと思うが,面倒くさがり屋にとって便利である。長崎老舗の茶碗蒸しと蒸し寿司は,親子共々 10 年以上口にしていなかったと思うのだが,特におやじには大好評だった。クレジットカード購入できるともっと便利なのだが。そして五島の塩ウニもそうだ。某食品会社作のチャ*ポンもとてもいい。これは仙台のスーパーで見つけたので,帰省時におやじに食べさせたところ喜んでくれた。皿*どんも作ってくれないだろうか。足が悪くなったおやじの場合,リンガー*ットに行くのもままならないからだ。東北の方々は生ウニにマグロとおっしゃるが,我々には塩ウニと鯛の方がご馳走である。

2014年12月23日火曜日

メジロにみかん

    今年もメジロ観察のために,ベランダにみかんを置いた。置いて 1 時間もしないうちに飛んでくる。親から聞いていたのか,あるいは常にパトロールしているのか。まだモクレンにも芽は出てないし,椿の花も無いのではあるが,このあたりをウロウロしているのであろうか。で,今年は,小さい蜂のようなのもやってきた。そのメジロである。みかんをついばんでいると蜂がやってきた,と思った途端,食われていた。メジロも雀と同じく雑食なのか。雀はみかんにはやってこないのだが。

創造性は事後他人が判断する価値。事前に必要なのは想像力

    某 JR の限定販売問題等,もしかしたらしっかりとしたコンサルタントが予想をしての事業だったかもしれない。しかし,頭でっかちになって,昨今の変な教育(大学における)を受けた人たちに足りなかったのは想像力である。僕の回りを観察していてもそうだ。シミュレーションというのは計算機でするもので,頭の中でするものではないようだ。ぼぉーっと考えることも無く,次はどうすればいいか回りにたずねる。言われた通り以上のことができる人はほとんどいない。今回の騒動,そういった想像力不足と社是が原因なのだろう。社是って? うぅーん,彼らに聞いてください。

お役所の狙い

昨日発表された入試改革。つまりは天下り先を増やすのが目的らしい。

2014年12月22日月曜日

新しい大学入試

    もう駄目だ。アメリカの追随から暴走してしまった。日本の大学ではまともな教育・研究はできない。まともな人間性を持った卒業生は出ないだろう。商業主義の目先の利益のみを追いかけるだけの世界になってしまいそうだ。昨今の JR 東*本とか各電*会社のように,すぐ使える知識のみを持った視野の狭い人材によるその場しのぎの解決策だけしか思いつかない人材による,もうけ主義で運営する社会が発達するだけだ。寒い社会が我々を待っている。

2014年12月13日土曜日

論理的にものを考えるために英語を習得させる

    東北大学工学部が英語を,使える英語(聞く・話すというだけではない)を,必修にすることを提案している。曰く「学生は,英語で段落を書いた経験が無い。英語を書く教育を受けたことが無い」と。本多勝一氏は『日本語の作文技術』の中で,この「英語」を「日本語」にした主張を大昔からしている。教授会ではごく正当な質問が出た。「日本語がダメなんではないか」だ。答はなんと驚くことに「日本語も含めて論理的な思考や記述ができるようになるために,英語を用いるのはかなり効果的だ」だった。本当か。嘘だろう。
    先生達は,自分達が英語を書いたりしゃべったりできる(独学で)ようになったからそう言っているだけだ。僕はいまだに英語を正しく聞き取れないし話すことも非常に苦手だ。5 年も留学してただろうって? 研究する場合は,相手(ボス)はインテリなので,何を言いたいかは相手が汲んでくれる。さらに数式で意思は通じる。適当に聞いて適当にしゃべれば通じるのである。だから,買い物に行って何かしゃべると通じない。今でも映画を英語だけで観ることは不可能だ。確かに工学研究科の教員の能力はものすごい。留学もしたことがないのに,論文は全部英語というのがいっぱいいる。信じられない。
    実は,学内のある小さい団体のニュース編集委員長をやったことがある。記事は学内の当該教員に依頼するのだが,僕が読んだ 10 編程の記事で,赤を一文字も入れなかったのはお一人だ。他は,「てにをは」はもちろん,接続語や論理がスムーズではない。特に*築学専攻の先生の文章はお経だった。赤を入れようにもどこに入れたらいいかもわからないくらい難解だった。もちろんすべて日本語である。
    全学生が英語を自由に使えるようになる必要はないのではないか。

ネタ切れなのかな

    最近,これは! というのが無い。宇宙人は弱いし,リメイクとか第一作より迫力の無くなった続編ばかり(僕が観ようとするジャンルではということだが)のような印象。ゼロなんとか(元の題はなんとかだけかな?)は一本道で終わった。インターなんとかは僕の友人には訳がわからなかったそうだ。TV のなんとかトレックでも時間ネタは苦しいもののよく出来ていたのだが,このインターなんとかは無理。ゴーンなんとか,やはり一本道か。なんとかライザー,うぅーむ,一本道だったが,ま,四つの中ではマシ(僕の波長に合ってた程度ですが)か。これは昔のなんとかライズとか旧い 00X に似た娯楽性が表に出ていたからかも。なんとかブルズ 3 も単調で迫力が無い。00X は暗い。ま,つまり,個人的にであるが,DVD を買おうかなというのが無い昨今でした。
    最近,ネットでも割引ができるようになったので,ダメ元で観てしまっているのかなぁ。年が明けたら 96 なんとかと,なんとかトロ(邦画)に行こうかなぁ。シネコンというのができたのだから,もう少し収益を気にせず,B 級を持ち込んで欲しいなぁ。留学してたとき,大学内での映画も含めて年間 40 本くらい観た。日本に入ってきていない映画(あくまでも米国産)でも面白いのがたくさんあると思うのだが・・・最近なんとかOW でも,そういった未公開ものが増えてきているような気がする。

予習は効果的か

    教授会で「予習をさせておくと,授業ではわからないところだけに集中できる上に,教員の方も関連事項(教科書の行間)にまで言及する余裕が出てくる。」という意見が出た。本当か。まず,復習をすることが理解を必ず深めるということは事実であり,真実だと考えている。しかし予習を初学者ができるだろうか。
    そうそう「教科書は元々独学するためのものだから」ということも言われたような気がするが,少なくとも僕の周りにある教科書の場合,ほぼすべてで,それを読んで理解するには別途解説書が必要である。だから講義で教科書を使うのである。解説を板書した上で教科書で復習すれば,教科書に書いてあることの意味が初めてわかるのである。僕は教科書は作っていない。作って公開しているのは講義ノートだ。これを出版社に持ち込むと多分ボリュームが半減するだろう。解説等がくどく書いてあるからだ。つまり講義ノートだからだ。東北大学工学研究科の教育の将来はあまり明るくないのではないか。

半端じゃない状況の具体例を示すために式を代入して解を得る

    半端無い状況の具体は式 (a) の解を微分方程式 (b) に代入してあげるといいらしい。そうしてあげれば方程式はとても気持ちがいいのだろう。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会で使われる言葉である。じじいにはこれが理解できなくて,イライラするのである。スライドで,半角コンマの前に何故か空白がある。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。ご清聴ありがとうございますと,審査員や聴衆には全く意味の無い挨拶をする(スライドが最後に出てくる)。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。社名や社ロゴがスライドのあちこちに出てくる。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。何か間違った方向に社会は動こうとしているのではないか。そろそろ年貢を納めてあの世に行けとでもいった主張なのだろう。まだ 2 年は負けねぇぞぉー。

2014年12月7日日曜日

白板・黒板・プロジェクタ

    僕が嫌いな教員の授業風景を覗いた。スライドをスクリーンに映して何かしゃべっている。学生さんは,そのスライドを印刷したメモを手元において,鉛筆も握らずに聞いている。これで学生さんの頭には何が残るのだろう。あぁー面白そうだなぁ。そんなことが計算できるんだぁ。で終わりだ。何のためにそういう研究や検討をするか,そこに用いる数学の何を理解すべきか,それをどう使うか・・・は全く頭の中には入ってない。また,スライドを印刷したメモを後で眺めても中身はわからない。しゃべったことをそこに記入していないからだ。また板書を書き写すこともしていないから,10 日もするとその授業のことは全く記憶から消えている。かつて,他学科の僕が嫌いな先生と一つだけ意見が合ったことがある。講義でスライドや OHP(もはや死語!)を使うべきではないということだった。いまどきの FD では,こういうことは誰も言わないんだろうなぁ。工学研究科長教育賞への応募書類の推薦理由にも,適切なスライドを適切な場面で多用することが書いてあったりする。「適切な」が,どういうことかはわからないが。
    実は僕が使っている建物が新しくなったときに講義室に導入された白板は横が 2 m くらいしかなかった。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。黒板と白板の選択で多数決をして,黒板が負けた。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。廊下側のガラス面のブラインドを上げることを提案して,かなり反対された。ははーん,みんな板書してないんだなぁ。これじゃぁ,学生さんは何も覚えられないね。

全入時代に向けての教育法講習会

    そういう講習会があるらしい。大学が学生に迎合してどうする。と,あと 2 年で辞める人間は,捨て台詞風の正論を述べておこうかなぁー。
    僕の時代の理系学生にとって 1 年生の数学はとんでもない講義だっただろう。例のεδである。しかし,あとで試験や問題を読むと,なんてことがないことがわかる。微分方程式や多重積分はそもそも何をやっているかわからなかった。3 週くらいして先生が「僕は多重積分を教えているのだがわかってますか」とおっしゃった。そうだったのか。物理学も最悪だった。高校で習ってない微分方程式を使う。ベクトルが出てくる。∇なんて記号や grad とか div とか,意味もわからない。解けない。が,大学院に入るころには,答が出せないまでも,何をやっていたかがうっすらとわかる。そのくらいは自分の脳みそに仕事をやらせないと身に付かないこともわかった。
    ところがである。今の学生さんは,わからないのは教員がダメだからだそうである。高校までの成績がいい学生さんが,大学に入って突然何をやっているかわからない。自分は頭がいいのだから,授業中にわからないのは講義そのものがダメだという価値観である。配った文章を読まない。答に直結する箇条書きが欲しいらしい。ネット上の鬼仏表にある僕の「情報基礎」の書き込みを見ていただければ,ダメな学生さんのことが推測できる。この講義では「自分が何をできないか,何がわからないか」がわかればいいので,宿題回答が正解でなくても単位はやると最初に宣言してある。しかし,わからないのは教員が悪いのだから,友達のをコピペして宿題に対応しても構わないという論理(倫理?)になるのである。これに迎合する授業をして,卒論が書けるのか。何か真っ白なところに自分のアイデアを書き込む能力が身に付くのか。彼らのほぼ 100%は秀才・天才ではないんだよねぇ。

すっぽんアンコウどぜうにクマ

    昨夜は久しぶりの幹事役,アンコウ鍋でプール仲間の久しぶりの忘年会。一部の仲間との会食は,昨年すっぽん今年の前半にはどぜう。役所の人達とあの地震の 1 日前には熊。つまりは共食い,呵呵。残ったのは「どんこ」だ。新年会はもう予定があるので,来年かなぁー。ただし,実は,アンコウとどぜうは僕には合わない。肝が苦手だから当たり前なんだが。ま,経験・・・

2014年12月6日土曜日

寒くて暑い新築研究棟

    うぅーん。南面全面ガラスの廊下と研究室とコピー室。9 月にはコピー室も研究室も体温を越える温度になることは報告しましたっけ。東北大学の建築・社会環境工学科の新棟ですよ。建築の先生は,設計者に感謝状を送ったようですが,我々住人は建て直しをして欲しいと感じています。で,夏暑いのは我慢(エアコンの設定は 28 度だそうなので,我慢以外の手はありません)しましょう。で,さすがにペアガラスだから冬はそこそこ暖かいと思っていたのですが,完全に裏切られました。廊下は寒い。さすがの暑がりの僕も降参です。事務室も寒いそうで,毛布と電気ストーブは手放せない。したがって,来年度の決算中の光熱費はまた沸騰しそうです。研究室も,学生さんが遠慮しながら暖房を入れていますが,廊下から入ったときに暖かく感じる程度になるのが昼前後。若い男子学生も厚着をしていますね。僕は暖房は入れないようにしていますが,2 月を乗り切れるかどうか不安です。住人軽視の,みてくれだけのとんでもない設計です。