2011年5月22日日曜日

雨なめる?

鹿児島弁はほとんどイントネーション・抑揚が無い。あるいは尻上がりが標準とも感じられることが多い。薩摩狂句というとても面白いものがある。正調・純粋 鹿児島弁の発音と語数とで狂句を作らなければならない。3 音の「すごく」は例えば 2 音の「わっぜ」になる。先日 TV で題が提示されていた。「雨」である。しかしアナウンサーは「あめ(抑揚無しあるいは若干知りあがり)」と読んだあと,いわゆる標準語の「あめ(↓)」と追加して発声した。面白い。
実は鹿児島では「雨」も「飴」も同じなのだ。だって,抑揚があろうと無かろうと文脈で何を指しているかわかるから不便は全く無いわけだ。そういう方言は少なくないと聞いたこともある。
ちょっと違うことで,團伊玖磨氏の随筆だったと思う(あるいは芥川也寸志氏だったか?)のだが,著名な某作曲家・作詞家による「音楽教育弊害」のために「標準的な?」イントネーションに合致した曲創りを強要された長い歴史があったそうだ。それが音楽を面白くなくしていると。しかし,そういったこと等を破って自由な曲創りができるようにした著名な音楽家の一人が荒井由実氏(ご存知か? 呵呵)なのだ,という主張でもあった。とても面白いと思った。頭の中では常にいろいろな角度から現象なり対象を眺めることが,どんな分野でも重要なんだろう,ということに通じていると主張するのは唐突過ぎか。