2011年5月8日日曜日

津波被災地に住むこと

漁師は高台に住んで港に通勤するという国家計画が,地方自治体もみこしを担いで実施されるかもしれない。しかし TV のインタビューを見る限りは,漁師は賛同していない。一部の末端自治体も,住民とじっくり話し合うという慎重な姿勢(被災地の新築だけは当面の間見合わせる程度)を見せ始めている。さらに被災地を国が買い上げという話すら出ている。この方向だと,安全だが見てくれがいいだけで使い勝手の悪い街が沿岸部にできあがるだけだろう。
かつてある事件が外国で起こったとき,「自己責任」という言葉が流行し,そのまま今に至っている。ほとんどの場合の使い方は批判的な雰囲気を持っていて,あまり好きになれないが,この被災地に関する復興については,積極的に使ってみたらどうかとも思う。
今回のような津波が起こる確率は小さい。震災後すぐに地震・耐震のプロ教授もおっしゃっていたが(誰だったか忘れた)『確率の高い津波は今までの規準(素人用語を用いるなら「想定」:ただし原発を除く土木・建築構造物の場合)で被災を回避できるんだから,それはそれで保持した上で(経済的・文化的観点から見てもそれを変更することは現実的ではないという意味だったような・・・),そうでない方法(避難)を平行して考えるべきだ』ということで,必ずしも高台居住を表には打ち出してないように聞こえて,「さすがプロ!」と感じた。つまり,どうしても被災地に住みたい人はそのリスクを理解した上で住めばいいのではないか。今回の津波は首藤先生の新聞記事を参考にすると 1,000 年 2,000 年に一度ということらしい。もし確率的ではなく確定的に津波が生じるとすると,一世代が 40 年ずつ家を維持するとして 25~50 世代は被災しない(床上浸水程度か?)ことを意味する。
残念なことに地震・津波は,我々の生活時間軸上では確率的に発生してしまう。したがって,2,000 年に一度の津波が三陸でまた明日発生するかもしれない。そういうリスクを理解した上でも被災地に住む決断をすることは,あり得る一つの選択ではないか。必要なのは 1,000 年に一度の災害時の避難路・避難場所の国・自治体による確保と提供ではないのか。もちろん今の技術でもっと安全な構造物が造れないと言っているのではない。あるいはそういう技術開発を諦めようと言っているのでもない。その方向の技術開発は,これまた経済と関係してしまうので悩ましい。