2011年4月24日日曜日

無機質な街づくり

復興に関して,高台に住宅を,漁師は通勤を・・・人の匂いが無いですねぇ。
朝日新聞に本学の越村先生が「高台移転は住民主体で(無駄な「に」は省略)」というコラムを載せた。あたかも高台移転が前提のような題目でありながら,明言はしていない。本当にそれがベストなのか。政府の案から受ける印象は,昨今の郊外の開発宅地のような,ほとんど個性の無い(景観屋からは素人の個性は独りよがりだという言葉の方が多いが)家が高台に整然と並んでいる。生業が漁業なのか製造業なのかは外からはまるでわからないが,漁村なのだ。
シカゴにマリナシティというトウモロコシのようなビルが 2 棟建っている。シカゴ川に接する地下にはマリナがあり,その上は駐車場,その上に(そもそもの企画では)病院・学校から住宅までがすべてあって「シティ」を形成している。僕はそんな狭いところには住みたくないね。近所付き合いは希薄でいい。信頼できる友人宅は少し離れている,まわりの小規模自営店舗のいくつかは常連である,程度が程よい町である。僕の周りが全員大学教職員で,個人店舗が歩いて 10 分以上のところにしかなかったら,一ヶ月もしないうちに気が狂いそうだ。
今回の教訓については,越村先生の恩師の(今村先生の恩師でもある)首藤先生が,越村先生のコラムの前日に朝日新聞に書いておられるように,「避難」がキーワードではなかったのか。人の力で防止できる自然の力のレベルは小さいことを改めて(我々土木関連者は既知だったはず!)見直すことができた事象だったはずだ。街づくりと避難とがうまく協働できるような復興はできないものか。少なくとも B/C 信奉の土木技術者には取り組んで欲しくない事業だ。あっ,そうそう,建築家はもっと駄目ですよ。みてくれが第一ですからね。