2011年4月9日土曜日

安全率を決めた段階ですべては想定内

この災害で頻繁に使われ,専門家すらも使ってしまっている「想定外」という言葉には,かなりの違和感を感じる。少なくとも専門家は「安全への余裕が低過ぎたかもしれない」等と述べるべきではないのか。きっと,この文章には素人さん達からは異論がたくさん出るとは思うが・・・専門的な想定の考え方を書いておきたい。
安全率を 1.7(壊れるまでの余裕のこと)にしたということは,1.8 倍以上の外乱に対しては安全性を保証しないと「想定」したことになるはず。1.7 は経験に基づく曖昧な数値ではあるが,少なくともこれまでは通用していたレベルである。そして今回の誤解を生む表現に関することだが,1.8 倍以上の外乱は起きないとは想定しているわけではなく,それが起こる確率がある程度以下であると想定している。つまり 1,000 年に一度の外乱には安全を保証できないと「想定」したことになっており,今回の災害も「そういう想定の中では起きてしまう」と設定したことになっているわけだ。少なくとも専門家は注意深く言葉を使わないといけないが,素人に分かり易くする必要もあるのであれば,上述のように「工学的・経済的に合理的な範囲での設定を経験的に決めていたが,それを超えた極めて稀な外乱による災害」と呼ぶべきだろう。自然現象に「想定」は無いという新聞記事ももっともだが,そういう哲学とは別に「ある費用規模の範囲で最大限安全を確保して機能を維持するためには,**以上の外乱には耐えられない構造しか造れず,あとは確率論的に,壊れてもできるだけ犠牲を少なくしようとして設計」したのが土木構造物だと認識している。つまり,そういう想定で作ったものがその設定で,ある確率で壊れないものは壊れないし,ある確率で壊れることもある,というのが土木構造物ではなかったか。そう習ったような記憶もある。実際には,すべての橋梁の親柱に「***の地震が発生したときに本橋が落ちる確率は 1/1,000 程度だが,それが明日起きないとは限らない」と記載すべきではないかという意見交換を,神戸の震災後に誰かとしたような記憶もある。