2010年9月26日日曜日

品の無い人

昨今流行の「品格」とは関係ない。トイレで並んだ某先生と用をたしながら下ネタを話す僕のことでもない。お金について自分のことしか考えない人のことである。組織に属していながら自分の周りのことしか考えない人はどこにでもいるだろう。棚ボタで得ている金や払うべき「運用税金」を出し渋る。緊急出費を皆で分担しようという提案に「『僕には』何のメリットも無いから嫌だ。」という言い方しかできない。うぅーむ困った。
さて国内も国際的にも,我が国は無政府状態にあるように見える。しかし学生はもちろん組合等もかつてのような「運動」は始めない。かく言う僕は,学生運動がほぼ終焉した最初の世代だ。入学直後のスト権投票で成立したストで一ヶ月の休講になり,頭は空っぽになって,ただでさえ難しい教養の授業が全く理解できない,秋休みはたったの 1 週間になってしまった,という自己不都合の経験から二度とスト権が成立しなくなった最初の学年だ。小出先生の振動学の授業で一時間丸まる叱られた。先生は学生紛争時代に執行部にいたことから辛い思いをしたそうだが,当時の学生に比べると何も発言しない今の学生(僕たちのこと)はよろしくないという批判だった。少し驚き,大学の教員を尊敬した瞬間でもあった。
今の多くの人たち(一般の人たちも含めて)も,もう「運動」もしない。領土問題や捕鯨問題・食品問題等に関連して商品不買運動等も起きない。日本人はお人よしだったかしらん,とジムで話し合ったところだ。戦争は絶対にしないが,政府が存在しない昨今,日本人はもう少し品が無くなってもいいのかもしれない。が,きっと,多くの人が,どうしたらいいのかすらわからない。僕もわからない。確かに自分達の生活だけで手一杯である。やはり政府がちゃんと確立しないと駄目だ。しっかりして欲しい!

2010年9月25日土曜日

放校は無慈悲か

朝日新聞(9 月中旬)で,我が国の AO 入試等を批判するためもあってか,「高校と大学の間」と題して米国の入試の丁寧さと進学率の高さについての紹介記事があった。またぞろある一点のみを眺めて評論をしている記事だ。大学教育システム全体を見たものではない。雑な教育評論は楽だ。誰でもできる。政治経済が行き詰ると政治家やマスコミが教育に口を出し始めると言われているらしい。ただ AO 入試は,初期のころ始めて維持している東北大学工学部(当時は一校一人の校長推薦で,高校成績上位者で「かつ」学業以外に特筆すべきものがあり「かつ」大学および就職後の志望がしっかりしている生徒だけが対象だったはずだが)を含めた数校以外では破綻しているのは誰も(大学側も高校側も)が認めるところだ。しかし東北大学のも 4 種類中一つしか目標達成はできていない。あとは止めたらいいと思う。
さて,米国大学は入るのは易しいが出るのは難しいと言われる。わかり易いのは B-average (注*) だろう。1) ある学期の成績平均が B 未満つまり 80 点未満の学生には警告が出され,2) 次の学期も同じだと放校。このようなシステムがあるからこそ,入学選抜を丁寧ではあるが無試験で実施できるのでは? しかも,学期ごとに他大学に編入学できる。我が国の大学で「この単位取れないと退学!」等という発言は,アカデミック・ハラスメントとみなされかねない。おぉー怖っ! ただし,多分米国では放校になった学生を受け入れる教育組織があるのだろうが,よく知らない。
大学に高校から 50% 以上も進学する必要があるのだろうか。大学卒業は課長以上の候補になる人材ではなかろうか。高校への進学率の実態を知らないが,もっと高卒を大事にしたらどうだろう。大学で 4 年間遊ぶ(より広い知識に触れるという意味で)人より現場の技術に直に長く接することができる。実際に手を動かす技術を身につけられる。大卒は(ごく一部の研究者以外は)その理屈がわかって開発・管理・運営・営業ができればいいのではないだろうか。
(注*) A >= 90, B>=80, C>=70, D>=60 としたとして。ただし,大学院の学位を取る場合にのみ B-average があるという情報もある。大学院では D は付けない大学もあって,学期当たり 4 科目履修くらいだとして C を一科目でも取るとちょっと不安。

2010年9月19日日曜日

エコカー補助金打ち切り

土木構造の設計で非常に重要な概念は安全率である。今は形を変えつつあるが概念はそのまま継承されている。しかし,その土木を学ぶ学生が設定する安全率はかなり小さい。卒業論文発表が終わって,あと一ヶ月で卒業式というある日,単位が足りないので特別課題で単位をくれと泣きついて(文字通り)くる。しかも試験を望む学生はいない。必ず何か特別な措置だ。最初からその積もりの確信犯ではないか。「いつもの試験の 2 倍くらい難しいのをいつもの 2 倍くらい出してください。8 時間の試験で合格してみせます」なんてのは皆無だ。
もう一つ面白い現象がある。大学院受験のための願書が締切日の前日に半分も届いていないことだ。学内学生の願書の半分が締切日に提出される。締切日に学科事務に書き方を聞きにくる。午後になって違う窓口に提出しにくる。計算機演習の宿題 3 題の締め切りを 2 週後,あるいは 5 週間に 5 題にすると,大半の提出はその締切前日か当日。そして授業評価には「3 題の宿題をいっぺんに出すのはひどい」となる。あれ?
また,ある発表会のスライドを一度練習で批評しても,次の練習までに修正・改訂ができていない。にもかかわらず土日はお休みだ。最近は徹夜もしないようだ。安全率は限りなく 1 に近い。高校まで誰かがなんとかしてくれたのだろうか。僕も誰かがなんとかしてくれるという人生を送ってきたが,安全率だけは高く保っていた。おかげでなんとか誰かが助けてくれた。
エコカー補助金が前倒しで突然打ち切られて怒る人を見ると,ちょっと怒りを覚える。役人さんは,特に文部科学省の役人さんの一部は大嫌いだが,彼らだけが悪いわけでもなかろうに。見通しを間違えたディーラーを批判する前に,自分の決断の遅さ・安全率の低さも反省しよう。

2010年9月18日土曜日

CG 多用の映画はつまらない

007 映画「ムーンレイカー」でスペース・シャトルのロケット噴射は**を使ったらしい。こういった模型の特撮はとても面白い。しかし,TV CM にだまされて(元を知らないで)観た「トランスフォーマー」には幻滅してしまった。質量が保存しないのはまぁ仕方がないとしても,CG ならやっぱりなんでもできてしまうからだ。もちろん製作が簡単だとは決して言わないが,やはり仮想世界の映像をそのままたくさん使うのには抵抗がある。ただし,実写の重ね合わせの拡張は嫌いではない。青いものを使って手足を消してしまう等は最初はとても驚いたが,よくできていると思う。StarTrek の TV 第三シリーズの人物が第一シリーズの映像の中を自然に歩き回るのはとてもよかった。
一方,以前 TV で,日本の特撮(怪獣映画)は誇るべきものだという評論か自慢を聞いたことがある(誤解かもしれない)が,おもちゃが飛んでいるようで感心しない。StarTrek の TV 第二シリーズ TNG でも,あるシーズンからとうとう CG になってしまい残念だったが,それまでは模型を使っていた。とてもよくできていた。最近の CG 多用はあまり面白くない。前述のようになんでもできてしまうから。物理(力学)からずれているようなことが CG を使わないで表現されているところにも面白さを感じるのだが。

2010年9月12日日曜日

六人組

最近の TV CM でサティやプーランクの曲がよく出てくる。サティは学生時代には CM に登場していたと思う。いわゆる六人組の二人だ。残りのうち,オーリックとオネゲルは楽しんだことがある。これ前後(かな?)のフランス近代は心地よい。音階についてよく言われる,古典で 8 度(オクターブ・ユニゾン)だったのが,ベートーベンあたりに 3 度になり,ドビッシーで 2 度,そして現代が・・・の最後の 2 ステップあたりに相当し,音色・リズム共に面白く,遊びというか,サティのように不真面目な(誰かの修飾)心地よさが楽しい。
僕が留学した先は音楽学校も有名だった。音楽図書館でプーランクの楽譜をコピーして,夜遅く音楽学校の練習室に潜り込んで,頭の中はレコードで聞いた音楽が,部屋にはしっちゃかめっちゃかな雑音が響いて,ストレスを溜めた記憶がある。米国ではフランス近代は好まれていたような印象がある。小中学校の授業の音楽が嫌いになった人は,是非フランス近代を。そうねぇ,ピアノ曲が嫌いじゃなかったら,ドビッシーが無難かもしれないが,プーランク等のピアノデュオ(2 台でも 4 手でも)はどうだろう。音程(A 音ピッチ)も時代と共に高くなっているんだし,古楽器で古典をなんて言わずに,新しい「クラシック(? classical) 音楽」が広まるといい。

2010年9月11日土曜日

ハンバーガーと日本の肉

M のより BK のワッパーの方が好きだ。前者は間食にはいいかもしれないが,食事にする肉という感じがしない。この 5 月に,20 年ぶりくらいで Evanston を訪れたときに久しぶりに食べて嬉しかった。多分,えぐいのだと思う。そこが肉らしい。霜降り和牛は高いだけで肉を食ったという感じがしない。舌には全く自信が無いからいいかげんなことを書いている。が,安上がりでいいでしょう。Chicago 美術館の中庭レストランに French dip がある?あった。フランスパンなのがいいが,そのローストビーフも肉らしい味だ。日本人の大半にはきっと駄目かもしれない。
留学していたころ,先輩(Washington 大学の T 先生)がときどき行ってたというハンバーガーレストランに日本人仲間で年に 1 回くらい行った。僕は dark rye にミディアムレアのハンバーガーである。皿が真っ赤になるのでナイフとフォークで食べるのだが,正装の必要は無い。美味しい。Borg Cube のようなオニオンフライがまた絶品だった。そうそう,この 5 月には NU のレストランで肉が出た。これも肉らしくてうまかったよ。和牛に付加価値(育てた産地名)を付けて高くしないと輸入肉には勝てないらしいが,霜降りにしないでいいから,肉々しい和牛を安く提供できるような畜産と流通は不可能なのだろうか。経済は苦手だが,あまりにも極端になり過ぎているように感じる。なんとかならないか。

2010年9月5日日曜日

教授は社長かい?

土木教室の教員コンパ係(他専攻の先生から「コンパ」をいまだに使っているのを笑われたことがある)だったとき,金銭的な理由から居酒屋を選んでいた。某教授がぼそっと「居酒屋かぁ」。ちょっと驚いた。大学と民間を比べたとき学長が社長だろう。それを順番に比べていくと,教授なんて課長に過ぎない。景気がいいときは給料もほぼ同じだった。バブルの頃は残業も多かったがもちろん民間の方がすごく良かった。その課長が最終講義をするというので大騒ぎをするのは何故?
外部評価というのがあった。中立な学外の先生に教室の現状をいろいろな角度から評価してもらうのだ。その評価者との会食が,これまた高かった。人材を育てる職業が世間では高く評価されているということをよく聞く。人材は育つものだという見方をする常識的な人もいることはいるのだが。

2010年9月4日土曜日

土木学会論文集への投稿はソフト限定

噂によれば,某社のワードプロセサ以外による投稿は受け付けなくなるそうだ。つまり [La]TeX は駄目。これで僕はもう投稿できなくなる。呵呵。全部英語にして国際論文集に出さないといけなくなるのか。ちょっとトホホだ。論文は中身で勝負だからワードプロセシング出力と組版の(例えば読み易さ等の)差は問わないのだろう。ま,フォントの芸術性なんてのには聞く耳を持たない連中が決めることなんだろうが,相互参照等を間違いなくすることができる便利なソフトを使っている人を排除するのが目的か。ハハハ
ある民間企業の一商品だけしか使用を認めない公益法人の姿を問題視するのは,単なる言いがかりに過ぎないのだろう。しかし現行の版下投稿システムを作ったとき,僕の元ボスの故 N 先生や某私大の N 先生(当時編集委員会幹事)とはいろいろな都合を受け入れる工夫を最大限考えた。ところが委員会が,関連したソフトを某社に格安で会員限定で配布するように依頼して馬鹿にされて断られたと聞いたことがある。当たり前だ。また,ワードプロセサ出力の醜さは棚に上げたまま,[La]TeX 版下に対する過剰で異常な無理難題な要求を,TeX の仕組を全く勉強していない事務局がし続けたのは,僕がその関係者だからよく知っている。
しかし,多くの価値観に基づいて技術開発をしてきた・していく土木工学をとりまとめる法人がこういうことでいいのだろうか。うん。価値観といえば,最近の世の中はどこか変だなぁ。身近や世の中の流れの中にモノトーンの怖さを感じることが多いこのごろだ。