2013年1月6日日曜日

TV でプレイバシーカミングアウト

年末の TV ニュースである。帰省途中の鉄道駅における子連れの母親へのインタビューである。帰省先を聞かれての回答は「主人の母の方の家へ・・・」とのこと。うぅーむ。このご主人のご両親は離婚したんだなぁー。今はもしかしたら,ご主人のお父さんと同居しているのかしらん・・・うぅーむ・・・

2012年12月29日土曜日

一劫の長さと教養教育

1 年生のときに笠原一男先生の(退官のときに何か問題があったと聞くがネットではわからず)浄土真宗についての講義を受けた。なぜかというと,単位が取り易いという噂だったからだ。昨今の学生さんと全く同じ発想である。
覚えているのは「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや。」の連呼による刷り込みである。呵呵。が,面白かったのは(これも何度もおっしゃった)「一劫」の長さだ。正確ではないが,確か次のようだった。「ここに 100 km 辺の立方体の岩があります。100 km というのは,東京駅の新幹線ホームの南端から熱海(だったかな?)のホームの*m 手前です(わかり易い良い授業の見本かも)。ここに天女が 3 年(『年』という概念が既に確立されていることが前提で,今となっては面白い)に一度降りてきて羽衣で一度なでるのです。そしてその岩がすっかり磨り減ってしまうまでの時間が『一劫』なのです。」だった。文献にあると思われる比喩を書き直して話すことに感激したものだった。
が,最近の学生さんが(特に東北大での問題かもしれないが)教養課程(現在は全学教育というごまかした言葉が使われているが)で履修した科目の内容や雑談を覚えていないようなのだ。例えば第二外国語で 1 から 10 までも言えない。簡単な挨拶も覚えていないザマだ。どこに問題があるか。学生さんか。きっとそうだろう。大学の教員か。絶対にそうだろう。教養部を無くしたことか。わからん,というのも,実態は同じで,悪くなったのはいわゆる「教養」を教育せずに,使える知識を埋め込む路線を取ったこと(ここ東北大だけかもしれないが)も関係するだろう。

2012年12月23日日曜日

またつまらない試験を

あの役所が,高校に共通テストを実施するらしい。何と! 基礎学力の確認なんだそうだ。現実と建前が完全に遊離しているセンター入試は,じゃぁ,無くしてくれるのかというと,そうではないらしい。じゃ,センター入試は応用学力を確認しているかというと全くそういうものではないことは,各大学の二次試験成績との無相関を見れば明らかである。センター入試がトップクラスであっても,物理学の応用問題は白紙という生徒が多数であり,二次試験トップのセンター入試成績は中庸なこともしょっちゅうあるからだ。米国の場合,今もやられているのかどうか知らないが,共通試験を通常受けていればそれを元に大学にチャレンジできる。共通試験について,学部は確かそれだけ(2種類?)ではなかったか。
もしかしたらまた天下り団体でも作るのだろうか。中身も運用も無駄しか無い。あ,そうか,高校の序列化が目的なんだな。それを元に高校を潰すのかもしれない。新聞によるとこの共通テストは非受験校のみ対象らしいし・・・そんな目的,センター入試結果を公開すれば済むこと。あっはぁーん,センター入試が,基礎学力を確認するためには不適切なことをようやく気づいたのかな。

2012年12月16日日曜日

アポイントは Y シャツ

ボェジャーの艦長のジェーンウェイが `appointment' と発音したのだが,僕の耳には `appoint' と聞こえたものだから,おや! 日本人が「アポイント」と言うのは今や正しいのだろうかと心配になり(なんのこっちゃ),字幕を表示したところフルに表示された。注意深く聞きなおすと,なんとなく `ment' と続けているように聞こえないことはない。3 音節の前が余りにも強いからなのかしらん。がしかし,昨今「アポイント」という言葉を使うのは,Y シャツの状況とは違うだろうなぁー。「パラスタ」には驚いた(というよりもまず何を言っているのかわからんかった)が,最近 TV で著名な女優が「コスパ」といった言葉を使っている。いずれも下品にしか聞こえない。

2012年12月8日土曜日

ようやくの総括ですか

ちょっと褒めようかな,民*党。
ようやく総括ができたらしい。かつては,公約は破られると誤解されることからか,マニフェストとかいう訳のわからないカタカナを使って施政方針を公にしたが,結局それは破られてしまった。それも自覚していないような発言が続く中,ようやく気付いたらしく,マニフェストは骨抜きにしておいて,破らないで済むようにしたらしい。
そして,右往左往しても批判を受けないように,大スローガンを「動かすのは,決断。」と,句読点付きで大胆である。マニフェストをぼやかしておいて,万一ぶれてしまっても,そのスローガンは「公約は変えないが,一度決めた決断の方を動かすのだ,つまり,適宜ブレながら頑張る」と主張したわけである。居直りもここまで大胆だと潔いのかもしれない。これで投票対象から完全にこの党を無くすことができた。

2012年12月2日日曜日

金返せ

民*党が,離党者に金を返せと・・・
マニフェストとかで人を集めておいて,金を配って,しかし執行部はその方針に沿った運営ができなくて,誘われたものの方針転換に納得できなくて離脱する人に,マニフェストを死守できない親団体が金を返せとは・・・全く論理性に欠けていて,子供の主張にしか聞こえない・・・よねぇー

2012年11月25日日曜日

そこそこの常識的な提案か

朝日の 23 日の耕論の 3 氏のご意見は,これまでの議論に比べて常識的ではあったが,その達成のために大学ではできないことがある。まず誤解されないように言っておくが,鈴木元文科省大臣が我々に尋ねておられる「では,高卒で社会に出せばいいんですか?」に対しては,僕は Yes である。
大学は以前も書いたように,研究者養成が第一目的ではなく,社会で活躍するごく一部の専門家エリートを教育する場所だと思っている。競争率が下がった大学に入って,学費のために夜はアルバイトをやって,授業中は居眠りしかしていない学生さんを,もはや苦学生とは言わない。だってすべての科目で成績悪いし,宿題も出さなかったりする。学生さん全般で同じような状況だが,他人の宿題を提出日の講義中に教室で写す学生さんを卒業させる義務があるのだろうか。もう 30 年以上前からときどき言ってきたが,高卒・中卒が満足な仕事をして適切な給料をもらえるシステムを確保するのが第一である。
で,市川内閣府仕分け人の話に移るが,「一定のレベルに達していない学生は卒業できない仕組み」を役所は作るべきであろう。卒業させないという言葉は簡単なようであるが,某大学のトイレで刺殺された教員の二の舞は,我々はごめんである。今の状況で退学させるのはとても簡単だが,あとのことを考えるとなかなか難しい。しかも「退学」というシステムは本人に不名誉なことがあって,しかもそのレッテルを貼って追い出すものとして認識されている。だから成績が悪い学生は別システムでどこかに移動していただかなければいけない。アメリカの実態は知らないが,かなり自由に大学を移り歩く。入試が無いからかもしれないが。そういう「移学」システム(大学・専門学校・職能大学校を含めた)というものを役所がまず整備すべきである。これは必然的に大学を序列化することになるが,序列の低い大学を無くすよりはましだろう。
特に専門学校・職能大学校に移動した人たちはきっと技を身に付けるだろう。今は,専門学校で正看護師の免許を取ったあとに大学で教養を身に付ける人もいるが,逆に大学で教養を身に付けて技能をあとで磨いてもいいではないか。プールで出会った大工さんや看護師さんも必ずしも大学は出ていないで,いい仕事をしていると聞く。
・・・と思ったりした今日このごろである。

2012年11月18日日曜日

大学は教えてもらう場所か

朝日新聞の論説にまた田中某大臣の暴挙に触れて妙なことが書いてあり,大学を整理することには反対だと。この人は,大学にいる学生さんをもっと丁寧に教育してあげるのがまず必要であり,学生の質を上げる努力をすべきであると言っている。新聞捨ててしまったので確認できないが・・・最も陳腐なのは,高校の補習を大学でするのが当然という論理である。誰の責任でここまで「自ら学ぶ意欲レベル=大学での学習能力」を下げてしまったのか。田中某が主張している「大学のレベル」というのは「教員のレベル」であることもこの人には理解されていない。
また,学生の質が下がったのは,定員を割ることを許されない大学が,そもそも大学生としての資格を有していない者を入学させていることにあることも理解されていない。だから大学での補習が必要だと主張する。それは,高校生の人数が減っていることと,それに対して定員を下げることが許されないことにも原因にあり,また家庭で大学とはどういう学びの場所かという子供への情報提供(大学では大人の振りをしろという教育)が,大昔に比べて全くなくなっていることも原因であろう。
昨今の学生さんは,ものを教えてもらおうとする。宿題や試験の答を教えろと言う。自分で考えろと言いたい。大学のレベルで本人が理解できないものは,一生理解できるはずがないから,大学を辞めればいいのである。わかる範囲(実力)を拡げるのが大学での学習作業である。教えてもらってもこの実力は 1 mm も上がらない。それが,論説委員と多くの学生さんはわかってない。

2012年11月11日日曜日

教員が作ったプログラムに数値を代入するだけの宿題

今年は信じられないことが発生した。3 年生に,共振曲線と過渡応答解析結果の図示を宿題にした。毎年同じだ。しかし,自分の答の確認のために,僕が作ったプログラム(計算はブラックボックスにして,パラメータをセットすれば結果がグラフとして表示されるビジュアルなものだ)も利用できるように,今年からしてみた。まさかとは思ったのだが・・・
宿題を集めてみると半分の学生が,僕が作ったプログラムで表示させた画面をキャプチャしてそのまま提出してきた。もう授業はやめようと思った。これが大学生のすることか。大学生というのはそこまで倫理観が落ちたのだろうか。ゆとり世代と言われるが,まさかそんなゆとり教育とは倫理観は関係は無いだろう。この人たちが将来,正しい技術者になるとはとても思えないのだが・・・これが今の平均的な大学生なのか。
他学科の先生からの話だと,「習ってない問題が試験に出された」とクレームが来るそうである。その学科は,本工学部で最も優秀な学生がいる学科なのである。習った問題が出たら試験にはならないし,頭も必要ではないと思うのだが,高校までそういう教育を受けてきたんだろうなぁ。宿題を全く出さずに試験に失敗したあと,レポートで単位をくれと言ってくることも全く理解できない。倫理というより頭が悪いだけなのかもしれない。

2012年11月4日日曜日

絆という言葉は好きになれない

個人の特性から人と群れないできてしまったので(失敗だったとは反省するが),人との深いつながりを持つということは苦手であり,またそれを望まないできてしまった。だからかな,絆という言葉が特に震災後にここ東北で語られるが,元の町内に戻る必要性を感じない非人間なものだから違和感がある。新しい別の町内を別の場所で作るのでは駄目なのだろうか。
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・