2011年6月11日土曜日

教員の成果としての論文

さて,教員の成果である論文についても面白いことがある。お一人の出版論文数が年間 40 件を越える人がいることだ。ほぼ毎週,論文を投稿していることになる。スーパーマンでも無理だろうが,それが当然とされている。とてもついて行けない。さて,この人たちはどこでどんな仕事をしているのでしょう。きっと家庭を犠牲にしておられるのだろうなぁ。大学教員の仕事振りってのは極めて不思議だ。
また論文 1 編を出版するのに必要な経費が,東北大学全体の平均で一千万円を超えるそうなのだ。僕が自由に使える年間予算は 100 万円には満たない(そんなに必要ない)から,論文 1 編を 10 年で書けば経費的には標準ということになる。この格差は一体どこから来るのだろう。確かに,実験物理学等では光熱費だけで数千万を越える研究があるのは知っているのではあるが・・・やはり大学っておかしなところだ。ほとんど理解できない状況がいま標準になっている。
最近はとても少なくなったが,工学でも「紙と鉛筆」的研究もたくさんあった。お金は要らない。頭脳と創造力がすべてだ。論文も単著で,4 ページくらいに図も無く,式も数個で大論文というのが目標だ。これはすごいよ。でも,こういう研究をしていた人は就職が難しかったが,もし今なら就職は不可能ということか。逆にある分野では大掛かりな実験が必須であることから,50 人の著者で 1 編の論文を書くものもある。これもまた理解できない不思議な状況だ。実は・・・企業が金を出さない研究はゴミと言う大学人もたくさんいらっしゃるらしい・・・はい,僕は毎日欠かさずゴミ出しをしています。