2011年6月5日日曜日

ゆとりのある講義だけを選ぶ教育その 2

たまたまかもしれないが,いわゆる「ゆとり教育」が叫ばれ始めたころの学生さん(ゆとり教育の学年ではないと彼らは言うのだが)の学年からだ。ただし,本学科がコース制度を強く推し進めてきた時期でもあるので,原因が「ゆとり」と直接関係あるかどうかは断言できない。しかし少なくとも内容は数学であってコース特有のものではないことから,コース制が受講生数を左右するとは思えない共通科目なのである。
このことから推測されるのだが,「ゆとり」というのが『内容レベルを保持した上で負担を軽減して身に付く知識・知恵の割合を増やす』というものでは全くなく,『「ゆとり」で理解できるようにレベルを下げた上で同時に負担まで減らし』て教育をしてきたのではなかろうか。
まさに我が国を危機に陥れる教育をあの役所のあのおじさん(寺脇氏は福岡出身らしいし僕の生まれ故郷の久留米とも何か関係がありそうだし同時期に鹿児島の高校にいたなんて嫌だなぁ)は強く進めてきたことになるのだが,彼はそれを自覚しているようではない。現場が主旨を理解しなかったとまで言っているように聞こえる。やはり困った役人さんだったのではないだろうか。
最近,会議でも議論というものをしないようになっていて,このおじさんや僕のように声の大きい者の主張が通ってしまう傾向がある。これでは将来は暗い・・・