2011年3月27日日曜日

政府が 3/11 以降存在していない

官房長官は TV には出てくるが,政府関係者は作業服を着た上で,東京のとこかでのんびりとお茶を飲みながら政局について語り合っているのではないでしょうかねぇ。顔が全く見えない。マスコミ上でも,政府は正確な情報を発信せよと言われていながら,今までに無いほどの沈黙しか政府には存在しないような印象を受けて仕方がない。さっきのニュースでは,ある『一人の』政治家に「地震と原発の担当」を任じたようだが,両方どうやって一人でやるの? よくわからない。僕らのように小さい大学や学科という組織であっても,細かい WG を作らないと実働部隊は十分には動けないという経験を持っている。
例えば,政治家 A は総理任命で青森のみ,政治家 B は岩手の沿岸北部のみ,C には南部のみ,D には宮城県北部のみ,E には宮城県南部のみ,D には福島県の地震対応のみ,E には原発のみ,という任命をすべきではないのか。旧自*党に協力を依頼するなど愚の骨頂である。彼らならできなかっただろうことを民*党はやったぞと気構えも何も無い。地方自治体の最小単位は津波で存在すらなくなっているところもあると言う。だとすれば政治主動で,物資輸送手段を確実に確保した上で,その配布手段をも確実にある特定の場所毎に搬入できる手続きを決めて,それを実行すべきではないのか。政治も政府も政治家もほとんどすべてのマスコミの画面から消えてしまって 2 週が経過してしまっている。何を考えているのやら・・・
退避勧告や屋内退避を命ずる前に,そこが今回は特別地震被災地であることを念頭に置いて,物資の輸送や退避先の準備をまず確保した上で,なんらかの改善策を命ずるのが筋ではないのか。行動を起こせない人は何人集まっても,それは存在しないのと同じ集団である。というのが,某町長が毎日怒りながら言っていることではないのか。それが理解できず行動に移せない政治家は存在の意味が無い。

2011年3月26日土曜日

ミリなの? マイクロなの? キロ? ナノ?

一般の人の多くは mm がメートルの千分の一という記号だなんて思ってもいないだろう。km がメートルの千倍というのも同様だ。それぞれが独立した単位だと思っているのが普通ではないだろうか。かく書く僕も mm の最初の m が接頭記号だと気付いたのは大学生になってからだったと思う。僕らが子供のころは ml は cc だったような気もする。それが千分の一の ml だと教えられても,ml も cc と同様の独立した単位だった。わざわざミリと読んでいるのに,それが千分の一だということを覚えないといけなかった。そして ml の m と mm の m が同じだなんて,ちっとも知らなかった。
今回の大地震後の原子力発電所周りの環境評価数値に,最初,マイクロシーベルトが使われた。そもそも絶対値は素人には意味の無い数字だから,最初に用いたこの単位を使い続けて素人が相対比較できるというのが,政府なりマスコミの義務である。途中からミリシーベルトを使ったのは大きな間違いだ。マスコミのスタッフすら間違う。つまり 2 ミリシーベルトであれば,2000 マイクロシーベルトという数値にして,全国民が「あ,そうか。昨日のあの数値の*倍なんだ」と実感できるべきではなかったか。商品によく使われる 1000 mg のような「ごまかし」を政府なり東京電力側に大いに感じる。これまでも情報を開示しようとしなかった会社の言うことだから,きっとそういう意図があってわざとそうしたのだろう。それに乗せられた政府も政府だ。頭が悪い。誰に情報を発信するかがシミュレーションできていない。会社の発表をそのまま読んだだけ。
商品の場合はたくさん入っているように見せなければならないから小さい単位を使う。まずいものは隠すために大きい単位を使うのだ。そういう意図が見え隠れする電力会社の対応だし,劣悪な政府の態度だった。やはり,いまだに無政府状態にあるとしか思えない。しかも,東京電力を擁護しながら,消防隊員を恫喝するような政治家すらいるわけだ。もうどうしようもない。

2011年3月20日日曜日

いいことをしたときは見て欲しいのかい? その 2

いいことなら,誰かに見られていようといまいと,それが表に見えようと見えまいと,やるのが筋である。カタチにすることが重要なわけではないはずだ。意味は全然違うが,我が文化に沿ったもの言いの一つである「天網恢恢疎にして漏らさず」は「存在しないかもしれない神(信じているわけではない)」が見ているかどうかであって,一般大衆が見るかどうかは問うていないはずだ。我が国の文化はますますおかしくなっている。これを 30 分に一度繰り返し繰り返し流して若者を洗脳,否,積極的な粗悪化をしているのが今のマスコミだ。
今回の大地震災害のニュースの中で,売り場の残り少ない品物をごそっと自分が買うのではなく,少しは残すという文化が我が国の文化だと称する人がいたが,同感だ。地震当日の翌日,お世話になっている酒屋に行ったところ,少しずつ物が残っていて,それでも買い物の人が 10 人近くいた。しかしその場で買う人も,全部を握り締めることなく,少しずつ掴んでいた。ちょっとほっとして,僕も少しずつ集めて購入した。ほとんど僕が最後の客になったようだが・・・

2011年3月19日土曜日

いいことをしたときは見て欲しいのかい?

地震が起こってしばらく,TV でとてもおかしい,否,とてもまずいコピーが流れていた。「心は誰にも見えないけれど心遣いは見える。」「思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える」???誰かの詩か何かの引用のようだが,字が小さくて読めない・・・
単なる駄洒落に過ぎない。否,よくない標語ではないか! では,いい行いは見えないとやらなくてもいいのか。見えるような行いなら正しい行為なのか。見えない行為はやるなというのか。そもそも高校生ごときが,そこそこ人が乗っている電車で椅子に座っていること自体から間違った行為である。僕なら,階段をお年寄りが登っていたら追い越さずに,その方が登り終えるのを待つだろう。あれ? しかし,歩くもやっとなご老人が本当にこんな階段を使うのか。やらせ臭い。続きは明日・・・

2011年3月15日火曜日

被災した夜空

正式には東北地方太平洋沖地震なのかな? 3 日くらい前は東北関東大地震とか?
さてこの地震で,少なくとも 2 日間全市レベルでの停電が起きた。ちと不謹慎であるが,星はこんなにたくさんあったのか? という感動を夜得た。学生時代にボスに箱根に連れていってもらい,双眼鏡で夜空を見上げたとき以来の感動だった。避難所には行かなかったものの,いつ電気が来るのか,研究室に残したものはいつ取りに行けるのか(ひょっとしたら,もう手に入らないかもしれない:昔の写真のネガもあるのだが),だんだんストレスは溜まってくる。他人が横にはいないし,部屋は寒いけど,ベッドで手足を伸ばして横になれるのだが,なんだかストレス感がある。そうだ,取り出す最低限のもののリストを作ってみよう。ちょっとは気が紛れるかもしれないと,あれはどこにあったか,あそこには何があったかと思い出しながら,ろうそくの中でメモを書いているとき,ふと眺めたのがカーテンの向こう側だった。うぅーむ。自然の力はすごいが,自然の姿もまたすごい。

2011年3月14日月曜日

マグニチュード 8


3/11 の午後に,正式には? 東日本巨大地震かな? 災は東日本大震災と呼ぶようだが,これはすごかった。本当に死ぬかと思った。先週末には停電してたのでこのブログは出せなかった。
最初の 10 秒くらいは「いつものよりちょっとでかいかな?」という始まり方で,S 波で大きく揺れてもまだ椅子に座っていた。棚の時計が落ちかかっているのを見ながら「あぁ,また修理だなぁ」と思っていた途端,それに折り重なるようにさらに大きな揺れ・・・恐怖を入れると 5 分くらいはその大きな揺れが続いたように感じるほどだった。机の下にあるヘルメットをかぶって隠れたが,気分が悪くなる。本棚からは本がすべてといっていいくらい落ちてきた。机の下から見えない側は何が起こっているのかわからんが,終わってみたらキャビネットが壁の固定板を吹き飛ばして隠れた机の上にもたれかかり,机の天板がもう歪んでいた。机に感謝した。
本来はやってはいけないが,外は寒そうだったので床に積みあがった本や資料の山の下にもぐったジャケット・カーデガンを探して来て,ちょうどカバンと携帯電話もそこにあったので,それを持ってゆっくり階段を降りて(6 階から)外に出ると,ほとんどの教職員・学生は既に避難していた。あんな揺れの中で階段をよく降りられたものだと感心したものだった。
写真は,2 階の屋根から上に伸びる 3 階の床部分の隅の柱である。9 階建てである。これは・・・もう終わりです。四隅の柱がすべてこれ以上の破壊状態である。もう二度と使えない建物になってしまった。数年前に妻壁を鉄骨で補強していなければ,この 3 階部分は・・・あぁ,怖い。全体的に,この反対側にやや傾いているそうだ。
住宅街も特に何も無かったように見え,ニュースでも何も報道されないが,中がとんでもない状況なのはともかく,瓦や壁がよぉく見ると壊れている。津波地震という報道で隠れてしまっている破壊状況だ。すべて個人の家屋なので,これが見過ごされないといいのだがなぁーと心配している。

2011年3月6日日曜日

センター入試要りますか? そのニ

センター試験は廃止し,大学受験の機会を増やす方が受験生にも望ましいし,大学にとっても(最終的に卒論や大学院で研究を支援してくれるポテンシャルを持った多様な学生を獲得できる意味から)望ましい。一期二期校というのに抵抗があるのであれば,例えば国立大学法人は 3 日程(2 月の第 2, 3, 4 週末の ABC 日程)で本入試を実施することにし,各大学には毎年ランダムに(同じ大学が2 年連続で重複日程にならないように!)その 3 日程を割り当てる。希望の 3 大学が 1 年目に重複した場合であっても,2 年浪人すれば受験が 1 回は可能になる。その代わり,一旦入学手続きをした大学では 3 年間は自らは退学・休学ができないようにして,複数の大学には在籍できないようにする。もちろん入試検定料金は今の 2/3 には少なくとも下げる。
細かい点ではたくさん問題があるのは容易に推測できるが,そもそも大学受験というのは競争であってしかるべきだ。受験戦争が悪だとしたのは,受験生本人ではなく,遠くから眺めていた教育評論家ではなかったか。高校の教諭ですらその戦争に乗り切るための必死の仕事をしてくださっていた。大学卒業時の就職が競争なんだったら,大学受験の方も合格安全率を上げておく必要は無いのではないか。実は,研究(卒論)では知識が大事だ。つまり,インターネットに相談することなく,頭の中でいろいろと数式をいじる能力だ。そのためには詰め込み作業が若いときには必須になる。
実はもう一つ実現して欲しいことがある。高校卒業の生徒を就職で優先してあげた方がいいのではないかということだ。大衆化した大学とは言え,最高学府に半分以上の高校生が合格する必要は無いのではないだろうか。例えば,大会社の課長あるいは部長補佐になることができる人数比率で定員を決めてもいいように思う。そうなると困るのは大学だ。「合格者が減る→学生定員が減る→教員定員が減らされる」という決まりがあるからだ。さぁ,どうしましょう。で,就職できるのは高校卒業の生徒か,大学院の修士課程の学生のみで十分だろう。学部卒業では今や知識レベルが 30 年前の半分以下だし。

2011年3月4日金曜日

センター入試要りますか? その一

入試センターというのは,大学教員および文部科学省役人の天下り先なだけで,税金が無駄に費やされている機関である。民主党の目は節穴だから気付かない。2 月の朝日に『「選抜」のためのセンター試験と「到達度」確認のためのセンター試験を実施すべき』という本末転倒の提案が,ある教育機関顧問の安達昌二という方から出されていた。「選抜」は,センター入試ではなく本試験で各大学が責任を持ってやるべきことであるし,「到達度」は高校の教諭が責任を持って実施して指導すべきことである。そんなことに,何故税金を無駄に使う必要があるのだろう。
一昔前に裏雑用で僕が整理したデータでは,センター試験がトップの受験生は本試験で真ん中あるいはそれ以下にもなり得ること,本試験がトップの受験生のセンター試験の成績は全体の上位から三分の一程度以下にもなり得ることがわかっていた。統計は苦手なので相関の定量化はしなかったが,おおざっぱに言えば,横軸にセンター入試成績,縦軸に本入試成績をとったときに,やや右上がりだが楕円状に受験生の結果が分散するということだ。
工学部では AO 入試という米国の真似事を役所に媚びへつらうのが初期の目的で実施しているが,その III 期というのは,センター試験の結果と高校での能力とで選抜している。しかし,この III 期で合格した学生は,いわゆる前期日程の普通の本試験で合格した学生と,その能力には全くと言っていいほど差が無い。つまり,センター試験結果なんてのは受験生のポテンシャルを測るための何の指標も与えてくれないのだ。センター試験というのは,実は真似をした米国の資格試験の SAT 等にも劣る無駄な事業であり,否,逆に弊害をもたらす事業なのである。
弊害のトップは,受験生がセンター試験の結果を使って受験する大学の範囲を狭めることだ。確かに浪人はしたくないだろう。親もさせたくないだろう。しかし,自分の能力に合った大学を選択して,その能力がその後向上するのだろうか。クラスにも同じレベルの学生しかいないから何の刺激もない。みんなで分からなければ何も心配も無いというわけだ。みんなで渡れば怖くないということだ。共通一次試験が始まって以来,大学間の格差は予備校によって共通・センター試験成績を使って精密に【いかに入試センターが否定しようと】定量化されてきた。それに沿って受験するのは安全なだけで,子供達の将来の突然変異や大器晩成の可能性はほとんど無くなってしまっているのではないか。少なくともレベルの違う学生が同じクラスにはいないから,何の刺激もない。なぁなぁのぬるま湯である。僕の人生だ!
僕が高校生だったころの高校教諭は,試験の成績だけではなく,何が得意か・どういう勉強の仕方が得意かといった諸々のことに基づいて進学先指導をしてくださっていた。そもそも定期試験も実力試験も,九州大学に合格するためだけに問題が作られていたらしいし,それが高校の第一目標だった。だから,九州大学とは問題の質が違う大学(例えば京都や北海道)には進学を勧めなかった。逆に言うと,九州大学以外で,九州大学の問題の質に似ている大学(例えば東大)には,その生徒ごとの気質・癖を勘案して,適切に指導してくださっていた。例えば九州大学には合格できないような学生をどこに入れたらいいか? という指導のことだ。今の高校教諭は質が下がって,こういった高度な指導はできないのだろうなぁ。