2011年3月4日金曜日

センター入試要りますか? その一

入試センターというのは,大学教員および文部科学省役人の天下り先なだけで,税金が無駄に費やされている機関である。民主党の目は節穴だから気付かない。2 月の朝日に『「選抜」のためのセンター試験と「到達度」確認のためのセンター試験を実施すべき』という本末転倒の提案が,ある教育機関顧問の安達昌二という方から出されていた。「選抜」は,センター入試ではなく本試験で各大学が責任を持ってやるべきことであるし,「到達度」は高校の教諭が責任を持って実施して指導すべきことである。そんなことに,何故税金を無駄に使う必要があるのだろう。
一昔前に裏雑用で僕が整理したデータでは,センター試験がトップの受験生は本試験で真ん中あるいはそれ以下にもなり得ること,本試験がトップの受験生のセンター試験の成績は全体の上位から三分の一程度以下にもなり得ることがわかっていた。統計は苦手なので相関の定量化はしなかったが,おおざっぱに言えば,横軸にセンター入試成績,縦軸に本入試成績をとったときに,やや右上がりだが楕円状に受験生の結果が分散するということだ。
工学部では AO 入試という米国の真似事を役所に媚びへつらうのが初期の目的で実施しているが,その III 期というのは,センター試験の結果と高校での能力とで選抜している。しかし,この III 期で合格した学生は,いわゆる前期日程の普通の本試験で合格した学生と,その能力には全くと言っていいほど差が無い。つまり,センター試験結果なんてのは受験生のポテンシャルを測るための何の指標も与えてくれないのだ。センター試験というのは,実は真似をした米国の資格試験の SAT 等にも劣る無駄な事業であり,否,逆に弊害をもたらす事業なのである。
弊害のトップは,受験生がセンター試験の結果を使って受験する大学の範囲を狭めることだ。確かに浪人はしたくないだろう。親もさせたくないだろう。しかし,自分の能力に合った大学を選択して,その能力がその後向上するのだろうか。クラスにも同じレベルの学生しかいないから何の刺激もない。みんなで分からなければ何も心配も無いというわけだ。みんなで渡れば怖くないということだ。共通一次試験が始まって以来,大学間の格差は予備校によって共通・センター試験成績を使って精密に【いかに入試センターが否定しようと】定量化されてきた。それに沿って受験するのは安全なだけで,子供達の将来の突然変異や大器晩成の可能性はほとんど無くなってしまっているのではないか。少なくともレベルの違う学生が同じクラスにはいないから,何の刺激もない。なぁなぁのぬるま湯である。僕の人生だ!
僕が高校生だったころの高校教諭は,試験の成績だけではなく,何が得意か・どういう勉強の仕方が得意かといった諸々のことに基づいて進学先指導をしてくださっていた。そもそも定期試験も実力試験も,九州大学に合格するためだけに問題が作られていたらしいし,それが高校の第一目標だった。だから,九州大学とは問題の質が違う大学(例えば京都や北海道)には進学を勧めなかった。逆に言うと,九州大学以外で,九州大学の問題の質に似ている大学(例えば東大)には,その生徒ごとの気質・癖を勘案して,適切に指導してくださっていた。例えば九州大学には合格できないような学生をどこに入れたらいいか? という指導のことだ。今の高校教諭は質が下がって,こういった高度な指導はできないのだろうなぁ。