2014年11月30日日曜日

光熱費だけで税金ゼロに

    ようやく今年度の予算が決まった。あと四ヶ月で終わるのでありますが・・・
    昨年度は赤も黒もほぼ無い状況で終えたので,さぞや潤沢にと思ったのであるが,何と三分の二くらいが光熱費等共通経費で持っていかれてしまった。准教授と二人所帯だが,海外出張(予定は無いけど)も無理か。ま,パーソナルコンピュータで研究できるのであれば,光熱費がそのまま研究費だから,しょうがないかな。噂では,役所が交付する税金をまたン十%減らそうとしているとか。そうなったら電灯不可で,夜の研究は禁止だね。日の出から日没までが研究時間とか。夏は教員も学生さんも自宅で研究。冬は暖房無しでコンピュータの発熱だけで過ごす。実験する人は外部資金無しではやっていけなくなるってことか。米国との研究レベルにますますの差が生まれるんだろうなぁ。私立大学化しか道が無いとか・・・

2014年11月29日土曜日

新築研究棟の改善には最低でも 300 万円くらいは必要かも

    我々は建築家と同じ建物で仕事をしている。あの地震で壊れたので新築された。教室等でそこまで新しい什器に買い換える必要があったのか,だが,同僚の無駄遣いについては目をつぶろう。しかし目をつぶれなかったのは教室の黒板のサイズだ。使い物にならないくらい幅が無かった。教壇も無いので学生さんは黒板を読み難くなっている。結局は買い足すことになった。また研究室入り口ドアのガラスだ。廊下から教員や学生さんの姿が丸見えなのはいいかもしれないが,中からも外を歩く人が見えるので煩わしい。頭を使う場所のデザインとはとても思えない。見られるのが好きな建築の学生さん達とは違うのである。結局,入居後 2 週目に目隠しフィルムを複数の研究室で発注して設置した。が,大問題は建物そのものだ。
    玄関には風除室というのがある。外側の自動ドアが開いている間,内側の自動ドアも開いたままである。寒い風と落ち葉が玄関ロビーに入るというとても素敵な風除室だ。南側廊下は床から天井までガラスだ。ペアガラスだが,9 月の温度は体温を越した。20 m くらいの廊下を歩く途中で気を失いそうだ。教室やゼミ室の廊下側は全面ガラスだ。だから,スライドを使わない場合も一年中ブラインドが下りることになる。これを同僚は好き嫌いの問題だと言うが,そうだろうか。頭を使う場所になってないと思う。大講義室の外面も全面ガラスだ。外は駐車場だが歩くのが気が引ける。だから結局一年中ブラインドが下りることになりそうだ。一応目隠しフィルムを提案したが,賛成は少ない。シャッター通りならぬブラインド廊下が広がっている。みっともない。廊下はコンクリート打ち放しだ。きっと斬新さで素敵なんだろうが,僕のようなボンクラには理解できない。あ,そうそう,当然のように OA 床だ。壊れた建物もそうだったし,そのときもそうだったのだが,研究室を土足禁止にする研究室がほとんどだ。僕は,靴は原則脱ぎたくないので,僕の研究室への外来者は靴のまま入ってもらっている。学生さんがスリッパにしようと提案したが,研究室は仕事をする場所であってリラックスする場所ではないので却下した。内履きを買って使うように指示した。来客用のスリッパも不潔でたまらないので(潔癖症ではありません。設置しただけでメンテをしないことが嫌いだったし,メンテするのも嫌だったから)設置していない。汚い靴で来た人には脱いでもらうことにしてある。そして裸足の人の入室は禁止だ。当然だろう。ここは職場だ,頭を使って作業する研究室だ。
    入居して一ヶ月くらいして部屋の案内パネル等が設置された。玄関の案内板は文字が小さい。みてくれだけの素敵さである。各部屋の入り口ドア横には,プラスティックの白い縦長の「まな板」が貼られた。その上部に研究室名がちょこっと書いてある。この「まな板」,どうやって何に使うのだろう。事務室や教室等の部屋番号がドアに貼ってある。当然内開きなので,夏場開放してあれば部屋番号は見えない。なんと実用的で素敵なんだろう。毎日が感動でストレスが溜まったこの数ヶ月である。震災のため同時に新築された別の研究棟に入居した友人が言った,stupid design と。

2014年10月25日土曜日

「覚える」から「考えられる」

    またぞろ某審議会による大学入試に対するくだらない提案が出て,朝*新聞で紹介された。見出しは『「覚える」から「考える」へ変換』だ。日本語が間違っている。正しくは『「覚えた」ことを「考え」ることに変換する』である。
    微分方程式を知らない学生が原発の温排水の拡散を予測できるだろうか。具体的には文系文学部の学生が拡散方程式に気づくだろうか。ま,普通はあり得ない。ここでアインシュタインを持ち出す輩がいる。物理の世界におけるアインシュタインは特異であることはよく知られている。彼は実験事実を見て何かを考えたわけではない。単に「こうだったらいいなぁ」という希望・夢想の結果が彼の理論であり,彼の真似は誰にもできない(井口先生@フェルミラボからの知恵)そうだ。しかし彼には知識があった。何かを一所懸命考える際に勉強したからだ。覚えたからだ。違うだろうか。
    覚えたものが無い人が問題解決手段を考えることはできない。小学生がトラス(橋梁の一つの形式)を設計することは不可能である。彼らは座屈という非線形問題の存在すら知らないからだ。しかし彼らも,30 cm の物差しを押すと曲がることは知っている。しかしそれを活かす方法がわからない。知識が無いからだ。

2014年10月11日土曜日

ディプロマポリシー

    標記を作るときに東*大の学部のそれを見せてもらった。いいことが書いてあった。「日本語によるコミュニケーション能力を伸ばす」である。グローバル・グローバリゼーション・コミュニケーション・・・全部「英語」を念頭に置いている昨今のくだらない基準をすっぱり切ってくださった。うちも真似しようと働きかけてみたが,最終的にはどうなったんだったか・・・忘れた。ま,学生さんもそれを読んで何の足しになるかわからないから,ま,いいか・・・
    工学部の多くの分野では,多分,バックの業界が無くなっていると聞く。しかし土木には建設業界が歴然と存在し,それ無しには社会は発展しないし維持もできない。それなのに,従来の土木科目は旧いということで削除する傾向が全国的にある。そのうち,土木構造物が外国のそれと同じように,ある日突然・・・なんてことが起こるのではないか。と,一応の心配をしてみたい。何が一番大事なのかを昨今は考えていないのではないか。最低限必要な専門知識を日本語でまず(頭の中で用いている言語でまず)身に付けることからすべてが始まると感じているのであるが・・・そういう意味でも土木は他分野とかなり違うのかもしれない。

2014年10月4日土曜日

大学の行方

    朝*新聞 10/1 のオピニオン。フェリス女学院大学の高田先生。高田先生と同じく,大学の点数制がくだらないことは大学人は全員知っている。さてオフィスアワーが予約制だと役所は評価しないとのこと。つまりは役所は部屋に縛り付けておきたいわけよ。各種プロジェクトの書類作りを教授にはさせたいってわけね。やはり役所は現場を知らない,知ろうとしない。ディプロマポリシーとアドミッションポリシー(役所はこの和訳を知っているのだろうか)は作りましたよ。作っておけばいいだけですよ。でも科目ナンバリング(そろそろうちでも始まる)はいいかもよ。留学したとき「D11 はベストな科目で必ずとること」という会話ができる。学生も B10 を取らないと多分 C12 は理解できないだろうとわかる。履修ガイド(我がコースでは絵入りで作ってある)だと思えばいいことです。さて,UCLA の竹崎先生。「プロジェクトは結果が既に予測された研究」というのは簡潔な表現で気に入りました。うちにも金集めばかりする吝嗇教授がいますよ。授業はさぼるし教授会にも出てこない。ま,現場も荒れてます。昨今,金を使わない研究はゴミらしい。

2014年9月15日月曜日

男女共同参画

    政府の女性の比率が上がったそうだ。仕事柄,有能なら性別なんて関係無い部署だろうから当たり前だ。
    ずいぶん前に標題のようなことを推進するための部署が大学内にできた。そこからのアンケートの一項目に「教授人事の最終候補者が同じ業績レベルで同じような人柄の男女 2 名だったときに女性の方を選ぶか」というものがあって驚愕した。大学の教員人事(特に僕に関係するような,どちらかといえば理論的な研究分野)において性別がどこに関係するというのだろう。全く理解できなかった(今もできていない)ので「否」と答えたが,誤解されるのが怖い小心者なので理由(内容は忘れた)も付記しておいた。
    小学校の僕の学年の同窓会が盛んである。鹿児島である。男女の上下関係は無い。どちらかと言えば女性の方が元気だ。高校の同窓会でも同様だ。そもそも卒業時の席次では,上位には女性が並ぶ。今や女医さん達だ。中位以下は混在するだけだから能力に差は無いと見るのが自然だろう。卒業生の中で一番尊敬をされているのは医者と弁護士ではないだろうか。しかもこの方々は仕事上でもお互いがつながっている。自営業の人たちも地元の生活を支えるべき尊敬される存在である。一番役に立たないのが大学教員である。そもそも非常識人だし・・・僕だけかな? 呵呵。先が短いから,女医さんとは仲良くしよう。
    鉄道駅で切符を買う場面である。女性の窓口を選ぶ。その方が早くて正確だからだ。東京から仙台に行く比較的混雑した新幹線で,自然にスピーディーに「こまち」を勧めることができるのは女性だ。数少ない経験ではあるが・・・どちらかと言えば女性が好きだ。あっ,僕が男だからかな? 呵呵

2014年8月30日土曜日

考える力を入試に

    昨今の新聞記事では,例えば意欲を評価すべきとか,荒唐無稽なことが書いてある。不安である。僕は物理の入試問題を作ったことがある。3 問作るのに 10 人の教員が,朝 9 時から夜中の 2 時過ぎまで数回にわたって完成させる。知識だけでは解けないようになっているが,もちろん知識が無いと解けないようになっている。それを外部の人間は「知識を問うだけのくだらない入試」と呼ぶ。本当か。理工学部の受験生の半数は問題の半分までしか回答できない。解答用紙の裏表にすべて書き込みがあるのは医学部だけだ。知識が,使える形で身について(整理されて覚えられて)いるからだろう。
    土木工学科の外部評価で,積み上げ式のカリキュラムを岡村先生@コンクリートに批判された。子供の野球を考えなさいという。まず練習試合をやって面白いということを覚えさせるべきだという。確かにそうだ。しかし岡村先生は基礎の詰め込みを否定したわけではない。まず楽しさを知ったら次の苦しい訓練を乗り越えられるとおっしゃっているわけだ。
    その苦しい訓練が実は中学高校のプロセスだ。ここで大事なことを使える形で覚えておかない限り,応用の可能性は無い。小学校の総合科目。ほぼ無意味だ。自由研究。不可能だ。教わらない限り(秀才でもない限り)科学的な報告書は書けない。単なる感想文なのだから「総合」とか「研究」とかいったまやかしはやめて,例えば「隣の花子ちゃんと一緒に二種類の肥料を用いた朝顔の発育の違いについての感想文」で十分な教育になる。そしてそれを教諭がすべて読んで,一語一語に赤を入れて返すことが必須だ。国語のいい勉強になる。僕らが,学生が生まれて初めて経験する研究の報告書である卒論に対して実施している教育手法だ。
    経済も行き詰まり,首相も言っていることがわからない,この苦悩の時代。こういったときには半可通が教育論をぶつ・・・と言っているのは僕のおやじだ。まことにその通りのことが起こっている。

2014年8月17日日曜日

ビックな大きな大きなビックリ

    ビックカ*ラというのは正しいのですが,鹿児島のあるマクドナルド店の貼紙に「ビックマック」というのが目に入った。うぅーむ。きっと驚くような新しいハンバーガーなのであろうと・・・

2014年8月13日水曜日

一般人にとっての地盤とは

    鹿児島市内の国道沿いの歩道に立っている国交省管轄のポールについているプレートである。「ここの地盤は海抜 3 m」とある。なぁーるほど,地盤が 3 m くらいなのはわかるとしよう。しかし,地面は地盤に少なからざるシラスが積もっているだろうから,もうちょっとあるのだろうなぁ。だったらさ,一体全体津波に対して大丈夫なのかどうかわからないではないか。と思うのは,僕が土木関係者だからだろうか。一般の人はそもそも「地盤」なんてわからんだろうなぁ。どうして『地面』じゃいけないのだろう。地面なら小学生でもわかる。わざと難しい言葉を使って,万一のときの責任逃れでもしようというのだろうか。よくわからないなぁ。あ,そうか,嘘はよくないから本当の地盤の海抜を書いておけば,実際の地面はそれよりも高いから,国交省は安全側の情報を提供していたと言いたいのだろう。しかし,2 m くらいシラスが積もっていたとしたら,津波予報が 3 m を越えるかもしれないという報道があったとき,逃げなくてもいいのに逃げようとしてケガをしたらどうなるんだろう。うぅーむ,やはりよくわからない。

2014年8月11日月曜日

正直というか商売上手というか

    鹿児島空港から市内へのバスの車窓。あるパチンコ屋さん(だと思うのだが)の外壁に種々の標語(?)が書いてあるように見えた。読めたのがたまたま `No pain, no gain.' うぅーむ。すごいなぁ。