2016年7月31日日曜日

柔術とは

    先週,化学系のイタリア人を含むプールの加齢系の仲間(呵呵)で暑気払いをした。そのとき,そのイタリア人とのある話題から柔術とか柔道の話になり,うろ覚えで「カノウ○○」を僕の頭の中で思い出しながら会話をしていたのだが,彼が「ジゴロ」「ジゴロ」と言うのに違和感を覚えながら,ようやく思い出したら果たしてもちろん「嘉納治五郎」であった。そうかぁ「ジゴロ」になっちゃうんだぁ。と再認識した次第。
    留学時の体育の科目名には「柔術」というのがあった。「柔道」ではない。これについては友人から教えてもらったのであるが,その真意はもう忘れた。日本では「柔術」は教えてないということだったと思うのだが・・・

うっかり? 約束とか

    最近の学生さんは入試等の試験対策は僕らよりも万全だと思うが,期末試験問題の記述をしっかり理解できない者が増えたと感じる。採点した答案は研究室外に置いて返却しているが,廊下に置かれるのが嫌な人には手渡しのオプションを申告させている。しかし,手渡しを選択した学生から「廊下に置いてないんですが」とクレームがメイルで来る。よく読んでくれよぉ。
    また,自分が勉強して作った表裏自筆の A4 カンニングペーパー 1 枚持込可にしたとき,問題をよく読まず,カンニングペーパーにある似た回答を写したと思われる回答が複数ある。理解していないからそうしたのか,うっかりなのか?
    オープンキャンパスでは学生さんの協力は不可欠だ。しかし集合場所に来ない者が複数いる。まともな社会人になれるのだろうか。

左右は対称配置が普通か

    最近新聞を見て(読んでではなく)いて妙な感じがする。関連する写真が 2 枚左右に並んでいて,そのキャプションが両方共に写真の「左横」に「縦書き」されている。しかしだ。右の写真のキャプションが左側に,左の写真のキャプションがその右側にある。記憶ではこれが初めてではなく数回経験した配置である。わざとだとしたらその理由を思いつかない。不思議なこともあるものだ。

2016年7月18日月曜日

学生さんには自由な権利がある・・・か

    僕の目の前で駐輪禁止の場所にオートバイをとめる。週末なら禁止は解かれるというのだろうか。そういうサインは無い。ほんの 50 メートルくらい先に駐輪場はあるが,そこから玄関まではまたその道を戻らなければならないのが嫌なのだろう。しかし米国の大学のようなマイナス 30 度の過酷な環境ではない。九州と違ってプラス 30 度にも達していないし,雨も降ってない。
    仙台の別の大学周辺では,駅から大学までの私道と公共道路(近道)の学生さんの通行を禁止しているところがある。あまりにもうるさいというのだ。職員のハイヒールの音も含まれているとか。青葉山でも,廊下・歩道は横に並んでしゃべりながら男が集団で歩く。僕みたいなチンピラには決して道は譲らない。きっと偉くなるんだろうなぇ。そのときはお世話になろうかなぁ。
    ところで,帰ってきた宇宙人もとても弱い。また登場人物の存在の必然性がほぼ半分くらいは無い。筋は単純だしほぼ予測可能だ。友人のイタリア人から聞いた話では,ネット上の評価も低いらしい。次は 10 月の ST だが・・・また戦争みたいだ。

2016年7月12日火曜日

半数の学生さんは勉強には興味が無くお忙しい

    今日は今学期最後の講義をした。10:30-12:00 である。先週の講義時に,今日は出欠を取らないことと,試験範囲以外だがシラバスにある講義内容をカバーすることとをアナウンスしておいた。もちろん,故意にである。そして予想通り,出席者は先週の半分以下・履修登録数の半数以下だった。何か知らないかもしれないことを勉強する意欲は全く無いらしい。お忙しいらしい。忙しくて 10:30 からの講義にも間に合わないのか,あるいは昨晩が多忙で起床できなかったらしい。ま,他人のことだからどうでもいいけど,こういう学生さんが大学にいることを僕は良しとはしていない。

2016年7月2日土曜日

奨学金で困っている大学生・卒業生

    うぅーん。まず気になるのは,大学生が本当に「勉強」をしているか? ということであるが,これはまぁ,仕方がないのかなぁ。単位取得のために必要なことはするが,教員がふと授業中や昼食時に紹介した本を自発的に読んだり,その本からさらに孫引きで教養を深めたりはしないと感じる。研究室にはネットワークにつながったコンピュータがあるが,それを使いこなしたり,ソフトウェアを自発的に利用して練習したりする学生さんもほとんどいない。いずれにしても自発的な「学習・勉強」をする学生さんは 10人中 2 人いるかいないかではないかと感じる。和書・洋書を問わず専門書を購入する学生さんは皆無だろう。昔のように,先輩と一緒に洋書を一冊読む自主ゼミをしようという学生さんも皆無である。誰かに教える学生さんも少ないと感じる。そういう学生さんたちが奨学金を得ているというのは,貸与している側も把握しているのだろうか。そういう,いわば高校生並みの「習う勉強」しかしない人が奨学金を得ていてもいいのだろうか。・・・と書くと批判をもらいそうなので,ここいらでやめよう。
    さて,今は大学に交付される校費は光熱費でほとんど消えて,出張するにも研究や実験のための費用にも,外部資金を獲得しなければならない時代になった。米国では,その外部資金の一部を学生の奨学金として使える。しかも貸与ではないし,授業料だけではなく生活費もカバーしてくれる。その代わり,その外部資金に関する研究を補佐しなければならないが,それは学位論文のテーマである。学生は研究スタッフであって,研究という場面では教員と対等である。というのは,僕らを米国に送り込んだ恩師の言葉であり,当時の僕らとその恩師の間の人間関係でもある。少なくとも卒論や修論の学生さんとの関係は,今でもそういうものだと考えて僕は接している積りである。当時,僕も含めた日本からの多くの留学生も,そういった外部資金で生活して PhD をもらった。こういう裁量は,我が国の外部資金提供機関からは許容されていない。役所が大学院重点化つまり博士課程重点化だけを形式的に実施し,役所も研究関連機関も学生さん(実質的な研究スタッフ)の奨学金のケアを全くしてこなかったわけである。少なくとも,この外部資金による学生のサポートを解禁したら喜ぶ教員と学生さんは増えるのではないか,さらに博士課程にも進学してくれるのではないか。とは,何も裏づけの無い感想であり,外部資金をもらえない下っ端の推測であるが。あの ips 細胞の山中先生は,当時の学生さんを成果が出るまでは私費ででもサポートする覚悟があるから,一緒に頑張ろうとおっしゃっていたらしい。偉い!

もう関係は無いが Win10

    新聞記事によると,ようやくえぐい商売を少し改善するらしいが,新聞が「古い OS を使い続けるとウイルスなどの攻撃を受けやすくなるので注意が必要だ」ということを堂々と書くという,情けない状況にある。この朝*新聞社は MS 社から何か優遇してもらっているのだろうか。古い OS であっても,それを 2020 年(だったかな?)まではアップデートすると宣言して提供しているらしいのだから,新聞が相手の言うことを真に受けてこんなことを書く必要は無いわけである。ユーザーを新聞もあおっているのである。
    多分に MS 社のもくろみは,提供する OS 数を少なくして仕事を楽にしながら,ソフトの売り上げを伸ばして儲けようというのであろう。あるいは,古い OS はもう中身がグチャグチャでアップデートするのがたいへんだ(技術力が低い)から,早めに無くそうというのだろう。しかし 32bit マシンで十分な仕事ができる上に,メーカー独自のドライバ等が入ったコンピュータの OS を,そう簡単には個人では変更できない状況にあるのは,僕だけではないはずだが。やはり,リンゴっこか Linux に転向すべきかな。