2015年10月12日月曜日

なんでもかんでもえいごっ英語っ! そんなあなたは,将来社長さん!

    工学部 1 年生約千人中の成績上位 30 名に対する特別英才教育(課外活動)を昨年度から始めた(ことすら末端の我々には知らされてなかったが)ようで,半数が応じたらしい。そのプログラム,最後は「英語で」プレゼンテーションするのである。この最後だけが英語である。が,そのための 18歳学生への教育(指導)はそのプログラムには含まれていない。英語は論理的な言語で,形容詞の順番や冠詞についてはほぼ唯一解があるんだと,論文原稿の英語を直してくれる友人(オーストラリア人であるが,発音は米国中西部・東部に近い。僕の原稿を見てもらうとすべてのページが真っ赤になる。呵呵)が言う。さらに,英語教育について工学部内で議論している日本人教員達も,英語を使うメリットは論理性を育てることにあると豪語し,英語で講義(日本人学生からの強硬な抵抗を僕自身は 5 年以上経験したが)をすることを推奨する。それは本当か? 論理的な言語を使えば思考も論理的になるのか。母国語で論理的に思考した結論を,誤解無く論理的に「記述」するのに比較的便利な言語が英語だというだけではないのか。日本語で教育を受けながら英語で論文を書いてきた人の日本語の文章は非常に読み易いことが多い(全員ではない)が,それは英語で考えているからではないだろう。
    学内の特に事務的な日本語の書類(各種審査報告書など)はたいてい雛形が準備されている。しかし,その文章たるや論理が明確になるような書き方(句読点や接続語の使用の仕方)ではない。今は秋田大学にいる後藤先生がかつて留学生から聞いた(あるいはそういう記事を見た)ということで紹介してくれたのが,英語で教育を受けてきた東南アジアの留学生による日本の大学の日本語による教育に対する感想だ。それは「母国語で考えて記述できる教育を受けられるのは,とてもうらやましい」というものだ。そりゃそうだろう。脳味噌の活動のほとんどを,今目の前にある問題に集中できるのだから。
    事務書類といえば,そうそう,一番おかしいのが書類の提出締め切りである。国家公務員特有という噂も聞いたことがあるが,例えば 10月 20日が提出締め切りの場合,事務書類には「10月 20日までご提出」とある。英語の `by' と `till' の区別が無いのである。