2011年11月26日土曜日

模範解答

学生による授業評価の自由記述欄に,相変わらず宿題の解答の説明を要求する文が続いている。
いま,振動の授業を担当している。学生だったときのとてもいいノートをそのまま講義ノートにしている。宿題も当時のものを持っているのだが,いくつかは僕自身が解けない。だから,それは宿題には出せない。卒業して 30 年以上経っていて,講義ノートも作るのではあるが,正しい解答を求められる自信が無い。それが実力というものではないのだろうか。大学生にもなって解答を教えてもらっても,やはり自分で見出せなかったものは駄目だろうと思うのであるが・・・学ぶことと覚えることとは全く次元が違うのである。
論文を読む。研究には必須だ。しかし中身がわからない。また,どうしてそういう結果になるのかわからない。数年いや 10 年後くらいに読み直してみると,あ,なぁんだと解けるものもあるがそれは極めて稀である。もちろん,誰も正解を教えてはくれないのだ。それが研究(企業での技術開発)というフィールドの実態ではないのか。
また,工場での技術の伝承では,よく,どこが悪いだの褒めるだのは無いまま技術の伝承が行われるのが実態だろう。教えたくても,言葉にできないことの方が多いんだろう。仕事の出来などの判定もそうだ。できそこないの成果は無言で捨てられるのが当然だろう。いちいち理由を聞いても教えてはくれないのが普通だろう。そこいらへんが,最近,学生さんや若い職員さんには通じないことである。