2010年11月27日土曜日

大学は就職予備校か

新聞だったと思うが,大学入試の英語は TOEIC でやればいい,余計なくだらん英語を教えるな試験に出すなという意見を見たことがある。TOEIC は就職したら必要な資格だから,という論理だったように誤解したが,そこまで本音を言われると現場の教員としてはちと頭にくる。しかし,学部一年生へのアンケートで大学・学科を選んだ理由を聞くと,ほとんどすべてが「就職を考えて」となる。僕らの時代とは違う。大学は勉強をする所であって,就職先を探す場所ではなかったと思うのだが。ということで,一部のインテリと学生の立場からすると,大学はやはり就職予備校である。
しかし,きちんとした会社からは「即戦力を期待していない(期待なんかできない)」とも聞こえてくる。それはそうだろう。現場と理屈の間には深い谷がある。しかし理屈を身に付けていない人が現場で新しいアイデアを出すのは難しいというのも,そこそこ当たっているのではないか。
しかしですよ,こと英語に関しては,確かに学生のレベルは非常に低い。4 年生になって英語の論文や本を読むことになるが,訳は滅茶苦茶だ。僕が学生のときもそうだったから全く何も変わってない。その TOEIC で入試を代用すればいいと主張する人が推奨する中等教育を経れば,どんな論文でも読めるようになるのだろうか。疑問だ。
確か英語は論理的な記述に適した言語だ。英語の校閲をお願いしている女史によると,留学した先生の論文とそうでない先生の論文の英語は全く違うという。その,構造も含めて論理的な英語が苦手なのが大学生だ。つまりそれは,日本語のレポートでも論理が明確になっていないことを意味する。そんな人が TOEIC でいい点数を取ったとき,彼や彼女が書いた日本語の文章がわかり易くなる保証があるのだろうか。かなり疑問だ。面白いことに英語の論文執筆が得意な先生の日本語の論文・文章は僕には読み易い。ただし,多くの人には「くどい」らしい。ここあたりが英語論理表現と日本語表現の差かもしれない。
さて予備校にもどろう。東北大学では AO 入試をやっている。この面接員に OB を含めること(米国の丁寧な入試等の表面的な真似)に僕は反対したが極めて少数派だった。TOEIC の議論も同様だが,自分が受け持つことになる学生の審査で,別目的の試験や会社の立場の人を使うことには違和感しか覚えない。しかし上述のような学生の指向を見ると,こちらが本流なのかもしれない。大学は随分と変わってしまったなぁー。