2012年11月4日日曜日

絆という言葉は好きになれない

個人の特性から人と群れないできてしまったので(失敗だったとは反省するが),人との深いつながりを持つということは苦手であり,またそれを望まないできてしまった。だからかな,絆という言葉が特に震災後にここ東北で語られるが,元の町内に戻る必要性を感じない非人間なものだから違和感がある。新しい別の町内を別の場所で作るのでは駄目なのだろうか。
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・

2012年10月28日日曜日

他人の振りみたら

前*という人が TV に出ていて「全く別々の意見を持つ者が集まって国民を馬鹿にしている」という発言をしていたので,ようやく自分達の党の実態を知ったのか,いまさら・・・と思って観ていたら,他の人を非難している言葉だった。トホホである。

2012年10月21日日曜日

よくも悪くもどちらともとれる国を作ったと,鹿児島県人を非難され

実質異心の会の代表が鹿児島でムニャムニャ発言。馬鹿にしている。こういう言葉も右から左へと忘れられるのであろう。停滞した政治は,どんどん異心の会へとの流れを助長しているだけだ。前回何も考えずに民*党に票を入れた人がこの会にシフトしているだけだろう。次の政権交代後の展望も全く無い世の中になってしまった。結局どんなことが起きようと,民*党には勝ち目が無いのに,子供会か生徒会のような発言しかできない,そういう態度しか示すことができない。よっぽど大学教授会の各種委員会の方がましだ。委員には,一部研究屋さんといったひどいのもいるが,ま,大学外には迷惑を及ぼしていないだけましなのだろう。

2012年10月14日日曜日

異心の政党

どうせ民*党と同じ寄せ集めではないのか。しかも選挙目当てだけの烏合の衆。某氏が画期的な看板を上げたことから「烏合」に見えないとでも思ったのか。しかし,国民の中には民*党のときの同じ轍を踏んでしまう人も出るのだろうなぁ。
新しい執行部ができて,またぞろ新任者の不適性が公開された。それを国会で糾弾すべきだとのこと。いつから国会およびその専門委員会は議論の場ではなくなったのだろう。もう 10 年以上前からかもしれないなぁ。国民(僕も含んで)はよく我慢しているなぁ。まぁなす術が無いということか。実は消費が増えていないのは,大半は仕方が無いからだろうが,わざとそうしている国民もいるのではないか。政府の思惑通りには動かないぞという草の根抵抗。違うかな・・・ま,吝嗇家の僕は 50 年以上,必要最小限しか買わないできているのだが。
本研究科教授会は儀式であって議論の場ではない。100 人以上で議論することはできないことは明らかだからだ。したがって交通整理の諸会議があり,専門委員会がある。先日も某専門委員会に出て,簡単に終わると委員長も僕も思っていた議題で,意見が分かれた。冷静に考えると,確かに議論すべきことだった。本研究科は正常なようだ。問題は一部のメンバーの質か? 内職ってのはばれないようにやるべきだと思うのだが・・・

2012年10月7日日曜日

単位はギリギリでいいけど聴講したら?

本学科には土木系の 3 コースがある。今年度の 2 年生のコース配属では,土木系構造・材料関連のハードウェアコースが定員割れをした。宣伝が問題なら教員側の問題である。ちょっと考える必要はありそうだ。
さて 3 年生である。数学のような基礎科目の場合であっても,3 コースの全員が聴講するとは限らない。基礎である。自分で取捨選択ができるものは自分の責任だから強くは言わないが,本当にそんな聴講の仕方でいいのだろうか。結局,例年の 2/3 くらいの受講生しかいない上に,例年単位が取れない学生さんは数名しかいなかったものが,今年度は 20 人くらいが落とした。ちなみにカンニングペーパー持込可の試験である。
構造系の授業は,もう構造系コースの学生さんしかいない。振動学つまり物理学の基礎科目でも,担当する教員が所属する構造系コースの学生さんしかいないように見える。今年度は特に少ない。大学というのは「学ぶ」場所であって「習う」場所ではないことは前に書いた。「学ぶ」ことは「単位を取る」こととは同義ではない。聴講することは単位を取得することとは同義ではないからだ。しかし,卒業単位取得の見通しがある程度立ったところで,自由な時間を作る傾向が,特にこの 10 年くらいで非常に高くなっている。例えば,水曜日を休日にするためにとか,午前中の授業を無くすように聴講科目を決めるのである。「学ぶ」ために大学に来ているわけではなく,「ゆっくり遊んで卒業して大学名で就職を楽に決める」ために来ているだけのようだ。だからきっと,現場に出て飯場のおっちゃん達と話をしていて,専門基礎的な技術用語すら知らなくて恥をかくのは学生さんの責任である。ガイダンスでは複数の先生が広く浅くまずは学ぶように指導しているのに・・・ざまぁーみろである。

2012年9月30日日曜日

日本放*協会

TV が改善されて個々をカードで特定できるのだから,民間の有料放送と同様のスクランブル・システムにしてくれれば,確実に料金も徴収できるし,観たくない人は選択できる上に,払わない人にはスクランブルができる。技術だけじゃなく人の心も含めて世の中がどんどん変わっているのに,国民が望む方向への法律の変更をしない政府・役人の怠慢ではないのだろうか。
ところでこのチャンネルの音量って,民放のものより若干高くないですか? おやじの耳が遠くなってから気付いたのですが,民放のチャンネルから切り替えた途端に耳にストレスが生じることがあるんですがねぇ。CM なんかの音量だけを上げるのは違反だったような気がするけど,のべつまくなしに他局より音量を高くしているのが問題無いのは何故?

2012年9月23日日曜日

ダイアルアップではありますが

実は今まで固定電話のダイアルアップを使ってましたが,いろいろ考えた結果,某社の 3G/4G モバイルにしてみました。自宅と実家の固定電話 2 台の契約変更とプロバイダの+α等による費用を考えて,自宅と実家および外ではメイル確認や稀なインターネット検索やチケット予約等が主であることを念頭に置くと,経済性を保持(ケチなだけ)したまま機能が高められる一つの有力な候補と判断したものです。おかげでブログ作成も,一段と速くできるようになりました。

2012年9月16日日曜日

ジンギレイチシン

論語は,当時の乱れた世の中を立て直すのに必要な号令を書いたものらしいが・・・先日アマ*ンコムを眺めていて見つかった内田樹先生の最終講義の本の目次から,「礼楽書御射数(順番は不確か)」というものも論語にあることを初めて知った。ジンギレイチシンと重複するのは「礼」と「智(「書数」に相当?)」か。ここいらが一番大事なのだろう。確か内田樹先生だったと記憶するが,人を「楽(文化的教養の高さ)」で差別してはいけないとあった(かもしれない・・・)ようにも思うが,この「楽」は精神的な余裕とでも解釈するのだろうか。「御射」は現在では何だろう。武器を見せるだけで取らずに近所付き合いをうまくやるということか(あぁー,日本はどうなっていくんだろう)。内田先生が書いておられるように「書数」が教育されているとすれば,最終的に個々人に必要で足らないのは「礼」ということになる。この教育は昨今うまくいってない・・・と僕のような無礼な人間に言われるくらい乱れている。ゴミの出し方,公共物の扱い方,出席の仕方,質問の仕方,研究室の訪問の仕方,食堂でのマナー,廊下の歩き方・・・大学内でも無数にある。本学工学部の教育改革案の中にも関連項目が出ている。
さて,「御射」の教育は「体育」と考えてみたらどうだろう。たいていは個々人ごとに「書数」とは両立しない。もちろん東大体育会の優良選手もいることはいるのであろうが。で,今学校では「書数」での順位付けをはばかる教諭・児童生徒・父兄はいないのではないか。しかしなぜ「御射」で順位付けをしてはいけないのだろう。運動会はみんなが手をつないで一緒にゴールで一等賞。なんで?

2012年9月9日日曜日

使いにくいものを作るのが日本建築の目標

予想していたことが起こった。工学部の食堂周辺が,景観や建物だけではなく什器も含めて,また施主や設計者・施工者が一体となって工夫して建設したということで,建築関連の二番目に由緒のある賞を受けた。あの使いにくい食堂のことである。大きさや形の違う机がランダムに並んでいて,誰もいないか少人数が静かにしているときのみ意味がありそうな什器の並んだ学生食堂のことである。使うのが不便な旅行仲介カウンターのあるあの購買店舗のことである。大人数ではとても使えない本棚配置の,あの書店のことである。僕の研究室の学生がいみじくも「建築の価値というのは一般人のそれとは全く異なる」と発言したあの建物群のことである。やっぱり。

2012年9月2日日曜日

そこまでして儲けたい

ある電話会社の TV CM である。料金が 5 年後にどうなるかの棒グラフである。左端が初年度で,画面の 2/3 くらいの高さだとしよう。右端は 5 年後である。高さは,画面の 1/5 くらいまで低くなるのだ。一見,料金が 5 年で 9 割くらい減るように見えるが,そのグラフの横には,左端が 4600 円ほど,右端が 4200 円ほどで,1 割しか減っていない。よぉーっく見ると,棒グラフの棒の下の方に二重の波線が端から端まで・・・
自動車の CM である。購入価格は表示されていない(あるいは見えない)が,大きな数字が画面にある。これは値引きされる分の額である。何か意味ありますのん? 自動車だけじゃないねぇ。他にも一杯・・・
「乗り換えるともれなくもらえる」自転車に乗っている友人や,「あなたの携帯が不便なことにあなたには責任無いのよ」と助言してくれる友人がいても,どうも自慢できるとは思えないのだが・・・
はっきり言って,下品だっ!