2015年2月28日土曜日

円の為替を「エンタメ」と略す

    何年前か,業者さんの突然の発言「アポイントも取らずに・・・」でかなり驚愕した。そのころから社会人博士の発表等で「パラスタ」といった意味不明の言葉が耳に入ってきたので,意味が瞬時にはわからなかったのだと思う。一方,昨今の TV 等では,例えば演芸等を指す単語を「エンタメ」と呼ぶことに気づいた。そこで,どういう省略かというと,次のようになるのだろう。
 エンタメ Entertainment
 エンタテ*ィメント
 ===   =
これに倣って「お約束」を略すと
 アポイント Appointment
 アポ*ィントメント
 ==    =
となることから,「アポメ」でいいはずだ。うぅーむ。いぃなぁー。鹿児島弁のゴキブリみたいで・・・呵呵 もし逆に「アポイント」が正しいなら,演芸は「エンタテ」になる。やはり円だての為替ということか。
    ちなみに,日本語では動詞と名詞の区別が曖昧なので,学生さんの発表であるよくある間違いは「チョイス」を動詞として使っていることだ。笑っちゃった。がしかし,`chicken' は動詞でもある。鶏で思い出したが,アメリカのフライドチキン屋さんで 1/4 チキンを注文したときに,ウェィトレスが `Dark or white?' と聞いてくる。わかるぅ?

ユアナンバー

    なぜフルに英語のカタカナ表記(ナンバーはもはや日本語?)。社会保障番号・社保番号・シャホナンバーでもいいではないか。役所や大学のウェブ上のディレクトリやファイル名からパスワードに至るまで「日本語のローマ字表記」が蔓延している中,こういったものだけ「英語のカタカナ表記」。この対偶関係のような組み合わせが,どのように使われているか,統計をとると何か見えてくるだろうか。来年の卒論にでもしようかなぁ。呵呵
    このユアナンバーを外国人に説明するときの正式名称は何だろう。内閣官房のページによれば `Social Security and Tax Number' である。おっと!「マイナちゃん」だとぉ!僕はマイナリティなのかぁー!・・・はともかく,weblio では,和製英語としながら,訳を `national identification number,' `national identity number,' `personal identity number' としているが,これは怪しい。中身を全く表していないからだ。中身は税金対応であって,身分証明は別に健康保険証という古くからの重要な id があるからだ。さらに,いつごろからか住基ネットの住民票コードのようなものもある。いくつ id を作るつもりなのだろう,と思ったら,わが東北大学では経理・庶務・教務・全学で別々の id 番号があって,学外も科学研究費・研究者などなど多くの id 番号がある。どこにどの番号を使うかは「素人」の我々にはわからない現状である。
    米国のは `Social Security Number' だ。これで銀行預金から税金まで管理される。だからわが国のは 'Social Security and Tax Number' なのであろう。猿真似だなぁ。では `tax payers' id number,' `good persons' number' ってのはどうだろう。留学先の大学の学生証番号は SS No. だった。つまり,身分証明の一元管理という点で首尾一貫している。いまでも,自分の ***-**-**** の 9 桁を英語では言える。日本語では言いよどむのであるが・・・

2015年2月24日火曜日

大学でしか行えない重要な研究とは

     やはり,文*省は質の低い役所なのかもしれない。本日,「国の財政がひっ迫しており科研費の予算を確保することが困難となっているため、科研費が我が国の持続的な発展をもたらすイノベーションに寄与していることを学術研究に直接かかわりあいのない方々に直感的に理解できるように説明する必要がある。ついては、次に掲げる 10 の物事・システムについて直接・間接的に影響を及ぼした科研費の研究成果事例について説明をお願いしたい。」という通知。その 10 テーマは,『スマートフォン』『東京スカイツリー』・・・『ネットオークション』『地下鉄網・駅ビル』・・・『地震・津波対策』等。
     わが国の大学における教育と研究に,どのように金を配ろうとしているのか,絶望的な状況にある。

2015年2月21日土曜日

百人一首

    今週は,例年のような辛い二日間の卒論発表の週であったが,実は日曜に紹介された百人一首によって,心が明るい日々を過ごすことができた。
  あざらしの/ 婿のほのかな/ 思い出に/
  今ひとたびの/ あうと鳴くかな/
            伊豆式部
うぅーむ。た*りさんの頭脳はすごい!

2015年2月14日土曜日

大学改革

    朝*新聞に『大学の改革は「現場」が担え』という題で,東大経済の松井先生が論じておられた。ま,もっともなことが書いてあった。米国の OB による推薦入学に対する考え方は僕より一層説得力がある。視点が違って面白い。かつて我が学部に米国の工学系金属工学系教授(元は日本人;僕の留学先の所属)を呼んで講演させて,それを吸収しようとしたことがあったが,あれが間違いであることを再認識した。どうも我が学部は・・・ムニャムニャ。
    さて,題目については,東大大学院の英語講義化等のあと学部へのその発展を理事から強く主張されたのに対し,「基礎学力が不十分な学部学生に母語と異なる言語で教育すれば,元も子もなくなる。」という極めて常識的な主張だった。しかし,昨今,教育内容の多様化によって,大学院でも(昔の)基礎教育をせざるを得ない現状では,大学院といえども教育(授業)を英語でやることには強い抵抗を感じている。が,我が学部は,学部での英語の必修化とか,全学教育(昔の教養教育)の英語を工学部的にせよと主張する。修士論文の要旨を英語化した。論文審査を英語でやっている馬鹿な専攻もあると聞く。論理的な文章を書くためには英語を学ぶべしとのこと。思い込みで言葉を選ぶ,理由をあとで述べる,予告編をたくさん書くといった学部学生に,そのまま英語を導入しても何も変わらない。語彙が少ないからもっと論理的でなくなるのは火を見るより明らかだ。また,総合大学であることをやめたいなら,工学部(我が専攻を除く)だけ本学から出て行けばどうだろう。我が学部(我が専攻を除く)は昔からだが,工学専門学校化している。

2015年2月7日土曜日

時期がかぶる

    全国ニュースである。学生さんに公の場では使わせたくない言葉がたくさんある。ゼミの発表では,いろいろ出てくる。「もしか」もそうだなぁ。今のところ,僕にとっては,仲間内の隠語である。使う必要性も感じないのだが,小学校ではどう教えているのだろうか。今夜,小学校の先生に聞いてみよう。あ,そうだ。「リスペクト」もそうだ。某監督の解任の際に関連協会かどこかの表明文に書き言葉として使われていた。まだまだあるのだが,今思いつかない・・・普段から「リスペクトされていない」教員の愚痴でした。

2015年2月6日金曜日

宮城県に造られた津波避難タワー

    顰蹙を買うことは十分に予想できるのだが・・・このようなタワー,今本当に必要なのは東海地方や四国・関東ではないのだろうかと思うのだがどうだろう。政治(官僚)というのはここまで非科学的なのだろうか。やっぱり,よくわからない昨今だ。

2015年2月1日日曜日

日本は社会主義国だった・・・のか

    僕がいま預かっている研究室の前の先生はそう形容なさった。決して政治体制という意味ではなく,経済と福祉に関してだと想像している。そして賛同していた。それが,米国資本主義を導入して社会の格差を広げ,また国の財政が真っ赤である。元々,競争するような人柄だっただろうか。僕が嫌いな言葉に「絆」というのがあるが,ほとんどの人はそういった互助が競争より大事だと思っているのではないか。その国民性の集合に,経済的競争を導入してうまくいくのであろうか,うまく行っているのだろうか。
    またわが国は民主主義だと言う。かつてのドイツでは民主主義の中で正しくあの総統が選挙で選ばれ国民は歓喜したということを,国際関係論という授業で菊池(地?)先生(故人)から聞いたような記憶がある。その民主主義の中,グローバリゼーションか何かわからないが,戦争に向かっているような政府の言動ではないのだろうか。大丈夫か。内田先生の本をまた読み始めた。今は「二つの戦争・・中略・・にはさまれた戦争間期ではないか。」とおっしゃる。確かに不気味な毎日である。

グローバル化とは

    日本の大学はドイツを手本にした(システムは全然違っているが)と聞いたことがあるが,実際はどうかわからない。昨今は,大学ランキングの影響からか,あるいはグローバリゼーションという呼称の米国追従主義からか,米国の猿真似事が多い。昔は(ある物理の先生からの笑い話ではあるが),役人はまず東大にいる馴染みの先生に相談して企画化し,その先生を第一候補としながら全国大学から同企画への競争参加をさせていたということだったが,今や役人が独自の企画をしているのかもしれない。
    【シラバス】(学生さんはほとんど読まない,そもそも読まなくても適切な講義が選べるシステム)・【授業評価】(学生さんの権利の施行の場としてのガス抜きの場)・【科目ナンバリング】(所属学科があって卒論がある日本のシステムでは形式のみの模倣)・【quarter 制】(必要単位やシステム自体が異なるものの真似で本質論ではないかも)・【プロジェクト研究支援】(米国の DAR** 方式として某大学元教授の指導の下始まった IMP*** 企画について,DAR** 本体は「何その方式って? うちにそんな方式があるの?」という反応だそうだが:米国某大学教授曰く「プロジェクト研究は結果が見えた(終わった)研究」)・【ゆとり教育】(米国の大学の卒論の無い 3 年生までの能力を基準にしたかのような改悪:決して米国を低く見ているわけではないのは,大学院の学生レベルは逆転するから)・【OB の推薦入試面接員】(企業が必要とする人材をなぜ大学で選ぶ必要があるのか:その点土木業界はある意味いいねぇ,というのも,リクルータ曰く「先生,いっぱい遊ばせて勉強させて元気にさせてください。就職したあとはこちらで教育しますから」だ。)・【教養部解体】(形だけの米国の真似:米国大学は 4 年間の教養教育をしている:昨今の学生さんは知識の幅が非常に狭い・・・のは,全学教育にまともな教員がいないからだという噂もある。)などなど,ほとんど実を伴わない,あるいは大学には相応しくないものではないか・・・と思う昨今ですねぇ。