2015年11月28日土曜日

マイナンバーの続き

    先週の情報はどうやら間違いらしい。さっき床屋さんで確認したところ,家族の番号は続いていなかったそうだ。先週の友人の場合は,そういえば・・・名刺大でもなく大きな紙だったと言っていたなぁ。その時点で怪しく思ってはいたのだが・・・再度取り出して眺めてみると,宛先票にも数字が三種類で一つはバーコード。通知カードの個人番号(本来,番号はこれだけでいいはずだが)以外にも,申請者 ID やら,宛先票の数字の一部も印字されている。先週の友人はそのどれかを個人番号だと勘違いしたのだろう。

2015年11月23日月曜日

本来の目的は何

    マイナンバーはまだもらえない。友人宅には届いたらしいが,家族で続き番号とか。なんだってぇー。家族内でもへそくり等があるだろうから番号は推測されるようなものであってはならないのではないか。役所は手抜きだ。全国の住民票情報を csv にして,乱数で全国すべての住人に割り振るならわかるが,もしかしたら,住所でもソートされているかもしれない。ひょっとすると,お隣も続き番号とか。くだらんねぇ。本来の目的を役所は理解していない。まさにお役所仕事の典型である。

2015年11月15日日曜日

今度は修士論文@商学

    どうなっちゃったんだ。投稿規定で共著にできないなどと訳がわからない。僕が学生のときにいた下宿の大家さんは慶応商学部の著名な教授先生だった。散歩しているときも怖そうな先生だったなぁ。
    そもそも,修士論文はその完成とほぼ同時に論文集に投稿すべきである。機械系の先輩先生に言われた。修士論文は出版してあげなければ学生がかわいそうだと。昨今は特に,なかなか難しい現状ではあるが・・・さて,それはたとえ junk journal でも構わない。査読があれば立派なものだ。僕が立ち上げで手伝わされた力学系の学会委員会某論文集では,完成度や有用性は問わないことにした。ピカッと光る何かがあれば受理すべきとした。残念ながら,後輩達がその論文集を学会論文集に合体させてしまったため,敷居は高くなったかもしれない。
    一旦出版したものなら,単著でそれをいくら引用しても問題にはならないだろう。理想的な姿は,ある目標に至る段階的論文を学生さんに書いて出版してもらう。それを集めて,最終的な目標に向けて,追加計算を教員が独自にしてオリジナルな考察を加えて,立派な論文集に投稿する。すべてが受理されていれば,立派だ。ダメなら,そこのところの考察が不足しているわけだ。簡単な話である。こうすれば,毎年修士の学生さんが平均 1~2 名くらいは最低でもいるだろうから,毎年一編の出版は確保される。これで十分な業績であるべきである。一年に 50 編も出す教員は逆にうさんくさいと思うべきである。延べ 48 名程度の手下がいるだけなんだから,その教員は単なる名義貸しに過ぎない。自分が書いた論文(査読結果を受け取ってそのすべてに自分一人で答えた論文)とそうでないものとを区別して業績は公表すべきである。

2015年11月8日日曜日

卒論の無断引用

    もう世の中は終わった。自分の担当した学生さんの卒論の内容を論文にして出版すると違法らしい。
     某ニュース> 教え子卒論盗用か=教授の処分検討―○○教育大
うぅーむ。詳細はわからんが,普通にやっていることではないのか。と言うより,出版するために卒論でがんばってもらっているのだから,卒論を論文にして出版してもらったら喜ぶべきは学生さんの方だと思うのだが。うぅーんわからん。かなり特殊なことをしたのかなぁー。ニュース文面からはさっぱりわからん。それを懲戒解雇にする大学の見識も理解できん(ま,海外の論文盗用部分もあるらしいが)。しかし,この教員が馬鹿であることを示すのは,ニュースを信じるとすれば・・・
     「盗用したつもりはない。・・・中略・・・卒論を使う権利がある」
の「権利」という言葉だ。これはさすがに僕には理解不能。学生さんと共同研究をしただけだろう。学生さんには敬意を表すべきである。
    2 チャンネルかな? を見ると,この教員は仁義を通さなかったのかもしれないなぁ。つまり著者欄にその学生さんの名前が無かった。それはたいへんなミスである。ただし,正確には,卒論は出版されていない(国会図書館には収蔵されていない)から,出版物とはみなされず,盗用という言葉も成立しないのかもしれない。マスコミのコメントではなく,きちんとした専門家の説明が欲しいところだ。某マンションの杭についてと同じだ! きちんとした専門家あるいは学会が,正しいことを述べるべきであろう。不勉強なニュースキャスターの知ったかぶりの素人言葉の間違った独り歩きが目立つ昨今ではないか。

2015年11月1日日曜日

文科省が公に言ってることは嘘らしい

    文系縮小は誤解だと言っている役所は,地方大学にいる友人の教員からの情報では,実は今も,文系縮小改革を含まない要求は何も受理しないそうだ。教育に関係しているのに,うらおもてのある役所のようだ。困ったものだ。それとも,元帝大とその他大勢を差別しているのだろうか。そうかもなぁー。
    いま TV で,自粛とかものを言えない空気の蔓延を憂いているが,主張しない若者が多いのも事実である。教室会議で提案する人が非常に少ない。僕のようなうるさい年寄りの前では言えないとでもいうのだろうか。昔は毎週木曜日 13:30から夕方まで会議があって,先輩先生が難しい話を長々としたが,僕は結構反対もしたし,新しい提案もしたと(自分を美化して)思う。正論を出せない教員が多くなったら,大学じゃなくなるだろうなぁー。グループでは主張を表明するが,それに対して過去の経緯などを持ち出して反論すると折れてしまうようではそもそもダメなのだが。どこまでも食い下がらないと!