2015年11月15日日曜日

今度は修士論文@商学

    どうなっちゃったんだ。投稿規定で共著にできないなどと訳がわからない。僕が学生のときにいた下宿の大家さんは慶応商学部の著名な教授先生だった。散歩しているときも怖そうな先生だったなぁ。
    そもそも,修士論文はその完成とほぼ同時に論文集に投稿すべきである。機械系の先輩先生に言われた。修士論文は出版してあげなければ学生がかわいそうだと。昨今は特に,なかなか難しい現状ではあるが・・・さて,それはたとえ junk journal でも構わない。査読があれば立派なものだ。僕が立ち上げで手伝わされた力学系の学会委員会某論文集では,完成度や有用性は問わないことにした。ピカッと光る何かがあれば受理すべきとした。残念ながら,後輩達がその論文集を学会論文集に合体させてしまったため,敷居は高くなったかもしれない。
    一旦出版したものなら,単著でそれをいくら引用しても問題にはならないだろう。理想的な姿は,ある目標に至る段階的論文を学生さんに書いて出版してもらう。それを集めて,最終的な目標に向けて,追加計算を教員が独自にしてオリジナルな考察を加えて,立派な論文集に投稿する。すべてが受理されていれば,立派だ。ダメなら,そこのところの考察が不足しているわけだ。簡単な話である。こうすれば,毎年修士の学生さんが平均 1~2 名くらいは最低でもいるだろうから,毎年一編の出版は確保される。これで十分な業績であるべきである。一年に 50 編も出す教員は逆にうさんくさいと思うべきである。延べ 48 名程度の手下がいるだけなんだから,その教員は単なる名義貸しに過ぎない。自分が書いた論文(査読結果を受け取ってそのすべてに自分一人で答えた論文)とそうでないものとを区別して業績は公表すべきである。