2013年2月24日日曜日

怪しい広告

いつものように「ながら」で聞こえてきて,その後確認できていないが,マンションの CM で『モデルハウスでしか味わえない・・・』というのがあった。完成した暁にはその本体では決して味わうことができないので,今のうちにモデルハウスに来ていただきその「・・・」を味わっておいてください,というのである。それって何なんだろう。あの玄関に並んでいるスリッパが特殊なのだろうか。あ,そうか。モデルハウスが平屋なんだな,きっと。そしてマンションになるとペントハウス以外は上に誰か住んでいるので,このような伸びやかな環境はモデルハウスでしか味わえない(一部のお金持ち以外)ということだろう。なぁーんだ。

2013年2月18日月曜日

スッポン

昨夜はスッポンの手足の唐揚と鍋を仲間と食べました。少しドキドキしましたが,ま,かしわと同じでしょうか。爪等が邪魔ではあるのと,ジェラチン質のも若干抵抗はありますが,臭みもなく,ま,OKかな。前回欠席はドジョウでした。次回はドンコかアンコウのようでありまする

2013年2月10日日曜日

複数枚の綴じない資料の受け取り方

最近複数回経験して,学生さんの行動の理由が全くわからないので書いておきたい。学生さんに例えば 2 枚の資料を配布したいが,あいにくステープル機能の無いコピー機しか使えなかったので,ソートして 2 枚ずつ重ね,それを 90 度回転させて一組ずつを右図のように縦横に積んで机の上に置いた。そして,この資料は 2 枚組であることをアナウンスして一人ずつ取るように促した。
我々老人の頭の腐りかけた中身の構造・論理であれば,素直にこの向きが揃っている 2 枚ずつを掴んで終りになるところであるが,40 名中 5 名ほどが,まず一番上の縦向きの 2 枚のうちの上の 1 枚をそぉーっとつまみ,2 枚目をそのままにして,その下の横向きの 2 枚のうちの上の 1 枚をつまもうとするのである。どうしてこんな面倒な作業を「やりたい」と頭が指令するのだろう。全く理解できないのだが・・・

2013年2月3日日曜日

教育職は聖職なのか

知識を得たいという行為は(興味さえ持てば)本能的なものではないだろうか。うまく(いろいろな意味で)生きていくために体が必要としているのではないだろうか。そうやって得た知識を次の世代に伝えるのも本能ではないか。大工さんがいい家を建てようと努力することや,その技術を弟子に伝えることと同じであり,他の職種と教育職には違いは無い。教育も労働である。まず学ぶため(覚えることではなく自分の言葉で翻訳して整理して記憶するため)には体力が必要である。教壇に立って説明するには体力が必要である。一日に二コマ授業をすると,夕方には疲労でとっても眠たくなることが多いため,滅多にそういうことはしない。
先日,退職金額が下がることに困って学期途中で退職した教員がいて問題になった。学期途中というのは弁解の余地は全く無いが,これは予測できる事態であって(県によっては年度末の措置にしたところもある),原因はこの措置を決めた役所側にあるのは火を見るより明らかである。通常は事前聞き取りをやって,被害を最小に留めるようにするべき措置だったはずだが・・・
教職だろうとどんな職であろうと人は,家庭を持っているのであればなおさら,将来計画を立てて仕事をしているだろう。もちろん経済的な観点からがその計画の大きな比率を占める。その計画を遂行できなくなるようなとんでもない事態に陥ったというのが今回の事情であり,それ以上でも以下でもない。