2012年11月25日日曜日

そこそこの常識的な提案か

朝日の 23 日の耕論の 3 氏のご意見は,これまでの議論に比べて常識的ではあったが,その達成のために大学ではできないことがある。まず誤解されないように言っておくが,鈴木元文科省大臣が我々に尋ねておられる「では,高卒で社会に出せばいいんですか?」に対しては,僕は Yes である。
大学は以前も書いたように,研究者養成が第一目的ではなく,社会で活躍するごく一部の専門家エリートを教育する場所だと思っている。競争率が下がった大学に入って,学費のために夜はアルバイトをやって,授業中は居眠りしかしていない学生さんを,もはや苦学生とは言わない。だってすべての科目で成績悪いし,宿題も出さなかったりする。学生さん全般で同じような状況だが,他人の宿題を提出日の講義中に教室で写す学生さんを卒業させる義務があるのだろうか。もう 30 年以上前からときどき言ってきたが,高卒・中卒が満足な仕事をして適切な給料をもらえるシステムを確保するのが第一である。
で,市川内閣府仕分け人の話に移るが,「一定のレベルに達していない学生は卒業できない仕組み」を役所は作るべきであろう。卒業させないという言葉は簡単なようであるが,某大学のトイレで刺殺された教員の二の舞は,我々はごめんである。今の状況で退学させるのはとても簡単だが,あとのことを考えるとなかなか難しい。しかも「退学」というシステムは本人に不名誉なことがあって,しかもそのレッテルを貼って追い出すものとして認識されている。だから成績が悪い学生は別システムでどこかに移動していただかなければいけない。アメリカの実態は知らないが,かなり自由に大学を移り歩く。入試が無いからかもしれないが。そういう「移学」システム(大学・専門学校・職能大学校を含めた)というものを役所がまず整備すべきである。これは必然的に大学を序列化することになるが,序列の低い大学を無くすよりはましだろう。
特に専門学校・職能大学校に移動した人たちはきっと技を身に付けるだろう。今は,専門学校で正看護師の免許を取ったあとに大学で教養を身に付ける人もいるが,逆に大学で教養を身に付けて技能をあとで磨いてもいいではないか。プールで出会った大工さんや看護師さんも必ずしも大学は出ていないで,いい仕事をしていると聞く。
・・・と思ったりした今日このごろである。

2012年11月18日日曜日

大学は教えてもらう場所か

朝日新聞の論説にまた田中某大臣の暴挙に触れて妙なことが書いてあり,大学を整理することには反対だと。この人は,大学にいる学生さんをもっと丁寧に教育してあげるのがまず必要であり,学生の質を上げる努力をすべきであると言っている。新聞捨ててしまったので確認できないが・・・最も陳腐なのは,高校の補習を大学でするのが当然という論理である。誰の責任でここまで「自ら学ぶ意欲レベル=大学での学習能力」を下げてしまったのか。田中某が主張している「大学のレベル」というのは「教員のレベル」であることもこの人には理解されていない。
また,学生の質が下がったのは,定員を割ることを許されない大学が,そもそも大学生としての資格を有していない者を入学させていることにあることも理解されていない。だから大学での補習が必要だと主張する。それは,高校生の人数が減っていることと,それに対して定員を下げることが許されないことにも原因にあり,また家庭で大学とはどういう学びの場所かという子供への情報提供(大学では大人の振りをしろという教育)が,大昔に比べて全くなくなっていることも原因であろう。
昨今の学生さんは,ものを教えてもらおうとする。宿題や試験の答を教えろと言う。自分で考えろと言いたい。大学のレベルで本人が理解できないものは,一生理解できるはずがないから,大学を辞めればいいのである。わかる範囲(実力)を拡げるのが大学での学習作業である。教えてもらってもこの実力は 1 mm も上がらない。それが,論説委員と多くの学生さんはわかってない。

2012年11月11日日曜日

教員が作ったプログラムに数値を代入するだけの宿題

今年は信じられないことが発生した。3 年生に,共振曲線と過渡応答解析結果の図示を宿題にした。毎年同じだ。しかし,自分の答の確認のために,僕が作ったプログラム(計算はブラックボックスにして,パラメータをセットすれば結果がグラフとして表示されるビジュアルなものだ)も利用できるように,今年からしてみた。まさかとは思ったのだが・・・
宿題を集めてみると半分の学生が,僕が作ったプログラムで表示させた画面をキャプチャしてそのまま提出してきた。もう授業はやめようと思った。これが大学生のすることか。大学生というのはそこまで倫理観が落ちたのだろうか。ゆとり世代と言われるが,まさかそんなゆとり教育とは倫理観は関係は無いだろう。この人たちが将来,正しい技術者になるとはとても思えないのだが・・・これが今の平均的な大学生なのか。
他学科の先生からの話だと,「習ってない問題が試験に出された」とクレームが来るそうである。その学科は,本工学部で最も優秀な学生がいる学科なのである。習った問題が出たら試験にはならないし,頭も必要ではないと思うのだが,高校までそういう教育を受けてきたんだろうなぁ。宿題を全く出さずに試験に失敗したあと,レポートで単位をくれと言ってくることも全く理解できない。倫理というより頭が悪いだけなのかもしれない。

2012年11月4日日曜日

絆という言葉は好きになれない

個人の特性から人と群れないできてしまったので(失敗だったとは反省するが),人との深いつながりを持つということは苦手であり,またそれを望まないできてしまった。だからかな,絆という言葉が特に震災後にここ東北で語られるが,元の町内に戻る必要性を感じない非人間なものだから違和感がある。新しい別の町内を別の場所で作るのでは駄目なのだろうか。
偶然の知人というのはたくさんいる。信頼できる人もいる。しかしいずれは遠く離れる人たちである。うぅーん,うまく書けないが・・・