2012年6月24日日曜日

創造力を最初から持った人はいない

某紙が某起業家に,どんな能力に自信があるのか選択式の質問をしたところ,一位が「創造性・ひらめき」だったそうだ。つまり質問の箇条がおかしい。先天的に創造力を有する個人はほぼ零だと僕は見ているからだ。ひらめき,つまりセレンディピティは問題に深く長く接して悩み続けること無しには得られないものであり,これには先天的な創造力は関係無い。必要なのはシミュレーション,つまり想像力である。問題を解決する答を頭の中あるいは試作によって求める。それが駄目なときに,その状況を踏まえてまた想像して次の答を求めていくという「行動」そのものが創造物を生み出す可能性を高める。結果的にその成果だけを他人が見ると「高い創造性」に見えるだけだ。
パスツールの言葉に `Chance favors the prepared mind.' というのがある。

2012年6月17日日曜日

低燃費タイヤ

この特に 20 年くらいの工業技術の進歩はすごくないですか。メモリが格安になったことなどです。なのに電気系の入試での人気が低い・・・さて材料・化学分野はもっとすごいですね。こちらは入試の倍率も上がっている。最近経験したのは車のタイヤである。
石橋さんのエコピ*というタイヤに今年換えた。その前もプレイ*というタイヤで,それに換えたときも燃費が良くなったのだが,その2割程度かあるいはそれ以上,さらに燃費が良くなっている。問題は,よくころがることである。前の車に近付き易くなったような気がする。

2012年6月10日日曜日

我が国独特の良い教育制度を提案できない文部科学省と大学

種々の教育上の議論では必ずといっていいくらい「海外(具体的国名付き)では・・・」といった言葉が現れる。国際化というのは英語を使えて海外に友人がたくさんいるということらしい。受け入れ先とは金の関係が無いプレッシャの無い若手教員の海外研修に,交付金から援助しようという本末転倒な議論をしている。明治時代以降の,お手本を海外に求める体質が文部科学省と大学周辺には未だに残っているらしい。というよりもそれが根本にあるというのは何故だろう。国内からの企画発信力が無いからでしょうねぇ。留学した僕が言うのが最もおかしな話ではありますが。
せっかくサバティカルという制度が米国にあるのであれば,金の関係の米国教員を招いて日本人学生の研究指導をやらせて,1年以内に最低1編の論文を出版させる方が,よほどやり易いことではないのだろうか・・・ま,これも米国の真似ではあるのだが・・・現在の日本の大学の規定ではそれもままならない状況だ。
米国での恩師の記念シンポジウムに招待された大学教員は,その恩師と金の関係を結んで夏休みや海外研修を過ごした人たちが大半である。いいところは,この米国の恩師が(元)日本人であり,米国滞在中も日本語で研究ができたということではあるのだが。

2012年6月3日日曜日

大学教員は倫理観が低い

本学工学研究科の入試で問題漏洩があった。本人は,そのレベルではなかったと表明したと記憶するが,処罰された。ここがまず問題である。そしてもう一つの(多分本学特有の)問題は,その後作題者から誓約書を取ることを議論し始めた(一部実行済みなのが悲しい)ことである。とても恥ずかしいことだと思う。つまり,本学工学研究科の教員は倫理観が他機関の教員に比べて非常に低いので,誓約書で防止しようというのだ。しかしだ,今回の本人の表明を見る限り,誓約書制度に意味が無いことは火を見るより明らかである。本人は悪いことをしていないと思っているのだから,誓約書を書いていたとしてもこの人は同じことをしたであろうからだ。
他大学に勤めたことがないからわからないが,この大学には変なところがたくさんある。どこの成人式で「私は犯罪は犯しません」という誓約書を取るというのだろう。当たり前のことを敢えて誓約書にする文化の存在意義が理解できない。もし今回の誓約書が実行に移された暁には,本学の新任教員は「セクハラ・パワハラをしません。」「某総長が行って認めたような論文二重投稿はしません。」「通勤時のバス等でわいせつ行為はしません。」「校費の違法流用はしません。」「構内では喫煙しません。」・・・と,山ほどの項目を記した誓約書に署名させられることになるんだろうなぁ。
でも,確かに,科学研究費や運営費交付金を違法に使った報告も山のようにある。やはり大学人は非常識なのだろう。非常識でないと研究なんてできるわけがないという意見もあるが・・・