2019年1月15日火曜日

ご飯論法と同じ

    某自動車会社の元幹部の外国人の「僕は〇〇会社を愛していた」と比べると,某スポーツ行事招致関係者のアナウンスは日本的だなぁ。本質を語らない。知りたいことは「あなたが何をしたか」ではなく「そのコンサルタントが何に役立ったか」である。それにも触れず,逃げるように去っていく。某外国人の「愛」も無いところは日本的だ。海外メディアはそれを「官僚的」と呼んでいるようだが「日本的」の方が相応しいと思うなぁ。某国が告訴しようとしているのは組織であってその「人」じゃないと思うのだが。