2011年2月26日土曜日

30 年変わらない講義ノート

11 月の朝日に(主に会社から赴任した)教授の資格についての記事があり,またぞろ「毎年同じ講義ノートで・・・」という批判の記述があった。例えば Newton の力学がこの 50 年で何か変わっただろうか。学生の質が下がったとき,それに合わせて単純にレベルを下げればいいのだろうか。実は現場は困っている。
さて,本学の前の工学部長さんがこの 50 年の入学者の能力の変化と,社会が卒業生に求める資質の変化を簡単に表したグラフを見せてくださったことがある。簡単に言うと,入学者の能力は,大学の大衆化以降単調に下がっていくし,ゆとり教育によってまた極端に下がった。一方,社会に出てから対処しなければならない問題がどんどん難しくなっていることから,卒業生に求められる能力は単調に上がっている。したがって大学在学中に,学生が持っているポテンシャルを上げる勾配は,単調に増大しているというものだ。つまり,入学してから卒業するまでに身に付ける知識は,50 年前よりも倍増しているくらいのものだ。そんな教育は不可能に思えるほどだ。
もう何年もやっている講義ノートをこれに対処しようと工夫を試みてみるが,不可能だ。講義回数は 14 回しかない。毎年のように出版される種々の教科書を見ると,二種類あるように感じる。一つは 50 年前と同じ教程の内容だ。古典的だが,工学的な基礎の真理は 50 年や 100 年では変化しない。いや,体系化されたとても美しい完成された真理であるから教えることは変化しない。もう一つは昨今のトピックスに対処するような内容だ。これは斬新に思えるが工学部基礎科目(学部のほとんどすべての科目)には使えないのである。この種の教科書を使うためには,その前にもう一冊の基礎教科書を勉強しないといけないからだ。
ただ推測するに,社会(会社)は大学卒業生を冷静に評価しているように思え,それが社会を高度に保っているように感じる。卒業生の能力が下がっていることを現場は実感しているから,同じ大学出身者でもムニャムニャ・・・