2011年2月19日土曜日

イモリの生態

11 月の朝日に「アカハラ」記事があった。もちろん,例の 4-letter words である。呵呵。具体例がとてもいいので,その実態を併記してみよう。
「論文を指導しない」:
言ったことをしないし大学に来ない
「正当な理由がないのに単位を与えない」:
正当な理由がないのに宿題の締め切りを守らない,無断欠席をして出席率が足りないのに期末試験の受験権利を主張する
「本人が希望しない研究テーマを押しつける」:
多分結論が出るだろうと親切心で提示したテーマから自ら選んだものに興味を持とうとしない,教員が知らないことを調べてきて驚かそうとしない
「加筆訂正しただけで指導教員を第一著者とする」:
学生が書いた草稿に加筆修正をした第二・第三稿等には既に学生の書いた言葉は 10% も残っていないのに,自分を第一著者にせよと主張する。そもそもテーマやアプローチ等は誰が提案したんだったっけ
「深夜や休日に指導を強制する」:
毎日昼過ぎにしか出てこないし昼間もどこにいるかわからない,中間報告は全く持ってこない,仕方がないから彼をつかまえられそうな休日や夜間の時間帯に約束して打ち合わせに行くとソファーで寝ている,起こすと逆ギレする
こんな風に「アカハラ」の種は,大学には無数に存在する。だから最近,教員の学生に対する態度は「触らぬ神にたたり無し」だ。毎日ビクビクして過ごしている。大学に出てこない学生を,昔は迎えに行って無理やり仕事をやらせたが,今はそんなことできないからギリギリまでお互いに何も改善されない。今,社会はこういう環境を大学に求めているらしい。
「幼稚園児の作文だ」「死んでしまえ」などと暴言をぶつける・・・というのもあった。だって,高校までに論理的な文章を書く授業も訓練もない。国語? 数学より役に立たない科目だ。単に作文の宿題が出るだけだ。幼稚園児よりはましだが,とても読めたものではないのは明らかである。僕の卒論も(実は恥ずかしながら修論もPhD論文も)真っ赤だった。もちろん自分が選んだ言葉はほとんど残っていない。実はそれで喧嘩をしたことがあったが,今ではいい思い出だ。で,「死んでしまえ」という教員はまずいないから,これはある極端な数少ない例をマスコミ流に挙げただけだろう。しかし「幼稚園児・・・」は,大学教員のほぼ 120% が実際に直面して(自分の過去を棚に上げて)口に出そうとして,(自分の過去を思い出して)思いとどまった言葉の一種であることは確実だ。卒論の最初の草稿のコピーをそのままご両親にお送りして,感想文を 400 字くらいで書いてもらったらどうだろう。