2011年2月6日日曜日

成績がなんぼのもんか

さて出世とは直接関係は無いが,4 年生になって卒論をする研究室を選ぶ際に成績順に希望をかなえて欲しいという要求が学生側から何年か前に出て,そのときはそれを容認した。ということは,そのような選び方を主張する学生は,成績の悪い人に対しての思いやりは全く無いということを意味する・・・ということが,彼らはわかっていたのか。一所懸命やった人だけを評価すべきだという考え方は,国家公務員試験に合格した人はそうでない人よりも優れた人材であると主張するのと同じだ。確かに TV のインタビューでそう応えた役人がいて,びっくりした。でも,本当にそれは正しいか。あるいは現実の,要領のいい人,もう少し建前的に書くと,話し合いや根回しで何となく決めようと努力する人を排除する方向にしか思えない。僕は嫌いだ。
さて僕は宿題で相談をすることは禁止していない。人に教えることは理解を深めるし,教えてもらったことを自分の言葉に翻訳して勉強すれば実力がつくからだ。大学 3 年生のときに 16 進法を初めて理解した(したがって,そのとき初めて 10 進法を理解した)のも,友人と一緒に宿題をしていたからだ。しかし最近,宿題はほぼすべて満点なのに,定期試験がメチャクチャな学生が目立ってきた。きっと他人の宿題をコピーしただけなのだろう。さすがに採点のときには怒りを覚えるが,僕の知ったことではない。その学生が自分で自分の人生に責任を持ってもらえれば済むだけ。ただ,アメリカ人と違って,こういう学生は「1 週の持ち帰り試験 (take-home-exam)」でもカンニングするのではないだろうか。ここがアメリカに負ける一つの理由でもあると感じる。日本はもう駄目かもしれない。