2016年6月11日土曜日

過去問は果たして役立つのか

    もう何年も前から大学院修士の入試問題は公開されている。が,しかし,最近妙なことに気付いたような気がする。問題は公開されているが,正解は公表しない。もしかしたら,ほとんどの受験生が正しい答,否,試験時間中の解き方を知らないかもしれない。勉強してないかもしれない。そういう意味では問題公開が役立ってない。少なくとも次のようなことはあり得そうだ。
    僕が出す問題は,多くの学生さんが使う手法だと計算間違いをしたり時間がかかるが,ちょっと気付くと,数行の計算で済むというものをできるだけ選んでいる。と,ここで気付いたわけだが,過去問をダウンロードしてそれを解いた学生さんは,実はその時間がかかるオーソドックスなやり方で解いて満足し,それで解く練習・準備をして入試に臨んでいるのではないだろうか。だから出来が悪い・・・うぅーむ。

2016年6月4日土曜日

大学院は勉強するところじゃないのぉ?

    さて,昨今はほぼ全員が修士課程に進学する。が,彼らのほとんどは学問に興味があるわけではない。宿題を出す。曖昧な題意になるような出し方をわざとする。90% が工夫をしないで,結果の例えば式だけを出して満足する。それを工夫した図にして,ひょっとしたら僕が知らない結果を見せてやろうという意欲は無い。また,目的とは直接は関係ないかもしれないが,副産物的な結果を図示してくれることは無い。英語の文献を紹介する。読む人はいない。義務のある成果を出すための論文を探して読むことはするが,そのときにダウンロードした論文の中から必要最小限だけを読む。その論文の文献リストからの孫引きのようなことをして,自分の知識を拡げようとはしない。卒論を始めてから修士を修了するまでに触れる論文は数編。これで大学院で学んだことになるのだろうか。修士課程だけでも 20 編くらいの論文は,卒論や修士論文に関連するものとして読むのが常識,なんてことは 30 年前のことなんであろうか。学習に今も昔も無いと思うのだが。むしろ今は,junk も含めて論文数は某大だ。その中からいいものを見つけるのもたいへんだが,junk でないものもある程度は見つかるだろうに,そういう努力をしているようには見えない。与えられた課題だけをこなして知識が増えるのだろうか。好奇心が無いんだろうなぁ。否,勉強以外への好奇心が強いから,勉強に当てる時間が無いくらいご多忙でお疲れ様なのだろう。若い頭脳が浪費されている現状で,何か新しい科学的な成果が果たして出るのだろうか。もうろくじじぃは,もう何も頭からは髪の毛すら生まれてこないのだが。

2016年5月28日土曜日

笑って手を振って「謝れっ」って?

    沿道には某 VIP に対してカメラを片手に笑いながら手を振っている。これから悲惨な現場に行こうとしている VIP に対してである。この人たちの人種は一体何だろう。少なくとも日本人ではないだろうなぁ。また,自国の総理大臣が某宗教施設を訪問したときには「私人」か「公人」かと大騒ぎするくせに,他国の某 VIP の個人的感想を求めるこの人たちは一体何を考えているのだろう。やはりよくわからない。

宿題の再提出って何?

    最近だと思うが,宿題を締切までに提出させて採点して翌週返したとき,その書き込みを見て「再提出していいですか?」と聞かれることが多い。全く意味がわからない。また,中には「図を出そうとしたらパソコンが不調になったので来週出します」と書いた宿題もある。そんなリスクは予め考えて行動する(土木構造物を設計する)のが工学部の学生だろうから,受け付けられないと答える。また解説あるいは模範解答を見せろという要望もある。確かにそうすれば「覚えられる」だろうが,宿題回答には既に何が間違っているのかは朱書きしてあるのだから,それを見て「自分の頭で考え」るのが大学における学習の仕組みではないのか。僕は大学入学以来,宿題や試験の解説をしてもらったことは一度も無いと思う。少なくとも米国の優れた教育現場では無かった(と書いたが,弾性論で一度だけあったようだ 5/29)。だから今でも解けない問題をかかえている。世の中の仕組みが知らない間にどんどん変わっているんだろうなぁ。

2016年5月26日木曜日

勝手にアップデートらしいねぇ

    新聞記事によれば,技術力の低い MS 社がとうとう暴挙に出たらしい。よくわからないのだが,所有者が欲していないアップデートに関連して,その所有者の許可無く勝手に通信料金を消費し,ハードディスクの一部を勝手に使用し,欲していない状態に,しかも許可無くシステムを変更しようとすることが,一私企業に許されている行為なのであろうか。僕はそうは思わない。少なくとも僕は,勝手に使われた通信料金の数千円くらいを MS 社からいただきたいと思っているのだが。

2016年5月22日日曜日

普段興味も無いものが注目されると回りに集まるハエ

    ル・コルビジュエとは全く興味の無い,もちろん建築家である。30年くらい前に就職したときに,隣の学科が建築だったので,掲示板等で知った名前であるが,その業績には興味も無い。その人の業績が注目された途端,国内にある作品に群がる日本人。あたかも日本の何かが受賞したような。これが日本の文化なのか。僕は日本人じゃないのか。と,昨今思っている。

2016年5月21日土曜日

ダリウス・ミヨー

    今日の「ららら」はミヨーの道化師だった。うぅーん,そうかぁ,ミヨーはそういう人だったかと。この道化師は,国立音大卒の大恩人から,大学生のときに教えていただいたのだが,当時の人気 TV 番組のある曲の部分と一曲目のモチーフが似てるねぇと教えていただいたのだった。すぐにレコードを買ったもので,今でも大好きな曲の一つだ。ブラジルが影響ねぇ。そうかぁ,僕もラテン系なのかなっと。ピアソラのブエノスアイレスのマリアも・・・おっと,こっちはアルゼンチンか。

quarter 制度

    表面的な猿真似のシステムが導入されようとしている。しかも,大きな枠組みを再検討することはしない。つまり,今までの 1 学期を前半・後半に分けて,一つの科目を週 2 回開講するだけだ。たたき台を見た。どうなっているか。
    1 年生の Spring quarter には,物理学や化学等の基礎となる数学の線形代数 A と解析学 A が提供される。しかも,クラスによっては連日という疲労を促進する日程がある一方で,中 2 日空いた緊張感の無い日程もある。そして Pre-summer quarter には,物理学・化学が並ぶ。使う数学を教えた上でそれを利用するという思想らしいが,semester 制のときはこれが並列だった。道具を習いながら使い方を学ぶ(前後関係は逆転することも多いが数学物理学演習という科目で補足はされている)のがいいか,道具だけを教えてもらって,そのあとに使うのがいいか。さて?
    入学直後に高校とのレベルの差に驚きながら訳もわからず難しい数学を学んで,6 月から夏休みが終わるまでの四ヶ月余り,数学からは遠ざかっておいて,さて Fall quarter になると,また線形代数 B と解析学 B が提供される。もはや線形代数 A の知識は頭の中でさびついていて,思い出すのも困難だ。そして次の winter quarter にはまた数学が無くなって物理学・化学である。
    カリキュラム再編の検討もなく,単なる時間割の変更である。米国の quarter 制(実際には,11 週(我が国の約 1.5 倍)の 3 学期制であるが)が成立しているのは,文化が違うからだと僕は感じているが,そういう話は出てこない。
  • 2 週に一つくらいは宿題が出る。
  • 文系や基礎科学の場合は週末に本を読まなければならないらしい。
  • 宿題で,他人のコピーをする文化はあの国には(多分標準的には)無い。
  • 板書は丁寧で,それを写したノートはあとでゆっくり読める。80 ページを越える,読んで理解できるノートができあがる。教科書は要らないくらいだ。
  • 休講は無い。
  • 試験は場合によっては 3 日くらいの take-home exam もあるが,これもカンニングは無い。
  • 2 quarter 連続して成績が B を下回ると退学になるという緊張感がある。
  • そもそも大学教育の目的は人を育てること。我が国のどこかの学部のような職能訓練学校・研究成果製造工場ではない。
などなど,我が国では実現できていないような文化の上で成立しているシステムにしか見えないのであるが,さてどうなりますことやら。あと数年すると何か見えてくるでしょう。

スライドによる授業

    先日,僕の学科ではない所のある講義を廊下から覗いた。前方スクリーンにスライドが映っている。学生さんは後方にしか座ってないので,先生は教室の中ほどで「鉄筋コンクリートの場合は・・・」と,学生さんの方を向いてしゃべっている。学生さんには多分スライドコピーが配られているが,彼らはじっとして聞いている。そんなん!勉強になるかぁ?????
    その数日後,僕らは学生さんを数名を連れて千葉の工事現場見学に行った。現場につくと学生さんは筆記用具を出した。うぅ? 担当の方の説明が始まると,ときどきメモをとっていた。うぅーん,勉強家だなぁ!!!!!

2016年5月14日土曜日

仕様より燃費が悪いと事故が起こるのか

    購入時に信じていた数値よりも悪い燃費の車に乗っている人は不安を覚えるのだそうだが,その「不安」というのは何なのだろう,ということを考察してみよう。その発言をしたニュースキャスターに聞きたいのだが,残念ながら双方向通信をしていないので自分で考えないといけない。ま,最近のキャスターは言葉を選ばないので,しょうがないのかもしれないがねぇ。
    さて,リッター当たり 35 km 走ると思って購入した車が実際はリッター当たり 25 km しか走らない場合の「不安」を考察するわけだ。ある日,高速道路を走ったとしよう。燃料メーターであと 2 リッターあると判断した(まさかそこまで走らないのが工学部卒業生の安全率の考え方ではあるが)としよう。仕様通りと信じたドライバーは 70 km は給油が不要だと考えることになる。ちょうど 60 km 先にサービスエリアがある。うん!大丈夫だ。なんてことが起こりうるか? うぅーん。1000 年に一度の津波よりは,起こる確率は高いだろうなぁ。しかし本当に「不安」を感じているだろうか。購入して二回給油するくらい走っていれば,仕様と現実の違いなんて誰でもわかるだろうに・・・。やはり,昨今のニュースキャスターの知的レベルはかなり低いのではないだろうか。
    ところがである。某知事が公私混同をした件で,このインテリと思しき知事自身の言葉もおかしい。公私混同での騒ぎで「心配」している人に「侘び」るんだそうだ。心配しているのは知事のシンパだけだから,公共の電波を使って詫びるべきことではない。シンパ以外の不特定多数の都民・国民は疑っているわけだから心配なんかしていない。やっぱり!と思っているだけだ。だから侘びてもらっても困る。きちんと責任を取って欲しいわけだ。よくわからん日本語が蔓延しているようだ。