2016年6月4日土曜日
大学院は勉強するところじゃないのぉ?
さて,昨今はほぼ全員が修士課程に進学する。が,彼らのほとんどは学問に興味があるわけではない。宿題を出す。曖昧な題意になるような出し方をわざとする。90% が工夫をしないで,結果の例えば式だけを出して満足する。それを工夫した図にして,ひょっとしたら僕が知らない結果を見せてやろうという意欲は無い。また,目的とは直接は関係ないかもしれないが,副産物的な結果を図示してくれることは無い。英語の文献を紹介する。読む人はいない。義務のある成果を出すための論文を探して読むことはするが,そのときにダウンロードした論文の中から必要最小限だけを読む。その論文の文献リストからの孫引きのようなことをして,自分の知識を拡げようとはしない。卒論を始めてから修士を修了するまでに触れる論文は数編。これで大学院で学んだことになるのだろうか。修士課程だけでも 20 編くらいの論文は,卒論や修士論文に関連するものとして読むのが常識,なんてことは 30 年前のことなんであろうか。学習に今も昔も無いと思うのだが。むしろ今は,junk も含めて論文数は某大だ。その中からいいものを見つけるのもたいへんだが,junk でないものもある程度は見つかるだろうに,そういう努力をしているようには見えない。与えられた課題だけをこなして知識が増えるのだろうか。好奇心が無いんだろうなぁ。否,勉強以外への好奇心が強いから,勉強に当てる時間が無いくらいご多忙でお疲れ様なのだろう。若い頭脳が浪費されている現状で,何か新しい科学的な成果が果たして出るのだろうか。もうろくじじぃは,もう何も頭からは髪の毛すら生まれてこないのだが。