2014年12月13日土曜日
半端じゃない状況の具体例を示すために式を代入して解を得る
半端無い状況の具体は式 (a) の解を微分方程式 (b) に代入してあげるといいらしい。そうしてあげれば方程式はとても気持ちがいいのだろう。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会で使われる言葉である。じじいにはこれが理解できなくて,イライラするのである。スライドで,半角コンマの前に何故か空白がある。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。ご清聴ありがとうございますと,審査員や聴衆には全く意味の無い挨拶をする(スライドが最後に出てくる)。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。社名や社ロゴがスライドのあちこちに出てくる。博士課程・社会人学生さんの中間審査発表会である。何か間違った方向に社会は動こうとしているのではないか。そろそろ年貢を納めてあの世に行けとでもいった主張なのだろう。まだ 2 年は負けねぇぞぉー。
2014年12月7日日曜日
白板・黒板・プロジェクタ
僕が嫌いな教員の授業風景を覗いた。スライドをスクリーンに映して何かしゃべっている。学生さんは,そのスライドを印刷したメモを手元において,鉛筆も握らずに聞いている。これで学生さんの頭には何が残るのだろう。あぁー面白そうだなぁ。そんなことが計算できるんだぁ。で終わりだ。何のためにそういう研究や検討をするか,そこに用いる数学の何を理解すべきか,それをどう使うか・・・は全く頭の中には入ってない。また,スライドを印刷したメモを後で眺めても中身はわからない。しゃべったことをそこに記入していないからだ。また板書を書き写すこともしていないから,10 日もするとその授業のことは全く記憶から消えている。かつて,他学科の僕が嫌いな先生と一つだけ意見が合ったことがある。講義でスライドや OHP(もはや死語!)を使うべきではないということだった。いまどきの FD では,こういうことは誰も言わないんだろうなぁ。工学研究科長教育賞への応募書類の推薦理由にも,適切なスライドを適切な場面で多用することが書いてあったりする。「適切な」が,どういうことかはわからないが。
実は僕が使っている建物が新しくなったときに講義室に導入された白板は横が 2 m くらいしかなかった。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。黒板と白板の選択で多数決をして,黒板が負けた。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。廊下側のガラス面のブラインドを上げることを提案して,かなり反対された。ははーん,みんな板書してないんだなぁ。これじゃぁ,学生さんは何も覚えられないね。
実は僕が使っている建物が新しくなったときに講義室に導入された白板は横が 2 m くらいしかなかった。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。黒板と白板の選択で多数決をして,黒板が負けた。ははーん,みんな板書しないんだなぁ。廊下側のガラス面のブラインドを上げることを提案して,かなり反対された。ははーん,みんな板書してないんだなぁ。これじゃぁ,学生さんは何も覚えられないね。
全入時代に向けての教育法講習会
そういう講習会があるらしい。大学が学生に迎合してどうする。と,あと 2 年で辞める人間は,捨て台詞風の正論を述べておこうかなぁー。
僕の時代の理系学生にとって 1 年生の数学はとんでもない講義だっただろう。例のεδである。しかし,あとで試験や問題を読むと,なんてことがないことがわかる。微分方程式や多重積分はそもそも何をやっているかわからなかった。3 週くらいして先生が「僕は多重積分を教えているのだがわかってますか」とおっしゃった。そうだったのか。物理学も最悪だった。高校で習ってない微分方程式を使う。ベクトルが出てくる。∇なんて記号や grad とか div とか,意味もわからない。解けない。が,大学院に入るころには,答が出せないまでも,何をやっていたかがうっすらとわかる。そのくらいは自分の脳みそに仕事をやらせないと身に付かないこともわかった。
ところがである。今の学生さんは,わからないのは教員がダメだからだそうである。高校までの成績がいい学生さんが,大学に入って突然何をやっているかわからない。自分は頭がいいのだから,授業中にわからないのは講義そのものがダメだという価値観である。配った文章を読まない。答に直結する箇条書きが欲しいらしい。ネット上の鬼仏表にある僕の「情報基礎」の書き込みを見ていただければ,ダメな学生さんのことが推測できる。この講義では「自分が何をできないか,何がわからないか」がわかればいいので,宿題回答が正解でなくても単位はやると最初に宣言してある。しかし,わからないのは教員が悪いのだから,友達のをコピペして宿題に対応しても構わないという論理(倫理?)になるのである。これに迎合する授業をして,卒論が書けるのか。何か真っ白なところに自分のアイデアを書き込む能力が身に付くのか。彼らのほぼ 100%は秀才・天才ではないんだよねぇ。
僕の時代の理系学生にとって 1 年生の数学はとんでもない講義だっただろう。例のεδである。しかし,あとで試験や問題を読むと,なんてことがないことがわかる。微分方程式や多重積分はそもそも何をやっているかわからなかった。3 週くらいして先生が「僕は多重積分を教えているのだがわかってますか」とおっしゃった。そうだったのか。物理学も最悪だった。高校で習ってない微分方程式を使う。ベクトルが出てくる。∇なんて記号や grad とか div とか,意味もわからない。解けない。が,大学院に入るころには,答が出せないまでも,何をやっていたかがうっすらとわかる。そのくらいは自分の脳みそに仕事をやらせないと身に付かないこともわかった。
ところがである。今の学生さんは,わからないのは教員がダメだからだそうである。高校までの成績がいい学生さんが,大学に入って突然何をやっているかわからない。自分は頭がいいのだから,授業中にわからないのは講義そのものがダメだという価値観である。配った文章を読まない。答に直結する箇条書きが欲しいらしい。ネット上の鬼仏表にある僕の「情報基礎」の書き込みを見ていただければ,ダメな学生さんのことが推測できる。この講義では「自分が何をできないか,何がわからないか」がわかればいいので,宿題回答が正解でなくても単位はやると最初に宣言してある。しかし,わからないのは教員が悪いのだから,友達のをコピペして宿題に対応しても構わないという論理(倫理?)になるのである。これに迎合する授業をして,卒論が書けるのか。何か真っ白なところに自分のアイデアを書き込む能力が身に付くのか。彼らのほぼ 100%は秀才・天才ではないんだよねぇ。
すっぽんアンコウどぜうにクマ
昨夜は久しぶりの幹事役,アンコウ鍋でプール仲間の久しぶりの忘年会。一部の仲間との会食は,昨年すっぽん今年の前半にはどぜう。役所の人達とあの地震の 1 日前には熊。つまりは共食い,呵呵。残ったのは「どんこ」だ。新年会はもう予定があるので,来年かなぁー。ただし,実は,アンコウとどぜうは僕には合わない。肝が苦手だから当たり前なんだが。ま,経験・・・
2014年12月6日土曜日
寒くて暑い新築研究棟
うぅーん。南面全面ガラスの廊下と研究室とコピー室。9 月にはコピー室も研究室も体温を越える温度になることは報告しましたっけ。東北大学の建築・社会環境工学科の新棟ですよ。建築の先生は,設計者に感謝状を送ったようですが,我々住人は建て直しをして欲しいと感じています。で,夏暑いのは我慢(エアコンの設定は 28 度だそうなので,我慢以外の手はありません)しましょう。で,さすがにペアガラスだから冬はそこそこ暖かいと思っていたのですが,完全に裏切られました。廊下は寒い。さすがの暑がりの僕も降参です。事務室も寒いそうで,毛布と電気ストーブは手放せない。したがって,来年度の決算中の光熱費はまた沸騰しそうです。研究室も,学生さんが遠慮しながら暖房を入れていますが,廊下から入ったときに暖かく感じる程度になるのが昼前後。若い男子学生も厚着をしていますね。僕は暖房は入れないようにしていますが,2 月を乗り切れるかどうか不安です。住人軽視の,みてくれだけのとんでもない設計です。
2014年11月30日日曜日
光熱費だけで税金ゼロに
ようやく今年度の予算が決まった。あと四ヶ月で終わるのでありますが・・・
昨年度は赤も黒もほぼ無い状況で終えたので,さぞや潤沢にと思ったのであるが,何と三分の二くらいが光熱費等共通経費で持っていかれてしまった。准教授と二人所帯だが,海外出張(予定は無いけど)も無理か。ま,パーソナルコンピュータで研究できるのであれば,光熱費がそのまま研究費だから,しょうがないかな。噂では,役所が交付する税金をまたン十%減らそうとしているとか。そうなったら電灯不可で,夜の研究は禁止だね。日の出から日没までが研究時間とか。夏は教員も学生さんも自宅で研究。冬は暖房無しでコンピュータの発熱だけで過ごす。実験する人は外部資金無しではやっていけなくなるってことか。米国との研究レベルにますますの差が生まれるんだろうなぁ。私立大学化しか道が無いとか・・・
昨年度は赤も黒もほぼ無い状況で終えたので,さぞや潤沢にと思ったのであるが,何と三分の二くらいが光熱費等共通経費で持っていかれてしまった。准教授と二人所帯だが,海外出張(予定は無いけど)も無理か。ま,パーソナルコンピュータで研究できるのであれば,光熱費がそのまま研究費だから,しょうがないかな。噂では,役所が交付する税金をまたン十%減らそうとしているとか。そうなったら電灯不可で,夜の研究は禁止だね。日の出から日没までが研究時間とか。夏は教員も学生さんも自宅で研究。冬は暖房無しでコンピュータの発熱だけで過ごす。実験する人は外部資金無しではやっていけなくなるってことか。米国との研究レベルにますますの差が生まれるんだろうなぁ。私立大学化しか道が無いとか・・・
2014年11月29日土曜日
新築研究棟の改善には最低でも 300 万円くらいは必要かも
我々は建築家と同じ建物で仕事をしている。あの地震で壊れたので新築された。教室等でそこまで新しい什器に買い換える必要があったのか,だが,同僚の無駄遣いについては目をつぶろう。しかし目をつぶれなかったのは教室の黒板のサイズだ。使い物にならないくらい幅が無かった。教壇も無いので学生さんは黒板を読み難くなっている。結局は買い足すことになった。また研究室入り口ドアのガラスだ。廊下から教員や学生さんの姿が丸見えなのはいいかもしれないが,中からも外を歩く人が見えるので煩わしい。頭を使う場所のデザインとはとても思えない。見られるのが好きな建築の学生さん達とは違うのである。結局,入居後 2 週目に目隠しフィルムを複数の研究室で発注して設置した。が,大問題は建物そのものだ。
玄関には風除室というのがある。外側の自動ドアが開いている間,内側の自動ドアも開いたままである。寒い風と落ち葉が玄関ロビーに入るというとても素敵な風除室だ。南側廊下は床から天井までガラスだ。ペアガラスだが,9 月の温度は体温を越した。20 m くらいの廊下を歩く途中で気を失いそうだ。教室やゼミ室の廊下側は全面ガラスだ。だから,スライドを使わない場合も一年中ブラインドが下りることになる。これを同僚は好き嫌いの問題だと言うが,そうだろうか。頭を使う場所になってないと思う。大講義室の外面も全面ガラスだ。外は駐車場だが歩くのが気が引ける。だから結局一年中ブラインドが下りることになりそうだ。一応目隠しフィルムを提案したが,賛成は少ない。シャッター通りならぬブラインド廊下が広がっている。みっともない。廊下はコンクリート打ち放しだ。きっと斬新さで素敵なんだろうが,僕のようなボンクラには理解できない。あ,そうそう,当然のように OA 床だ。壊れた建物もそうだったし,そのときもそうだったのだが,研究室を土足禁止にする研究室がほとんどだ。僕は,靴は原則脱ぎたくないので,僕の研究室への外来者は靴のまま入ってもらっている。学生さんがスリッパにしようと提案したが,研究室は仕事をする場所であってリラックスする場所ではないので却下した。内履きを買って使うように指示した。来客用のスリッパも不潔でたまらないので(潔癖症ではありません。設置しただけでメンテをしないことが嫌いだったし,メンテするのも嫌だったから)設置していない。汚い靴で来た人には脱いでもらうことにしてある。そして裸足の人の入室は禁止だ。当然だろう。ここは職場だ,頭を使って作業する研究室だ。
入居して一ヶ月くらいして部屋の案内パネル等が設置された。玄関の案内板は文字が小さい。みてくれだけの素敵さである。各部屋の入り口ドア横には,プラスティックの白い縦長の「まな板」が貼られた。その上部に研究室名がちょこっと書いてある。この「まな板」,どうやって何に使うのだろう。事務室や教室等の部屋番号がドアに貼ってある。当然内開きなので,夏場開放してあれば部屋番号は見えない。なんと実用的で素敵なんだろう。毎日が感動でストレスが溜まったこの数ヶ月である。震災のため同時に新築された別の研究棟に入居した友人が言った,stupid design と。
玄関には風除室というのがある。外側の自動ドアが開いている間,内側の自動ドアも開いたままである。寒い風と落ち葉が玄関ロビーに入るというとても素敵な風除室だ。南側廊下は床から天井までガラスだ。ペアガラスだが,9 月の温度は体温を越した。20 m くらいの廊下を歩く途中で気を失いそうだ。教室やゼミ室の廊下側は全面ガラスだ。だから,スライドを使わない場合も一年中ブラインドが下りることになる。これを同僚は好き嫌いの問題だと言うが,そうだろうか。頭を使う場所になってないと思う。大講義室の外面も全面ガラスだ。外は駐車場だが歩くのが気が引ける。だから結局一年中ブラインドが下りることになりそうだ。一応目隠しフィルムを提案したが,賛成は少ない。シャッター通りならぬブラインド廊下が広がっている。みっともない。廊下はコンクリート打ち放しだ。きっと斬新さで素敵なんだろうが,僕のようなボンクラには理解できない。あ,そうそう,当然のように OA 床だ。壊れた建物もそうだったし,そのときもそうだったのだが,研究室を土足禁止にする研究室がほとんどだ。僕は,靴は原則脱ぎたくないので,僕の研究室への外来者は靴のまま入ってもらっている。学生さんがスリッパにしようと提案したが,研究室は仕事をする場所であってリラックスする場所ではないので却下した。内履きを買って使うように指示した。来客用のスリッパも不潔でたまらないので(潔癖症ではありません。設置しただけでメンテをしないことが嫌いだったし,メンテするのも嫌だったから)設置していない。汚い靴で来た人には脱いでもらうことにしてある。そして裸足の人の入室は禁止だ。当然だろう。ここは職場だ,頭を使って作業する研究室だ。
入居して一ヶ月くらいして部屋の案内パネル等が設置された。玄関の案内板は文字が小さい。みてくれだけの素敵さである。各部屋の入り口ドア横には,プラスティックの白い縦長の「まな板」が貼られた。その上部に研究室名がちょこっと書いてある。この「まな板」,どうやって何に使うのだろう。事務室や教室等の部屋番号がドアに貼ってある。当然内開きなので,夏場開放してあれば部屋番号は見えない。なんと実用的で素敵なんだろう。毎日が感動でストレスが溜まったこの数ヶ月である。震災のため同時に新築された別の研究棟に入居した友人が言った,stupid design と。
2014年10月25日土曜日
「覚える」から「考えられる」
またぞろ某審議会による大学入試に対するくだらない提案が出て,朝*新聞で紹介された。見出しは『「覚える」から「考える」へ変換』だ。日本語が間違っている。正しくは『「覚えた」ことを「考え」ることに変換する』である。
微分方程式を知らない学生が原発の温排水の拡散を予測できるだろうか。具体的には文系文学部の学生が拡散方程式に気づくだろうか。ま,普通はあり得ない。ここでアインシュタインを持ち出す輩がいる。物理の世界におけるアインシュタインは特異であることはよく知られている。彼は実験事実を見て何かを考えたわけではない。単に「こうだったらいいなぁ」という希望・夢想の結果が彼の理論であり,彼の真似は誰にもできない(井口先生@フェルミラボからの知恵)そうだ。しかし彼には知識があった。何かを一所懸命考える際に勉強したからだ。覚えたからだ。違うだろうか。
覚えたものが無い人が問題解決手段を考えることはできない。小学生がトラス(橋梁の一つの形式)を設計することは不可能である。彼らは座屈という非線形問題の存在すら知らないからだ。しかし彼らも,30 cm の物差しを押すと曲がることは知っている。しかしそれを活かす方法がわからない。知識が無いからだ。
微分方程式を知らない学生が原発の温排水の拡散を予測できるだろうか。具体的には文系文学部の学生が拡散方程式に気づくだろうか。ま,普通はあり得ない。ここでアインシュタインを持ち出す輩がいる。物理の世界におけるアインシュタインは特異であることはよく知られている。彼は実験事実を見て何かを考えたわけではない。単に「こうだったらいいなぁ」という希望・夢想の結果が彼の理論であり,彼の真似は誰にもできない(井口先生@フェルミラボからの知恵)そうだ。しかし彼には知識があった。何かを一所懸命考える際に勉強したからだ。覚えたからだ。違うだろうか。
覚えたものが無い人が問題解決手段を考えることはできない。小学生がトラス(橋梁の一つの形式)を設計することは不可能である。彼らは座屈という非線形問題の存在すら知らないからだ。しかし彼らも,30 cm の物差しを押すと曲がることは知っている。しかしそれを活かす方法がわからない。知識が無いからだ。
2014年10月11日土曜日
ディプロマポリシー
標記を作るときに東*大の学部のそれを見せてもらった。いいことが書いてあった。「日本語によるコミュニケーション能力を伸ばす」である。グローバル・グローバリゼーション・コミュニケーション・・・全部「英語」を念頭に置いている昨今のくだらない基準をすっぱり切ってくださった。うちも真似しようと働きかけてみたが,最終的にはどうなったんだったか・・・忘れた。ま,学生さんもそれを読んで何の足しになるかわからないから,ま,いいか・・・
工学部の多くの分野では,多分,バックの業界が無くなっていると聞く。しかし土木には建設業界が歴然と存在し,それ無しには社会は発展しないし維持もできない。それなのに,従来の土木科目は旧いということで削除する傾向が全国的にある。そのうち,土木構造物が外国のそれと同じように,ある日突然・・・なんてことが起こるのではないか。と,一応の心配をしてみたい。何が一番大事なのかを昨今は考えていないのではないか。最低限必要な専門知識を日本語でまず(頭の中で用いている言語でまず)身に付けることからすべてが始まると感じているのであるが・・・そういう意味でも土木は他分野とかなり違うのかもしれない。
工学部の多くの分野では,多分,バックの業界が無くなっていると聞く。しかし土木には建設業界が歴然と存在し,それ無しには社会は発展しないし維持もできない。それなのに,従来の土木科目は旧いということで削除する傾向が全国的にある。そのうち,土木構造物が外国のそれと同じように,ある日突然・・・なんてことが起こるのではないか。と,一応の心配をしてみたい。何が一番大事なのかを昨今は考えていないのではないか。最低限必要な専門知識を日本語でまず(頭の中で用いている言語でまず)身に付けることからすべてが始まると感じているのであるが・・・そういう意味でも土木は他分野とかなり違うのかもしれない。
2014年10月4日土曜日
大学の行方
朝*新聞 10/1 のオピニオン。フェリス女学院大学の高田先生。高田先生と同じく,大学の点数制がくだらないことは大学人は全員知っている。さてオフィスアワーが予約制だと役所は評価しないとのこと。つまりは役所は部屋に縛り付けておきたいわけよ。各種プロジェクトの書類作りを教授にはさせたいってわけね。やはり役所は現場を知らない,知ろうとしない。ディプロマポリシーとアドミッションポリシー(役所はこの和訳を知っているのだろうか)は作りましたよ。作っておけばいいだけですよ。でも科目ナンバリング(そろそろうちでも始まる)はいいかもよ。留学したとき「D11 はベストな科目で必ずとること」という会話ができる。学生も B10 を取らないと多分 C12 は理解できないだろうとわかる。履修ガイド(我がコースでは絵入りで作ってある)だと思えばいいことです。さて,UCLA の竹崎先生。「プロジェクトは結果が既に予測された研究」というのは簡潔な表現で気に入りました。うちにも金集めばかりする吝嗇教授がいますよ。授業はさぼるし教授会にも出てこない。ま,現場も荒れてます。昨今,金を使わない研究はゴミらしい。
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